真珠の首飾り他二篇Zhemchuzhnoe ozherelje | 1866 |
ニコライ・セミョーノヴィチ・レスコーフN.S.Leskov(神西清訳・岩波文庫) | |
短編集。『ムツェンスク郡のマクベス夫人』『真珠の首飾り』『かもじの美術家』 ★★★ニコライ・セミョーノヴィチ・レスコーフ(1831〜1895)初読です〜(^_^;) 『ムツェンスク郡のマクベス夫人』―カテリーナ・リヴォーヴナ、「いわゆる美人じゃなかったけど、見た目の感じのじつにいい女だった」。中どころの商人イズマイロフに望まれて嫁に来たけれども、別にこの男に惚れたわけでもなく(だいいち男のほうが倍も年上)、子供も出来ず、勤勉なる夫と舅は朝も早くから仕事へでかけ、あとは一人ぽつねんと過ごすわびしい毎日に退屈しきっていた。そんなある日、夫の使用人である若い衆セルゲイとうっかり軽口を叩いたことから、やがて深い仲に。・・・マクベス夫人と呼びならわされた毒婦、カテリーナ。いやもう、やることは凄い凄い。凄いのだが可哀相なのだ。悪いのは全部男なのだ〜!夫も舅も愛人も、カテリーナの不幸の元。まじでカテリーナに同情してしまった私(^_^;)悪夢のような出来事を軽妙な語り口で描きながら、土着の説話風の力強さ、おおらかさもあって面白い作品でしたね。人間がロシアっぽい…。 『真珠の首飾り』―「時代とか現代人とかいうものも立派に反映しており、しかもそれなりにクリスマス物語の形式にも註文にもあてはまって、―つまりちょいとファンタスティックでもあり、なんらかの迷信の打破にも役立つものであり、おまけにめそめそしたのじゃない、明るい結末のついたものでもある、―そんな奴をね」・・・この物語は上記のような注文をつけられたある人物が、本当にあったクリスマス物語として友人たちに披露したものです。物語そのものはまあ、他愛ないものではありますが、微妙な人間模様が苦いような嬉しいような。ストーリーに先立って、「クリスマス・ストーリー」という文学上の一ジャンルについて語られている部分も面白かったです。 『かもじの美術家』―弟の乳母であるリュボーフィ・オニーシモヴナ、「彼女はじつに正直で、じつに柔和で、情あいのじつに濃やかな女だった。人生の悲劇的な面が好きで、しかも……時たまはかなり酒をやった」。彼女が「かなり酒を」やるようになったそのわけは、カツラ師でありメークアップ師であった男、つまり「かもじの美術家」であった男と大いに関係があるのだった。・・・これは本当に悲しいお話でした。全編に緊迫感があってドキドキさせられ、人間の無力さに絶望しつつ、同時に力強さも感じさせられたり。これには副題があるのです。―「一八六一年二月十九日なる、農奴解放の佳き日の聖なる記念に」―作品中に人間というものへの限りない愛おしさが感じられるのは、ロシアのこうした歴史に負うところも大きいのだろうなあ、などと思ったりしました。 岩波文庫です。最近復刊されたのだろうと思うのですけど、訳文は古いままで漢字も旧字体のものがそのまま使用されています。でもそんなに読みにくくはなく、却って雰囲気があってよかったかも。恋しい、が、戀しい、だとかね(^^) |
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昏き目の暗殺者The Blind Assassin | 2000 |
マーガレット・アトウッドMargaret Atwood(鴻巣友季子訳・早川書房) | |
