戻れないことを悔やむより、進むべき道を探すほうが辛い。
何も出来ないことを悔やむより、何かを成して傷つけるほうが怖い。
でも一度決意してしまったら、もう変えることはできない。
一度もがれてしまった翼と、生えてきた翼が同じだなんて、
どうしてそんなことがいえるのだろう。
―太陽の羽・月の鱗― 破片 11
余った代金と樫の木刀を受け取ると、京一は足早に店を出た。
長居する理由もなければ、雑談をするようなことなどない。
心なしか、樫の木刀が軽い。普通の木刀故の軽さなのか、なんとも心許ない。
だが自分にはこれでいい。身を護るためにこの木刀を選んだのではないのだから。
「蓬莱寺ッ!」
背後から呼ばれ、京一は足を止めた。
振り返ると、壬生が店から追いかけてきたのか、こちらに向かって歩いてくる。
そういえば以前もこんな風に背後から呼ばれたことあったっけなァ、と京一は心の中でごちた。
あの時は、歩みを止めるどころか、振り返ることすらしなかったのだが。
真剣な顔をした壬生が近づいてくる。
京一は手にした木刀を肩に担ぎ上げると、無表情で壬生を待った。
「どういう、ことなんだ」
開口一番、壬生が問いただす。
「どういうことっていうのは?」
京一は少し微笑みながら、とぼけてみせる。
「とぼけるな。中国に行くっていうのはどういうことなんだって言ってるんだ」
壬生は怒っているように見えた。
「お前にゃァ関係ねェだろ」
「僕はまだ、真実を聞いていない」
「は?」
「君は僕に聞いてきた。『自分の想いを殺すことは必要なのか』と。君は最終的に自分の想いを殺したのか?」
壬生の言葉が、強烈に京一を射る。
京一は笑みを消し、視線を外した。
だが、なおも畳み掛けるように、壬生が言葉を紡ぐ。
「君は自分の想いを殺すために、中国へ行くのか?」
「それは違う」
京一は即答した。
いや、もしかしたらそうなのかもしれない。
逃げているだけなのかもしれない。
でもそれを言葉にするのは躊躇われた。
何を言っても、壬生は納得しないような顔をしていた。その場限りの誤魔化しでは、この男には通用しない。
だが、京一は何故ここまで壬生が自分を問い詰めるのか解らなかった。
亜里沙という存在を挟む以外、自分たちに何も共通点がないように思えたのに。
何故この男は自分に執着する?
「お前が俺の気持ちを聞いて、どうするってんだ」
「藤咲さんは、まだ君のことを忘れていない」
衝撃が走る。
忘れていない? 亜里沙が?
俄かには信じ難かった。だいたい付き合ってもいないのだ。互いの気持ちも明かしてしない。
遊びといえば聞こえは悪いが、所詮そんな間柄だったのだ。
「何故、それを俺に言う?」
「まだ、彼女の中では終わっていないんだ。僕に全てを話した彼女は肝心なことを話さなかった。だから、気がついた」
「どういうことだよ」
「それは自分で確かめるがいい。これ以上は、僕の口から言えないよ」
「どういうことだって言ってんだよッ!」
京一は壬生の胸倉を掴んでいた。
酷く苛立つ。見透かしたように言い放つ壬生に腹が立った。
だが、胸倉を掴まれた壬生は微動だにしない。ただ真剣な目で、京一を見据えるだけだ。
強固な意志をたたえた瞳が、京一を射る。迷いのない、曇りのない。
その目を見ているうちに、だんだん自分が落ち着いてきたのが解る。
京一はそっと掴んでいた手を離すと、再び目を逸らした。
「わりィ」
それだけを搾り出すのが精一杯だった。
壬生は乱れた衣服を整えると、小さなため息をついた。
「僕は、知りたいんだ。君も結局藤咲さんを忘れているわけじゃない。自分の想いを完全に殺したわけじゃない。だったら何故、君は藤咲さんから離れようとする?」
「恋敵に言う台詞じゃねェな」
京一は小さく笑った。
そう忘れたわけじゃない。殺したわけでもない。
