いつも暗闇の中で目が醒める。
いつも暗闇の中で探してる。
いつも暗闇の中で腕を伸ばす。
いつも暗闇の中で叫んでいる。
いつも暗闇の中で泣いている。
いつも暗闇の中で走っている。
いつも暗闇の中で、いつも暗闇の中で、いつも暗闇の中で、いつも暗闇の中で・・・・。
その扉を開ければ、光が差し込むのだろうか。
― 扉 ― 破片 12
桜が舞い散る。
ゆらゆらと、ひらひらと。
笑う者、泣く者、称える者、歓喜をあげる者。
それぞれの旅立ち。それぞれの別れ。
黒く細長い筒を抱えながらもう二度と潜ることのない校門をでると、同じく筒を抱えた壬生が立っていた。
「早かったわね」
亜里沙は笑顔で駆け寄り、壬生の前に立った。
「思ったより早く式が終わってね。ここに直行したというわけさ」
以前にも増して表情が豊かになった壬生が、笑みを強くする。
たったそれだけのことでも亜里沙は嬉しくなり、2人は並んで歩き出した。
春の暖かい風が、頬をくすぐる。優しい光が注ぐ。
今までには感じ得なかった穏やかな時間が流れていた。
駅前につくと、ふと壬生の足が止まった。
亜里沙は不思議な顔で覗きこむが、壬生は笑ったままだった。
「これからどうする?」
前を見据えながら、壬生が亜里沙に問う。
「まずは・・・お茶でものもっか」
亜里沙は喫茶店を指差し、再び歩き出そうとした。
「今日、真神も卒業式だそうだよ」
動こうとしない壬生が、ぽつりと言葉を漏らす。
当然亜里沙の耳にも届き、歩みを止めた。
真神が今日卒業式。そんなことは既に知っていた。
昨日の夜、高見沢から聞いたのだ。
高見沢は、壬生とのことは知っているが、京一とのことは知らない。純粋に真神に遊びに行こうと誘われただけだ。
単に龍麻に会いたかっただけなのかもしれない。今自分たちがいるのは、龍麻のおかげでもあるのだから。だからこその誘いだったが、壬生との約束もあり、亜里沙は断った。
今ごろ、高見沢は龍麻と会っているのだろう。そして、京一とも・・・・。
京一のことを考えると、今でも心がざわついた。
どうして今でもざわつくのか、亜里沙は解らなかった。解ろうともしなかった。
既に過去の男。もう終わった男。もう会えない男。
自分に言い聞かせて、壬生を振り返った。
「関係ないわよ」
上手く笑えたかどうか、解らない。でも壬生は誤魔化されてくれたらしく、フッと笑った。
「じゃァ、少し落ち着こうか」
意味深なことを言い、壬生が歩き出す。亜里沙はついていく格好となった。
壬生が何を言いたいのか解らなかったが、今の亜里沙にはどうでも良かった。
この瞬間を壊したくない。この穏やかさを壊したくない。ただ、それだけを思った。
亜里沙が指差した喫茶店に入ると、2人は無言のままだった。
店内は人も少なく静かで、まるで深海を思わせる雰囲気を漂わせていた。
壁には海が描かれたポスター。テーブルと椅子は深いブルー。店主の趣味なのだろう、ダイビングの写真まで飾ってあった。
ふいに、亜里沙は息苦しさを感じた。何か話さなくてはと思い、必死に話題を探した。
しかし頭に浮かぶものは全てこの場にそぐわないように感じ、最終的には京一のことに行きついてしまう。
結局何も言葉に出せず、亜里沙は壬生の出方を待つしかなかった。
壬生の顔をチラッと覗き見る。
壬生は穏やかな顔で店内のポスターを見つめていた。どうやらこの店が気に入ったらしい。
やがて亜里沙の視線に気がついたのか、ふいに壬生が亜里沙を捉えた。
亜里沙は思わず視線を逸らし、何事もなかったように注文したコーラを啜った。
「君は、嘘をつくのが下手になったね」
突然、壬生が言葉を放つ。
亜里沙の体がビクッと跳ね、むせ返りそうになった。
柔らかい口調で言われても、亜里沙に与えた衝撃は大きかった。
「な、何言い出すのよッ!」
ストローから口を離し、壬生を睨むが、壬生は自分が放った言葉の重さなど感じていないかのように、ただ優しく笑っているだけだった。
その笑顔に、亜里沙の心が余計に揺らぐ。
「う、嘘なんかついてないわよ」
精一杯の抵抗。
そんな反撃も、壬生には届いていないのだろう。表情はちっとも変わらない。
「じゃァ何を考えていたのか当ててあげようか」
壬生の眼が少し細まる。
「蓬莱寺のことだ。――――――違うかい?」
壬生の言葉に、再び亜里沙の体がビクッと跳ねる。
亜里沙は思わず視線を外してしまった。肯定ととられても仕方が無い。
事実、考えていたのは京一のことだった。今でも心をざわめつかせる存在だった。
だがやましい気持ちはない。それだけは伝えなければならない。
「確かに、考えていたわ。でもだからといってどうこうしたいっていうのは無いわよ」
亜里沙は溜息交じりに言うと、壬生と視線を合わせた。
「あたしは、今ごろ舞子が龍麻や京一たちと会ってるんだろうなって思っているだけよ」
「君は会いたいって思わないのかい?」
「龍麻には会いたいって思うわ。あたしが今いるのは龍麻のお陰でもあるしね。でも京一とは・・・・解からない」
「解からない?」
「会ってもどんな顔をすればいいのか、解からないだけよ」
自分の弱さで、自分のエゴで京一を傷つけた。
偽りの自分で、京一と対していた。
どうするべきなのか、自分がどうしたいのか、それすら解からなかった。
「だから、もう会わないほうがいいのよ。きっと・・・・」
亜里沙の言葉に、壬生は表情を崩さなかった。変わらず、笑みを湛えている。
それがどういう意味を持っているのか解からなかったが、亜里沙は少し苛立った。
何故自分を追い詰めるようなことを言うのか。自分のことが好きではなかったのか。
何故、他の男のことを聞いてくるのだろう。
「君は、まだ素直になれないわけだ」
壬生が、亜里沙に止めを刺す。
「何が言いたいのよ。昔の男なんてどうでもいいじゃない。それとも何? 会えとでも言いたいわけ? あたしがもういいって言うんだからいいじゃない。放っておいてよ」
苛立ちを隠せないまま、亜里沙は壬生を睨みつけながら言った。
壬生の表情が、少し翳る。だがそれは一瞬のことで、すぐに真剣な目つきに変わった。
「言い方が悪かった。僕ももっとはっきり言うべきだったね」
亜里沙を見据えながら、壬生が言葉を紡ぐ。
「一週間後、蓬莱寺は日本を離れ、中国へ発つ」
「な!?」
亜里沙は思わず立ち上がった。
強引に動かせられた椅子が悲鳴をあげ、店内にいた人々の視線が集中する。
だが、そんなことは亜里沙にとってどうでもよかった。鼓動が早まり、壬生の言葉を理解しようと頭がフル回転になる。
―――――――――――――京一が、いなくなる?