「戦争が終結して十日後のこと、妹のローラの運転する車が橋から転落した」ローラの死は事故だったのか、それとも。著作「昏き目の暗殺者」によって後世に名を残したローラ。そのローラの名を冠した賞の授賞式に贈呈役として出席した姉アイリスは、老いた自らの姿を鏡に映しながら、安物のボールペンを握り、青い罫入りのメモパッドに向かう。「こんなこと、わたしは誰に向けて書いているのだろう?自分自身?そうとは思えない。のちのち読み返す自分の姿など想像できない。”のちのち”というのも存在が疑わしくなりつつあるが。見知らぬ未来の読者に向けて?私の死後。いいや、そんな野望も願望も、持ち合わせていない」 ★★★2000年ブッカー賞及び、2001年ダシール・ハメット賞受賞作。 物語は主人公アイリス(語り手)が妹ローラの死(事故死?それとも自殺?)の知らせを受けた場面の回想から始まります。ローラが遺したとされる小説「昏き目の暗殺者」が断片的に挟まれながら、老いたアイリスの現在の暮らしと、ローラと共に過ごした幼い日々、年上の夫リチャード・グリフェン(及び彼の妹ウィニフレッド)との結婚生活が、重層的に語られていきます。 ううん、なんていうか、面白くなかったわけでもないのですが、やや技巧的な感じが鼻についてしまいました。あんまり私には合わなかったかも(^_^;)言葉を次々と紡いでいく感じが、濃厚と言えなくはないのですが、少々しつこいと言う感じがついて回ってしまって。疲れました。体調かなあ〜(ーー;)もうすこし余韻がほしかったかも。でもまあ、筆力のある作家だなあ、というのは確かに。訳もかなり良かったのではないでしょうか。挿入されている「昏き目の暗殺者」では、不思議なSFみたいな小説が男女の寝物語として語られているのですけど、そのあたりの抑えた筆致と、アイリスの独白部分の生々しい毒舌ぶりの対称は面白いと思いました。でも実は、抑えた筆致というより「いやな感じのハードボイルド」と言う感じが強かったのですが(^_^;) 少々、不必要に長いような気がしていたのです。それはあらすじのところで引用した部分に関係してくるのですけど、一体アイリスはなぜ、この物語を語っているのか、というのが分からなかったからなんですね。何故?何のために?誰に向かって? アイリスの生涯については、共感できる…と思いますね。あの当時の女性としてはこれが精一杯の生き方だったろうし、もっとドメスティックな部分では、姉いもうとの関係というのも微妙なもんだなと。私にはローラに当たる親族がいないのですけどね、ローラみたいな妹って、難しいだろうなあ、と。姉として、それを支えて赦していかないといけない役割を振られたら辛いだろうなー。 「でも、わたしは自分をあなたの手にゆだねていく。ほかにどんな道があるだろう?(中略)そこがただひとつ、わたしの居る場所になるのだから」−この引用がどこに出てくるのかは、未読の方のために秘密にしておきますが、私としてはこの部分を読んで「うーん、なるほど、と思うべきなのか」、と。この部分を納得させるためには、何かが足りないような気がしています。素直に受け取った方が、精神衛生には良さそうですが(^_^;) |
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草の花 | 1954 |
福永武彦(新潮文庫) | |
東京郊外のサナトリウムで私は汐見茂思と出会った。決して病状の軽くなかった彼はしかし、検査結果がどんなに悪いときでも、「そうかいと言っただけで、格別の表情を示さなかった」。やがて彼は、難しい手術を受けることになる。「君、僕のこの枕の下にね、ノオトが二冊入れてあるんだ」もし僕が死んだら君にあげる、そういって手術に臨んだ汐見のそのノオトを、私は霊安室の凍りつくような畳の上でひとり読み耽った。 ★★★福永武彦は初めて読みました。 物語の最初の舞台はサナトリウムです。サナトリウムに百日紅の木。冬の光景としてはあまりに淋しい。夏なら沢山の花のつく百日紅も、冬はただ寒々しく、やがて夏が来る予感などは感じさせるはずもありません。そこにあるのはただ孤独のみ。「しかし、一人は一人だけの孤独を持ち、誰しもが鎖された壁のこちら側に屈み込んで、己の孤独の重みを量っていたのだ」 精神的な剛毅でもって私を捉えた汐見茂思。やがて自殺とも思える手術によって彼が死んだ後に、私に残された二冊のノオトには彼が学生時代とその後に愛した二人の人間への思いが記されていたのです。 