誤魔化してきただけだ。言い訳してきただけだ。
本当は、本当の想いは―――――――。
「俺はなァ、壬生。自分のやりたいことをとっただけなんだよ」
「君のやりたいこと?」
「中国に行くって決めたのは、別に亜里沙とのことがあったからじゃねェ。俺自身の問題なんだよ。こんな状況じゃ、信じてくれとは言えねェが」
純粋に、自分の剣を極めてみたくなった。幾多の戦いの中で、自分の夢を見つけた。
その夢に、巻き込むわけにはいかない。好きだからこそ、巻き込めない。
いつ帰ってくるか解らないのに、待たせるわけにはいかない。
――――――――――あいつは、待つような女じゃねェ。
だから離れた。だから託した。
好きだったから、幸せになって欲しかった。
それは、完全な京一のエゴ。
「藤咲さんは、君が中国へ行くことを知っているのか?」
「知らねェだろうな。知ってんのはお前と如月とひーちゃんくらいだ」
「何も言わないで、行くつもりかい?」
「言う必要もねェだろ」
京一は短く答えた。
「もう一つ、聞きたいことがある」
「あんだよ」
「どうして僕に藤咲さんを託した?」
「それは・・・・・」
京一は答えるべきかどうか迷った。
僅かな逡巡の末、京一は口を開いた。
「お前なら、亜里沙を解放してやれると思ったからだよ。色んな意味でな」
その言葉に、壬生は少し困ったような顔をした。
どういう表情をしたらいいか解らない。そんなところだと京一は思った。
その顔が、壬生と亜里沙との関係を物語っている。
「上手くやってるんだろ、お前ら」
畳み掛けると、少し照れたような顔をした壬生が羨ましくもあり、寂しくもあった。
届くことはないだろうが、心の中で願う。
―――――もう俺は、お前にとって過去の人間だろうがよ。壬生を困らせてんじゃねェぞ。
だが、そう願いながらも心の奥底では忘れ去られたくなかった。覚えていて欲しかった。
すっげェ我侭だな、俺。京一は自嘲する。
「俺と亜里沙がどんな関係だったのか、知ってんだろ?」
「あァ」
「俺はあいつを救ってやることができなかった。あの時、俺はあいつを助けてやれなかった」
一瞬、壬生は何を言っているのか解らないというような顔をした。だがすぐに合点がいったのか、少し目を伏せた。
「拳武が、君を襲ったときのことか」
「あァ。だからってわけじゃねェけどよ、真剣に剣を知りたくなった。亜里沙とは、それで終わりだ」
「そうか」
壬生は小さく頷くと、そのまま微笑んだ。
何かが吹っ切れたような顔だった。
「いつ、日本を立つんだい?」
「3月20日。確か13時か14時くらいだったか」
「本当に藤咲さんには伝えないつもりかい?」
「それは・・・・お前に任せるよ」
「わかった」
京一は壬生の胸を拳で軽く叩いた。
亜里沙が選んだ男が、壬生で良かったと心底思った。
純粋に、思った。
「ちィーっとばかり腹割って話すけどよ、亜里沙のこと、泣かせたら承知しねェぞ」
「それを君に言われる筋合いはないよ、蓬莱寺」
笑いながら言う京一に、壬生が笑って答える。
「本当に、亜里沙のこと頼むぜ」
「承知した」
その答えに心底安心すると、京一は短く「じゃァな」といって背中を向けた。
暫く壬生がその背中を見つめていたようだったが、程なくして壬生も背を向け、如月の店に戻っていった。
忘れたわけじゃない。殺したわけじゃない。
でも忘れる必要も殺す必要もないことに、京一はようやく気がついた。
生きていることで無駄なことなど一つもない。
自分のエゴですら、愛しいと思えるときがくる。
ふと空を見上げると、そこにはまっすぐな飛行機雲があった。
まるで、自分を誘っているように、京一には見えた。
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