街の喧騒から一人はぐれるように、京一は街燈の灯りの下、佇む。

寒さをしのぐ為ポケットに手を突っ込むと、指先に触れるのは煙草の箱とライター。器用に箱を開け、一本取り出すと口に咥え、再度ポケットからライターを取り出し慣れた手つきで火を点けた。

吐き出されるのは紫煙とそれに混じった白い息。

それはあまりにも長く続き、人が見れば大きな溜息とも取れるような光景であった。

咥え煙草のまま時計を見ると、19時半を差している。

約束した時間は20時であるから、あと30分ほど余していた。

早く来過ぎたと言い切るには、あまりにも早過ぎるこの時間は、京一にとっては有り難かった。

寒さに身を晒すことで頭の芯が冴え、冷静に考えることができる。

そしてあまりにも身勝手だが、それが亜里沙の為だと自分に言い聞かせ、決意を強固なものにさせる。

半分程で煙草を地面に落とすと、足で軽く踏みにじる。

その吸殻を、京一は酷く悲しそうな顔でしばらく見ていた。

苦労して視線を剥がすと、今度は周りをゆっくりと見回した。

クリスマスを前にして、ネオンは更に輝き、人出は更に増えているような気がする。

浮き足立った人々はかなり滑稽に見えたが、羨ましくもあった。

京一は先ほどとは打って変わり、無表情のまま思った。

自分が、この中に入れるのは、いつになるのだろう――――――と。

だが、こうも考える。

別に入れないことが、不幸とは限らない――――――と。

京一は、薄く笑った。

彼を知っている者からすれば、その笑い方は見たことがないというくらい、酷く大人びた笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

― Confusion 1 ―

破片 4

 

 

 

 

 

 

待ち合わせの時間から、5分程過ぎた頃、亜里沙が姿を現した。

寒空の中走ってきたのだろう。少々顔を紅くし、肩で息を整えている。だが、その表情に浮かぶものは、驚愕。

きっと煙草を外で吸っている姿を初めて見たことによるものだろうが、その瞳は自分の顔に注がれている。

京一はそれを見て、苦笑するしかなかった。

きっと、今自分は亜里沙の知らない顔をしている。

戦いの場とは違う真剣な顔。セックスしている時には、決して見せなかった顔。普段の雰囲気とは、かけ離れた自嘲気味の顔。

亜里沙がゆっくりとこちらに近づいてきても、自分が冷静でいられることが有り難かった。

「よォ。悪かったな、呼び出したりして」

京一は煙草を持った右手をおもむろに上げると、少し微笑んだ。

亜里沙は少し躊躇うようにして、京一の顔を見た。

「どうしたのよ。外で煙草吸うなんて、今までなかったじゃない」

「あァ。ま、今日が最後。もう止めるさ」

ゆっくりと煙草を吸い、同様にゆっくり吐くと紫煙が冷たい空気中に拡散する。

最後のもがきのように紅い光を強めたが、生命を断ち切られるように、京一の踵によって消された。

「煙草、止めるんだ」

「もう吸うこともねェだろうしな」

その言葉の意味が解かったのか、亜里沙がビクッと躯を硬直させた。

京一は、それを痛ましそうに見つめながら息を吐いた。

「俺さ、色々考えたんだよ。自分のこと。そして、お前のこと」

「―――――あたしのこと?」

亜里沙が京一を見つめる。その虚ろな表情に、京一は強い欲望を感じた。そして改めて思う。

―――――やっぱ、お前はいい女だよ。

茶色い髪が、微かな風に揺れる。その度に、形の整った耳や白い首筋がネオンに晒される。

今まで、何度そこに口付けただろう。

柔らかな弾力のある肉体は、京一を狂わすのに充分だった。

だが心の奥底にある問いが、全てを失ってでも答えを求めていることに気がついた。

だからこそ、京一は決断することができた。

亜里沙の為などではない。――――――本当は、自分の為だ。

「はっきり言わせてもらうとな、やっぱこのままじゃいけねェと思うんだ」

―――――前に進まない、孤独な感情。

「いつまでもよ、お前も俺に依存してたってしょうがねェじゃんか」

―――――別の形での依存なら、どんなに嬉しかったことだろう。

「それに、まァ俺もお前に甘えてたところあるしな」

―――――躯の快楽に甘えて逃げていた。

「いい加減さ、もう少し前見て行かなきゃいけねェってな」

―――――本当なら、お前と一緒に。

「だからさ、もうこんな関係、止めにしねェか?」

心の中の想いとは裏腹に淡々と告げる口調。

亜里沙は表情一つ変えることなく、京一を見つめている。

京一にとって、これは一つの賭けだった。

もし亜里沙が感情をぶつけてくるのなら、想いを告げてしまおう。そして誰にも渡さない。全力で護ると。

だが、受け止めてしまったら・・・・。

それでもいいと、思っていた。

いつかきっと、誰かを愛せる時が来る。例えそれが自分でないとしても、今の関係を続けて快楽に逃げるよりはずっとマシだと思った。

「それが、あんたの答えなの?」

感情の篭っていない、冷静な声が響く。

京一は悟った。

結局、自分は何も出来なかったということが。

「すまねェ」

色んな意味をこめた言葉が、口をついた。

「謝んないでよ。あんたは何一つ、悪くないんだから」

遠くを見るように、亜里沙の視線が外れる。

「今までありがとうね、京一。でもこれでお別れってことじゃないんだし、まだ敵は残ってんだから、気合い入れるんだよ」

そういってニッコリ笑う亜里沙は、いつものように見えて、実は違うことに、京一は気がついていた。

だがそれに対して、京一は何も言わなかった。

湧き上がる感情を抑えて、亜里沙を引き寄せ、抱きしめた。

これが、最後の抱擁。

「もう、自暴自棄になるんじゃねェぞ。俺が言うことじゃねェかもしれねェが、お前には幸せになって欲しいんだ」

「本当よ。あんたが言うことじゃないわ」

クスっと笑うと、亜里沙は京一に躯を預けてきた。

亜里沙の愛用している香水が、官能的に鼻腔をつく。もう二度と、この香りを嗅ぐことはないだろう。

ゆっくりと躯を離すと、京一はようやく笑った。

「今度は、戦場で会おうぜ」

「あんまり会いたくないけどね」

亜里沙は後退りしながら離れると、京一に背を向け歩き出した。

後姿を見つめながら、京一は煙草を取り出し火を点けた。

空に向かって紫煙を吐き出すと、亜里沙に見せた時とは違う笑みを浮かべた。

最初から最後まで、互いに心を開かなかった。自分が心を開いていれば、状況は変化していただろうか。

だが後悔はしていない。

火のついた煙草を捨て、京一は新宿の街を歩き出した。

こんな日は、家に帰ってもあまりいい思いはしない。だが一人で酒を飲んでも侘しいだけ。

携帯を取り出すとアドレスを表示し、ある人物を呼び出した。

既に20時半を超えているが、きっと彼は文句を言いながらでも来てくれるのだろう。

唯一『相棒』と呼ぶに値する彼ならば。

電話で話しながら、京一は再び煙草を咥えようとしたが、ふいに止まった。

そして、半分以上残っていた煙草の箱を右手で握り潰すと、そのまま目に付いたゴミ箱に捨てた。

瞳には、自分ですら気がつかない哀しみが宿っていた。

 

 

 

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