第一の手帳には、高校の後輩である藤木忍、第二の手帳には藤木の妹である千枝子。この二人が汐見愛した二人であり、汐見を理解しなかった二人でもあります。汐見は愛しすぎて、怖れすぎて、孤独に閉じこもりすぎていたのかもしれません。 「ぎりぎりまで感情を抑え、千枝子への愛をこの隔離された時間の間に確かめることほど、僕に愛というものの本質を教えるものはなかった」「恐らく僕は、一方であまりにも自分の孤独を大事にしていたのだろう」 私などは凡人ですから、孤独なんてものは、耐えなきゃいけないときが必ずあるんだからその時はしょうがないけど、自ら進んでまで耐えることないのになあと思ってしまいます。あまりにも潔癖すぎるゆえの悲劇…潔癖であるということはときにエゴイストだと、人を傷つける武器になってしまうと、私は思います。「そんなにも無益な孤独が、千枝子に於ける神のように、僕のささやかな存在理由の全部だった。この孤独は無益だった。しかしこの孤独は純潔だった」彼は自分の孤独の無益さを知っていて、なおかつそれを捨て去ることは出来なかった。それは、それこそが彼自身だから。 だからいっそう、汐見が最後に千枝子に出した手紙が、私にはどうしようもなく悲しく感じられました。どちらかと言うと「ううん、自己完結してるよなあ…」と思いながら読んでいたのですが、この短い簡潔な、柔らかい手紙を読んで、私は泣いてしまいました。 |
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金閣寺 | 1956 |
三島由紀夫(新潮文庫) | |
「金閣は 私の手のうちに収まる小さな精巧な細工物のように思われる時があり、又、天空へどこまでも聳えてゆく巨大な怪物的な伽藍だと思われる時があった。美とは小さくも大きくもなく、適度なものだという考えが少年の私にはなかった。そこで小さな夏の花を見て、それが朝露に濡れておぼろな光を放っているように見えるとき、金閣のように美しい、と私は思った。また、雲が山のむこうに立ちはだかり、雷を含んで暗澹としたその縁だけを金色に輝かせているのを見るときも、こんな壮大さが金閣を思わせた」 ★★★特に説明の必要もないですが、昭和25年の鹿苑寺金閣放火事件を素材にした小説ですね。 主人公はどもりの障害を持つ若き学僧。幼い頃から父に金閣程美しいものは地上にない、と教えられました。「…金閣というその字面、その音韻から、私の心が描き出した金閣は、途方もないものであった」。初めて見た金閣は「美というものは、こんなにも美しくないものだろうか」という失望をもたらすのですが、やがて彼の心の中で甦り、「いつかは見る前よりももっと美しい金閣になった」のでした。 金閣に囚われ、金閣に干渉され、金閣がつねに絶対的な存在として君臨していた彼の意識の中では「金閣だけが形態を保持し、美を占有し、その余のものを砂塵に帰してしまう」。 どもりであること、そこから生まれる恥の意識、「他人がみんな滅びねばならぬ。私が本当に太陽に顔を向けられるためには、世界が滅びねばならぬ。…」という呪い、そして「金閣のように不滅のものは消滅させることができるのだ」という「純粋な破壊、取り返しのつかぬ破滅」へ。いやはや、なんというか、緻密な構成が巧いというか凄いというか。同時にあまりに美しいもの、あまりにも愛するものは、その存在自体に耐え切れずに破壊してしまいたくなる人間の奇妙な心理。それが存在することの喜びと、それによる呪縛、支配されていると感じる恨み?そしてあるうららかな日に、何かから解き放たれたような昼下がりに、「金閣を焼かねばならぬ」と思い至ることは、有り得ることのような気がしています。 再読なのですが、今回は柏木という友人にひどく興味を惹かれました。「俺は友達が壊れやすいものを抱いて生きているのを見るに耐えない。俺の親切はひたすらそれを壊すことだ」障害者で、それを武器にしているような嫌な人間で(いや、私自身は障害であれなんであれ、武器でも言い訳にでもしたらいいと思っていますが)、認識の虜になって、しかし自分自身を見ることができずに、醜い肉体と暗鬱な認識とで主人公に関わった男。「美の無益さ、美がわが肉体をとおりすぎて跡形もないこと、それが絶対に何ものをも変えぬこと、…柏木の愛したのはそれだったのだ。美が私にとってもそのようなものであったら、私の人生はどんなに身軽になっていたことだろう」 |
