オイディプスの刃 | |
赤江瀑(角川文庫) | |
毎年夏の短い期間、秋浜泰邦は大迫家に滞在していた。その理由は「備中国住作次吉」。研師である泰邦は、その名刀『次吉』の手入れを是非自分の手でしたいのだと、持ち主である大迫耿平に頼みこんだのだった。そして五年目、惨劇は起こった。ハンモックに揺られる泰邦の体に、『次吉』は振り下ろされた。それを見た耿平の妻香子はやはり『次吉』によって自害、耿平までが割腹自殺を遂げてしまう。耿平の三人の息子、明彦、駿介、剛生の体験と証言は真相を押し隠したまま葬られ、三人は別々の場所でそれぞれの人生を歩むことになる。 ★★★赤江瀑の初長編だそうです。 暑い夏の日の、熱に浮かされたようなあいまいな悲劇。一体それは何が原因で…いや一体「何が起こったのか」すら分からぬままに、忌わしい記憶だけが残された。そこにあるのは、妖艶な光を放つ『次吉』と、「疑惑」の花言葉を持つ『ラベンダー』。三人の血を吸った『次吉』だけが死の全貌を知っている…。耿平によって封印された悲劇の真相が、十二年の歳月を経て甦ろうとしている。 私の好みからすると、少々叙情的すぎる語り口かつ展開ではあるのですが、文章に織り交ぜられた光と色合いと匂いが薫りたつようで、なんとなく、「浸る」って感じが楽しめる作品でした。長編としてはややまとまりが悪い感じ。でもあえてきちっとした形にまとめようという意図は、無かったのかもしれません。中心には刀と香水。とりまくのはかのギリシャ悲劇を思わせる濃密な血縁関係。その妖しさは、人の気持ちを徐々に狂わせるのに十分だったに違いありません。 実を言うとかなりの「刀」好きの私には、こういうお話は堪りません(笑)「青みをおびた地鉄の肌に異様なうるおいが立ち戻り、忽然と霞をはらった白刃が闇の地にのたうち始め、逆さ乱れの刃文のなかに華麗な匂い足をさしのばした逆丁子乱れ刃の『次吉』云々…」なんていう描写を読むと、さっぱり分からないながらゾクゾクと楽しくなってしまう私(^_^;)だから少々、人間が中途半端だったりしてもいいのです。ラストのしんとした鮮やかさが心に残ります。 |
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暗黒のメルヘン | |
泉鏡花・坂口安吾・石川淳・江戸川乱歩・夢野久作・小栗虫太郎・大坪砂男・日影丈吉 埴谷雄高・島尾敏雄・安部公房・三島由紀夫・椿實・澁澤龍彦・倉橋由美子・山本修雄(立風書房) |
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アンソロジー。『龍澤譚』『桜の森の満開の下』『山桜』『押絵と旅する男』『瓶詰の地獄』『白蟻』『零人』『猫の泉』『深淵』『摩天楼』『詩人の生涯』『仲間』『人魚紀聞』『マドンナの真珠』『恋人同士』『ウコンレオラ』 ★★★澁澤龍彦編。 こういう類(?)のアンソロジーは、読むのに時間がかかりますね。なんか、頭が切り替わらない…。 『龍澤譚』泉鏡花。鏡花の初期の作品だそうですけど、「高野聖」を思わせる雰囲気。美しくって優しい魔物のような女の人が出てきたり。魅入られたような恐怖がねえ…。『桜の森の満開の下』坂口安吾。桜、さくら…。舞い散る桜の花びらの下に立って、そっと後ろを振り向いてみたいような。『山桜』石川淳。選者があとがきで「一瞬、白日夢のような幻覚を…」と書いているがまさにそんな感じ。現実と夢のいれかわりが非常に厳しい。それこそ鞭の一振りのような。『押絵と旅する男』江戸川乱歩。乱歩は苦手ですが、この作品は好きなんです。なんか、綺麗ですよね。ラスト近く、押絵の額を風呂敷に包むところとか。『瓶詰の地獄』夢野久作。初めて読みました夢野久作。う〜ん、こういう作品だったのか。「私達は、ホントに幸福で、平安でした。この島は天国のようでした」天国のような地獄というのに、一度住んでみたいかも。『白蟻』小栗虫太郎。変な作品ですねえ。なんか野放図のような、しかし計算し尽くされたような。滝人の独白は、なんか頭にずきずき来る。『零人』大坪砂男。ちょっと理屈が勝っている感じが好ましくないけど、これも幻想的な魅力のある作品でした。