本当に欲しいものが何なのか解らない限り、欲しいものを手に入れることはできない。
自分の望みを知らなければ、自分の望みを叶えることはできない。
解らないままでは、前に進めない。
前に進むための足も、欲しいものを掴むための腕も、あるというのに。
― エゴ ― 破片 13
僕は、何を言ってしまったのだろう。
壬生は帰り道、一人後悔していた。
自分のエゴを押し付けて、結果、亜里沙を困らせ、悩ませただけだった。
もっと言い方があっただろうに。もっと別の方法があっただろうに。
これで彼女が心を再び閉ざしてしまったら、それは自分の所為だと、壬生は自分を責め続けていた。
「ただ、僕は・・・・」
壬生は独りごちる。
ただ、素直になってもらいたかったのだと。
壬生自身が経験したこと。自らの罪を認めるというのは、そう容易いことではない。心を閉ざして生きてきた者ほど、簡単には開放できるはずもない。
認めるのも、開放するのも、本当は独りでできることではないのだ。
どうでもいい人間の言葉など、心に響くはずもない。
自分の言葉は、彼女の心を響かせているのだろうか。自分が彼女の言葉に響くように。
ふいに息苦しさを感じ、壬生は立ち止まった。
その時、
「あ〜、壬生くんだァ〜」
気が抜けてしまいそうになるくらいの、柔らかい呼びかけ。まるで後悔していること自体馬鹿馬鹿しくなってくるような声音の持ち主。
振り返ると、舞子が腕を大きく振って、笑顔で駆けて来た。
「高見沢さん・・・・どうしてこんなところに?」
目の前に来た舞子に少々面喰らいながら、壬生は微笑んだ。
確か、彼女は真神に行っていたのではなかったのか。
「うんとねェ〜、ダーリンたちに会う予定だったんだけどォ〜、院長センセに頼まれてェ〜白髭公園までェ〜ユーレイさんたちに会ってたのォ〜」
あはッと、舞子が笑う。
霊能者。以前龍麻から聞いた話を思い出す。彼女がいたからこそ、亜里沙が救われたということも。
「そういえばァ〜、亜里沙ちゃんはァ〜?」
「あァ、藤咲さんなら、もう家に帰ったと思うよ」
「そっかァ〜。あれ? 壬生くんもォ〜もう帰っちゃう?」
「いや、急いでるわけじゃないんだけど」
「やったァ。じゃァちょっとお話しよォ〜」
急に舞子が壬生の腕を取り、「しゅっぱーつッ!」と元気よく歩き始めた。
「ちょ、ちょっと高見沢さん・・・」
壬生の抗議も聞こえないのか、舞子は鼻歌交じりに壬生の腕を引っ張りながら歩いていく。
壬生は舞子に聞こえないように小さな溜息をつく。正直、壬生は舞子が苦手だった。
気がつけば、小さな公園のベンチに座らされ、右手には懐かしいとさえ感じるアイスキャンディが握らされていた。
まだアイスには時期的に早すぎると思ったが、日差しが暖かい所為か、違和感はなかった。
「おいしィ〜ね」
舞子が嬉しそうにアイスを食べる。壬生は再び小さな溜息をついたあと、アイスを食べ始めながら辺りを見回した。
小さな公園は、子供たちが遊ぶような施設はなく、散歩に最適そうな横幅の小道と、暗くなり過ぎないように気をつかったと思わせる木々が植えられていた。中央には垣根のない水遊び場があり、夏には子供と親で賑わう姿を容易に想像できた。
その水遊び場の向こう側に、石碑のようなものがあることに気がついた。
小さな石碑だが、つい最近のものだろう。まだ石本来の光を保ち、まるで木々が日差しを遮ることを遠慮しているかのように、石碑を囲んでいた。
「この公園にもね、悲しいユーレイさん、いたの」
壬生の視線に気がついたのか、舞子も石碑を見ながら小さく呟いた。
「いた?」
「うん、でもォ、もういないけど」
「それが、あの石碑と・・・」
「あれ、慰霊碑」
壬生の言葉を遮り、普段の彼女から想像もできない悲しみの声音が響いた。
壬生は何も言えず、黙った。
「舞子ね、前にここで遊んでた女の子とお友達になったの。すごくいい子だったの。でも・・・」