考えているのは、そのことだけ。
「どういうことなのサッ!」
「言葉通りの意味だよ。いなくなるんだ。日本から」
―――――――――――――日本から、いなくなる―――――――――――
言葉が重く圧し掛かる。
自分が何を言いたいのか、何をしたいのか解らなくなってくる。
つい先程まで、もう会わないほうがいいと思ったのは自分だった。
過去の男と、関係ない男と割り切ったのは自分だった。
ところがこの動揺は一体なんなのだ。この焦燥は一体なんなのだ。
永遠に会えないわけじゃない。それは解っている。解っているのに気持ちが悪い。
だからといってどうすればいいのか。―――――――どうにもできないではないか。
いつかは日本に帰ってくるのだろう。それよりも、もう合わないと決めたのではなかったのか。
亜里沙は徐々に自分が落ち着いてくるのが解った。
だがそれは落ち着いたのではなく、心を遮断してしまったことに過ぎなかった。
会えない。
会わない。
関係ない。
体中に入っていた力が抜け、代わりに笑うように口許が歪んだ。
「そっか・・・・いなくなるんだ・・・・」
亜里沙は静かに席に座った。その瞬間壬生の顔が曇った。
「それだけなのかい? 他に何とも思わないのかい?」
「それだけよ。他に何があるっていうのよ」
壬生の顔が、ますます曇る。眼には怒りとも悲しみともとれる光が宿っていた。
亜里沙はそれに気がついていたが、自分ではもうどうすることもできなかった。
「解った。でもこれだけは言わせて欲しい」
壬生が静かに口を開く。
「君に、後悔だけはして欲しくないんだ。どんなときでも、自分を偽って欲しくない。これは僕のエゴだが、そんな君は見たくない」
「あたしは、偽ってなんか・・・・」
「本当にそうと言えるかい?」
亜里沙の言葉を壬生が遮る。亜里沙は黙るしかなかった。
「よく、考えて欲しい。―――――――1週間後に、答えを聞きたい」
「答え・・・」
呟くように、亜里沙は繰り返した。心の中で言葉が回るのと同じように。
閉ざしたはずの心が揺れ始める。開放したはずの感情が、出口を求めて暴れまわっているのが解る。
自分は何をしたいのか。自分は何をすべきなのか。
後悔とは一体何なのか。一体何を後悔と呼ぶのか。
答えを出すのは1週間後。京一が旅立つ日。自分が後悔するかもしれない日。
京一が日本からいなくなることと、自分の後悔とはどこで繋がっているのだろう。
亜里沙は考えていた。すでに、楔は打ち込まれていた。
壬生が伝票を掴み、立ち上がるのを見て、亜里沙もゆっくりと立ち上がる。
店を出て、春の日差しの中に飛び込むと思わず眩しくて手を翳した。
光の中で、壬生が困ったように笑う。
何かを後悔しているような笑顔だと、亜里沙は思った。だが、何に対して後悔しているのかまでは解らなかった。
自分に後悔するなと言っておいて、どうして壬生が後悔しているのだろう。
亜里沙は問いただそうと思ったが、その言葉が出てくることはなかった。
突然壬生に抱きしめられ、息が詰まったからだった。
「紅葉・・・・」
「済まない。君を困らせるつもりはないんだけどね・・・」
抱きしめた力を少し強め、壬生が耳元で囁く。
亜里沙は何も言わず、壬生に抱きしめられるままになっていた。
「では、1週間後に・・・」
その言葉を最後に、壬生は亜里沙に背を向けて歩き出した。
亜里沙は壬生の背中をしばらく見つめていた。
出口のない感情が、今も心の中を暴れまわっている。
駆け出して、背中に抱きついて、愛していると囁いて欲しいと懇願している自分に気がついた。
だが今の壬生は言わないだろうと思い、亜里沙はその場から動かなかった。
自分の心の扉を開けられるのは自分しかいないのだと、以前誰かが言っていたような気がする。
壬生の背中が見えなくなったころ、ようやく亜里沙は動き出した。
まるで今の自分は扉に隠れた答えを探して彷徨っている冒険者のようだと、亜里沙は思った。
生きてくということは、こういうことなのかもしれないと・・・・。
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