『猫の泉』日影丈吉。時間とか、場所とか、ずっと連続しているはずなのに、ふと足を踏み入れてしまう空間の裂け目。夢かもね。猫も。『深淵』埴谷雄高。なんか、どんどん思考が翔ぶ感じ。ついて行けない〜と思いつつ、なぜか読まされる。あげく、深淵の底を這いまわることになってしまうのかしら。『摩天楼』島尾敏雄。これは夢です、夢。浮遊感に浸ってしまう。『詩人の生涯』安部公房。「らしい〜」って感じがしましたがどうでしょうか。『仲間』三島由紀夫。これは「へ〜?」って感じがしましたがどうでしょうか。『人魚紀聞』椿實。ついに全く名前も聞いたことのない作家が登場しました。しかし、これは面白かった。絢爛とした妖しさが妙にツボ。『マドンナの真珠』澁澤龍彦。亡者と生者の間を取り持つものは「かごめかごめ」。不毛だなあ。エロスって不毛なのかも。『恋人同士』倉橋由美子。いや〜、微妙に嫌いなラインの作品です。『ウコンレオラ』山本修雄。これまた聞いたことがない作家。SFなんですね。この生物(?)と文体が妙にマッチしてます。 どれも面白かったですが、初読のもののなかでは『龍澤譚』『深淵』『詩人の生涯』『人魚紀聞』が特に面白かったです。 |
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冥土 | |
内田百(ちくま文庫) | |
短編集。『冥土』『三東京伝』『花火』『件』『道連』『豹』『尽頭子』『流木』『柳藻』『白子』『短夜』『蜥蜴』『梟林記』『大宴会』『波頭』『残照』『旅順入場式』『大尉殺し』『遣唐使』『鯉』『流渦』『水鳥』『山高帽子』『遊就館』『昇天』『笑顔』『蘭陵王入陣曲』『夕立鰻』『鶴』『北溟』『虎』『棗の気』『青炎抄』 ★★★夢、ですね。内田百閧ウんは随筆も面白いけど、こういう不思議感覚の物語も良いです。 中でも気に入ったのは。『冥土』、高い、大きな暗い土手、暗闇の中に土手の上だけ「ぼうと薄白い明かりが流れている」、人々のうしろ姿がうるんだ様に溶け合って…。『山東京伝』、ユーモラスな描写と、特にラストが面白かった。『件』、くだん、と読みます。「件の話は子供の折に聞いたことはあるけれども、じぶんがその件になろうとは思いもよらなかった」さて、件とは何でしょう。『尽頭子』、これはいかにも夢らしい怖さが。『梟林記』、雲のイメージとラストの美しさが印象的。『大尉殺し』、暗闇と汽車と、土手と藪。映像的な音と情景が好き。ちょっとドキドキする。『遣唐使』、絡みつくような皮膚感覚と、場面転換が妙。『山高帽子』、「死ぬ程生きている人がいないからさ」というセリフが何となく。『遊就館』、これは、夢らしい。『昇天』、なんとなく哀しくて、なぜか羨ましい。『棗の木』、古賀という人物が興味深い。 とまあ、何だかテキトーな感想になってしまいましが、上に挙げた以外の作品もそれぞれ面白かったです。 |
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巫女SIBYLLAN | 1956 |
パール・ラーゲルクヴィストPar Lagerkvist(山下泰文訳・岩波文庫) | |
「デルフォイを見下ろす山腹に立つ小さな家に、ひとりの老婆が白痴の息子と住んでいた・・・小屋は、町の建物を、そして神聖な境内をはるかに見下ろす格好で、人の入らぬ山にまったくぽつんと建っていた。老婆も家を離れることはめったになかったが、息子の方は皆無といってよかった。息子は奥の薄暗がりに座って、いつものことであるが、ひとり笑みを浮かべていた。・・・老婆の顔は厳しく、皺だらけで、昔、火にでも触れたみたいに浅黒く、その目にはかつて神を見た眼差しが宿っていた。」 ★★★作者のパール・ラーゲルクヴィストはスウェーデンの作家で、1951年に『バラバ』という作品でノーベル賞を受賞したそうですが、すいません全く知りませんでした。 うえ↑で紹介したのは、この作品(『巫女』)の冒頭部分の抜書きなのですが、なかなか、なんというか、引き込まれる書き出しでした(私にとっては、ですが)。 「彼らは二人で暮らしていた。