当時のことを思い出しているのか、そっと指で涙を拭った。
「殺されちゃたの。知らないおじさんに・・・」
壬生は黙って聞くしかなかった。
「それからユーレイさんになって、会うことができたんだけど、その子、すごく怒ってた。すごく、悲しんでた。だから舞子、がんばって毎日来たの。毎日来て、毎日お話しようとしてたんだけど・・・もう、舞子のことも忘れちゃってて・・・それでも、舞子その子とまた仲良くなりたくって、がんばったの。いっぱい、いじめられちゃったけど」
自分が泣いてしまったのが照れくさいのか、生身の人間が幽霊にいじめられたことが照れくさいのか、舞子はちょっとだけ笑った。
だが、壬生は笑わなかった。
霊が怒り、人間に対して害をなすということは、「いじめられる」という言葉では片付けられないと知っているからだった。
相当、無理をしたに違いない。
「その子を助けたのかい?」
「ううん、舞子が助けられたの。舞子のこと、思い出してくれて、お空にいったの。あれ、建ててくれたの院長センセなんだァ」
そう言って、空を見上げた。まるで、その子がそこにいるかのように。
「どうしてそこまでしたんだい?」
壬生は聞かずにはいられなかった。舞子が意味が解らないとでもいうように、首を傾げる。
「厳しいことを言うかもしれないが、死んでしまったら君にはもう関係ないじゃないか。白髭公園の霊たちだってそうだ。君には関係のないことだ。どうして自分のためにならないことをする?」
「壬生くんはァ、今まで壬生くんのためだけに生きてきたのォ?」
「そこまで自分主義ではないけど・・・でも、霊と仲良くなることが、自分のためになるのかい?」
「舞子ね、自分のためってあんまり考えたことないのォ」
あはッと、屈託なく舞子が笑う。
「・・・・は?」
「うんとねェ、ユーレイさんたちって、みんな寂しいの。舞子はユーレイさんたちとお話できるから、だからお話するのォ」
「はァ・・・」
壬生は拍子抜けするしかなかった。
「壬生くんは、どうして亜里沙ちゃんやみんなや舞子に優しくしてくれるのォ? 優しくされたいからァ?」
舞子に問われ、壬生の体が硬直した。拍子抜けしていた分、舞子の言葉が容赦なく突き刺した。
―――――優しくされたいから、優しくする?
違う、と否定したかったが、果たして本当にそうなのか疑問視する自分もいた。
何かの見返りを求めて、人は人を愛するというのか。
誰かが愛してくれるから、誰かを愛するのか。
亜里沙が愛してくれたから、自分は愛したというのか。
―――――――違う。
それだけは、違うと言い切れた。先に愛したのは自分だ。確かに相手にも自分を愛してほしいという願望はあった。だがそれを求めたことなど一度もない。
愛してほしいから、愛したわけじゃない。
自分が、愛したいから、愛した。
「舞子ね、みんなに優しくしてあげたいの。それだけなんだァ。でも優しくしてもらうと、嬉しいのォ」
自分のために、見返りを求めるのではなく、相手のことを考えて、自分が成すべきことを成すだけ。
傍から見れば、それはエゴなのかもしれない。相手のために何かをしてあげるなんて、おこがましいのかもしれない。
だがそれでも、壬生は真剣に思った。真剣に考えた結果だった。
自分のためだけを考えたら、思わなかったのだろう。
亜里沙を京一に会わせてやりたい・・・・と。
心を閉ざしたまま、自分を偽ったまま、生きて欲しくない・・・・と。
「ありがとう、高見沢さん」
壬生は頭を下げた。心から感謝したかった。苦手だった意識は吹き飛んでいた。
「やだァ〜、舞子、何もしてないよォ」
でもね・・・と、舞子が笑いながら続ける。
「壬生くんにとってェ〜、舞子がいいことしたのなら嬉しいなァ」
「僕もようやく吹っ切れたよ」
「舞子のほうこそ、お話聞いてくれてェ〜ありがとう」
ぺコリという形容詞が似合いそうな、頭の下げ方だった。
前 へ / 次 へ 目 次 へ