誰も二人を訪ねてこなかったし、二人と何らかの係わりを持つ者もいなかった」そして老婆は老いた目で、一人の若い女が、神の花嫁衣裳を纏った女が聖水によって清められ、神の住処へと入っていく、その様子を眺めています。老婆の背後には、白痴の息子が、謎めいた笑みをたたえて座っています…。 ある男が託宣伺いにデルフォイにやってきましたが、その目的が果たされずに困惑していました。ある老人がその男に、この山の上に神託所に勤めていた年寄りの女祭司、神に罰当たりなことをしでかしたために、皆から呪われ、嫌われている大層年寄の巫女が住んでいることを教えます。男は山を上り、老婆に向かい、自分の身に起きた数奇な出来事を話し始めます。 この男の話を発端にして、物語のほとんどは老婆の巫女としての人生が語られることになるのですが。 実際、私はキリスト教はべつに信仰していないし、神がどんな存在なのかなんてあまり考えたことがないし、神が身近であるとも、崇高で遠いものであるとも…本当にあまり考えたことがないのです。ま、苦しい時の神頼み、という程度でしょうか。ですから本当ならこの作品のテーマは到底理解の外ですし、読み終わった今でも本質的な部分は多分全然理解できていないと思うのですが、しかし、とても面白かったのです。いや〜、不思議なことに。 この老婆の人生の中に現れる「神」という存在の不可思議さ。圧倒的としか言いようのない、「存在するために存在する謎」。「わしはずいぶん不幸にされた。だが一切の理解を拒絶した幸福を感じさせてももろうた」ううん、すごい、すごすぎる。神を否定するわけでもなく肯定するわけでもなく、ただ絶対的な存在として感じている、というのかなあ?私は、人間は誰でも実はごく素朴な信仰(太陽とか自然とかに対する?)は意識せずとも持っているものだと思っているのですが、それと、この「神」なる存在に対する信仰というのは、全然ちがうんですよね。自分を信じないものを許さない残忍な「神」。人は一体なぜ、神を必要とするんだろう。 老婆を訪ねてきた男の体験には、磔刑になる前のイエスみたいな人物が出てきたりして、それに作者がどういう意味合いを持たせようとしているのかとか、実は良くわからなかったりとかするのですが(一体理解できたところはあるのか?^^;)、でも本当に、とても面白く、興味深く読めました。「巫女」という存在への興味が大きかったというのは否めませんが(^_^;) 神を知っても、けして幸せになれないけれども、でも…「泉は、綺麗に澄んだ水の周りにいつも変わらず新鮮な緑が茂り、とても神聖じゃった。・・・泉の底の砂粒が一粒一粒見え、しかも一カ所で、神の見えざる指に動かされ、ゆっくりと渦巻くように回っているのが見えるんじゃよ」神の与えたもう憩いと安らぎの象徴のようなこの描写が、とても心に残りました。 |
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仮面の告白 | 1949 |
三島由紀夫(新潮文庫) | |
震災の翌々年、大正14年1月の夜9時、六五〇匁の小さな赤ん坊として生まれた私は、生まれたときの光景を見た事があるといって周囲の大人を困惑させたものだった…。母の手から奪われて、祖母の病気と老いの匂いにむせぶ病室で育てられ、自家中毒をわずらうひ弱な子供であった私が、その半生において悩まされ脅かされつづけることになる、ある欲望を予感させる出来事にであったのは、ほんの五歳のころ、午後の日差しがどんよりとした坂の途中のことだった。「坂を下ってくるもの」…血色のよい美しい頬と輝く目をもち、足で重みを踏みわけながら坂を降りてきた。それは汚穢屋であった。彼は地下足袋を穿き、紺の股引を穿いていた。 ★★★これも20年(以上?)ぶりの再読。 最初にでてくる「汚穢屋」との出会いは印象的だ。「汚れた若者の姿を見上げながら、『私が彼になりたい』という欲求、『私が彼でありたい』という欲求が私をしめつけた」・・・これがすべての原点で、その後「私」は何かにつけ「悲劇的なもの」「身を呈している」と謂った感じ、に囚われつづけることになる。 穢れたもの、奇妙にひっそりとした秘密の刻印、死の運命をになう人々、残酷な死…繰り返されるこれらのモチーフに耽溺する幼少時代をすごし、奇体な「玩具」の扱いにと戸惑いを余儀なくされ、そして十三歳のある日、セバスチャン殉教図に触発されて初めての「悪習」に手を染めた。やがて「私」は年上の同級生、近江に恋をした。生まれて初めての恋、「しかもそれは明白に、肉の欲望にきずなをつないだ恋だった」 昔読んだとき、別にこの主人公「私」に対する嫌悪感などは感じなかったような気がする。再読してみて思ったのだが、この作品は、前半と後半でずいぶん方向が変わってしまったんじゃないかな。 前半は非常に興味深く読めた。幼少時代の強烈な記憶、童話の中の「死と夜と血潮」を思わせる美しい若者に惹きつけられる「私」、夏祭りの神輿の担ぎ手たちの「世にも淫らな・あからさまな陶酔の表情」。記憶の奥底をゆすぶられるような感覚。その背徳的な内容にもかかわらず、奇妙なほど若者らしい叙情的な苦悩には、頭でっかちの可愛らしさすら感じられる。「魔」的存在に対する陶酔は、いつでも魅惑的だ。 ところが、後半の展開には少々退屈した。園子という女性の魅力的でないのはしょうがないにしても、園子となんらかの関係を作り上げようとする「私」の感情の積み上げ方にはどうも無理があるような気がして、読んでいてしっくり来なかった。「およそ何らの欲求も持たずに女を愛せるものと私は思っていた」という前提には、ちょっとドキッとしたんだけど。 しかし、今回再読してみて、テーマそのものとは余り関係のない、全く別の部分に動揺させられたのには、自分自身驚いた。幾つかの場面で触れられていることだが決定的なのはこの部分(後↓で引用)だった。私の今の心情になにか関係しているのだろうか(分からない…笑)。「その名を聞くだけで私を身ぶるいさせる、しかもそれが決して訪れないという風に私自身をだましつづけてきた、あの人間の「日常生活」が、もはや否応なしに私の上にも明日からはじまるという事実だった」 |
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香水−ある人殺しの物語−Das Parhum | 1985 |
パトリック・ジュースキントPatrick Suskind(池内紀訳・文芸春秋) | |
『十八世紀のフランスに、とある男がいた。天才肌の、おぞましい男である」男の名は、ジャン=パティスト・グルヌイユ。悪臭ぷんぷんたるパリでも並外れて濃厚な悪臭のたちこめている一画で、魚屋で働く母親によって臓物溜めの中に産み落とされたグルヌイユは、金で雇われた乳母に「このガキには匂いがないのさ」と気味悪がられる。孤児院で育ち、皮なめし職人に売られたグルヌイユは、やがてその特異な才能によって、落ちぶれた香水師バルディーニに巨万の富をもたらす。やがてグルヌイユは、匂いを取り出す方法を求めて南方の町、グラースへと旅立つ。 ★★★作者パトリック・ジュースキントはドイツ生まれ。この作品は二十三カ国に翻訳されベストセラーとなった。 装丁がなんとなく妖しげで心をくすぐる。ワトー「ユピテルとアンティオペ」という絵画らしい、う〜む。 そういえば、お江戸は清潔な都会で有名だったらしいけど、パリは臭いので有名だったとか?汚物を窓から投げ捨てるので、あまり道の端を歩いていると、それを頭からかぶってしまうとか?うひゃ、とおもうけど、分かるような気もする。 そんなパリでも最も臭い一画で、汚物にまみれて生を得たグルヌイユ。母親はそれ以前に生んだ嬰児殺しが発覚してギロチンにかけられ、グルヌイユは一人ぼっちで愛も知らず、それでもすくすくと育った。彼を育てた施設の主人マダム・ガイヤールはグルヌイユの敏感な嗅覚を恐れた。それは、「どこに金を隠しても、壁や梁を通して見つけ出す」という気味悪さだったから。やがて、香水師のもとで働き始めたグルヌイユは、とある街角である気配に気がつく。一つの匂いの帯に導かれて進んだ先に見つけた娘。「この匂いを自分のものとしない限り、人生にいかなる意味もないことは明らかだった」。グルヌイユはその匂いを自分のものにした。最初の殺人だった。 うう〜ん、面白かったです〜。その悪臭あるいは芳香が漂ってくるような秀逸な描写、匂いに関する薀蓄の面白さ、グルヌイユという人物、あるいはその周りに配された俗臭ぶんぶんたる人々。まともな人間やいい人は誰一人として出てこないところもいいですね。十八世紀のヨーロッパが舞台だけあって、何もかもがなんとも胡散臭いのですが、そこがまた面白い。読み始めたらどうにも止まらないのでした。原文の持ち味を生かしている、というべきなのか、邦訳も独特のリズム感があってとても良かったですね。 匂いから逃れて自らの王国に君臨したグルヌイユ。しかし、自分の匂いの霧に包まれながら、それを嗅ぐ事ができないという恐怖に打ち震えます。やがて「娘たちが要ったから」という理由だけで殺人を繰り返し、纏った匂いでその罪を逃れたグルヌイユ。矛盾と恐怖に満ちたおぞましいラストが、意外にも爽やかな愛に彩られているという二重の皮肉さには苦笑いするしかないです。 ところで、読み終わって振り返ると、グルヌイユって人物の姿がなぜか浮かんでこないような気がするのです。変な感じ。 |
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通りすがりの男Alguien que anda por ahi | |
フリオ・コルタサルJulio Cortazar(木村榮一ほか訳・現代企画室) | |
短編集。『光の加減』『貿易風』『二度目』『あなたはお前のかたわらに横たわった』『ボビーの名において』『ソレンティナーメ・アポカリプス』『舟、あるいは新たなヴェネツィア観光』『赤いクラブとの会合』『メダル 一枚の裏表』『通りすがりの男』『マンテキーリャの夜』 ★★★ラテンアメリカ文学全集選集。 二冊目のコルタサルですが。 『光の加減』は、ラジオドラマの悪役声優が、手紙をくれたファンとの間に作り出した空間の物語。ストーリーは平凡で面白みはないけど、浮かび上がり漂うような描写が好き。『貿易風』は、ちょっとしたお遊びを計画したカップルの話。ずれていく感覚が、少し、怖い。『二度目』は、何かのために待っている人たちの話。待合室のドアはどこへ続いているのかしら?ふと振り返ってみたりして。これは好みの作品。『あなたはお前のかたわらに横たわった』は、母と息子の物語。実験的な作品。視線が混乱して、幻惑させられる。甘やかな不安感に彩られた印象的な作品。『ボビーの名において』は、8歳のボビーの妄想。奇妙に裏返しになっていく感覚が面白かった。『ソレンティナーメ・アポカリプス』は、写真のスライドの中に見た真実(?)。写真に撮られた絵画には二重写しの何かが見える、かもしれない。『舟、あるいは新たなヴェネツィア観光』は、ヴェネツィアで出あった一組の男女と、もう一人の女の物語。小説世界の独善性を、もう一人の女の独白が打ち砕いている。微妙で激しい感情が沈殿していく様は深みがあってよかった。映画のカットのように印象的なシーンを、脳裏にすりこんでくる描写は素晴らしい。『赤いクラブとの会合』は、あるレストランでの出会いの物語。現実から非現実へというのは常套手段ぽくもあるが、やはり上手いなあ。これも好きな作品。ラストが…「雨の夜には、私たちは一緒です」ぞくり、とさせられる。『メダル 一枚の裏表』は曖昧な形でむすびついた男女の話。う〜ん、これはわたし的にはあまり好きではない。感傷的で。『通りすがりの男』は、秘密の任務を遂行する男の話。一夜の幻想、夜の帳。閉じられていく世界という感覚が…。『マンテキーリャの夜』は、これも秘密の任務を遂行する男の話。ボクシング場の喧騒は悪くない舞台装置。内容はやや平凡かも。 今回は、やや甘めのものが多い気がしてもうひとつかなと言う感じではあるのですが、『二度目』『赤いクラブとの会合』『通りすがりの男』はよかったです。『舟、あるいは新たなヴェネツイア観光』は少し長めの作品ですが、覗き見える(ような気がする)水の底が興味深くも不可解な作品でした。 |
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