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吸魂鬼 | |
式貴士(角川文庫) | |
短編集。『SF作家倶楽部』『吸魂鬼』『エイリアン・レター』『海の墓』『カメレオン・ボール』『触覚魔』『シチショウ報告』 ★★★式貴士ですが、初めて読みました。なかなかバラエティに富んだ作品集でした。 『SF作家倶楽部』―KKK団のような頭巾とガウンに身を包んだ三人のSF作家。各時代からどういう基準からかは分かりませんが、Xと名乗る二千ウン十年のSF作家倶楽部の主催者が招待したこの三人に、Xは”顔”というテーマでSF作品を書くように依頼します。・・・それぞれの作中作(?)もまあ、なかなか面白いですが言及するほどのことは(笑)やっぱり、この三人が実は「・・・」だったのだ!と明かされてから、それを証明するためにとった行動のえげつなさが…(^_^;)ラストはうまくまとめられちゃったな、って感じかな。『吸魂鬼』―どういう訳か三ヶ月ほど顔と体だけが他人になってしまうという現象が。しかも三ヵ月後には蒸発するがごとく姿を完全に消してしまう。・・・ちょっと納得行かないところもあるのですがそれはそれ。「どうせ本当に食べてしまうくせに、吸魂鬼は人並みなセリフをはいてから、思わず照れて体を赤くした」ってところが、ケケケと面白かったのですがどうでしょう。『エイリアン・レター』―太陽系第三惑星地球に赴任したぼくは、いろいろなものを物質転送機を使ってふるさとの惑星に送るのが仕事。・・・文字通りエイリアンの手紙です。普通に紛れ込んでいるエイリアンが地球で見つけたものを報告したり、送ったりしているのですが、だんだんじわじわとその真相が…。奇妙な形をした四輪荷台って(怖)『海の墓』・・・朝・昼・夕と少年をテーマにした小品。ネタはどれも平凡ですが、海と少年というとなぜか奇妙にえろちっくだっり残酷だったり、甘かったりするのね。『カメレオン・ボール』―海で出会った巨大な飛行物体の衝突事件。UFOか?近寄った玲は残骸の中に、バスケットボール大の青い球が浮いているのを発見した。テレパシーで話し掛けるその球を、玲は持ち帰って大切に保管する。・・・で、結局そこから生まれたものは?勿論、アレですよ〜(って言われても?)。いや〜ロマンチックです(^_^)しかし、老婆の「○○」って想像つきません。さすがにそれを描く気になれなかったのでしょうね、きっと。『触覚魔』―おれに超能力があることは、小さい頃からわかっていた。・・・どんな超能力かっていうと…う〜ん、書きたくない(爆)エロい。グロい。ラストはシュールすぎる。ああ、人間の末路ってどうなの?こうなの?!みたいな。うう〜ん、問題作だにゃ〜。『シチショウ報告』―神様とのチンチロリン勝負で七つの命を手に入れたおれは、一人一ヶ月、七人で計七ヶ月の人生を送るべく、この世に戻ってきた。・・・そーか、人生ってこんなに色々あるのか、いいないいな。しかし、やはり望みどおりには行かないようで、それもまた人生?でも、これ以上どんな人生を経験したいんだか?雲散霧消したほうが良かったような気がするのは、すでにこの人生に倦んでしまっているからでしょうか、とほほ。 意外に楽しめました。…というのもちょっとどうなんでしょうね(^_^;)いやん、グロすぎて怖かったです〜、ってことにしときます、うふ。 |
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東方奇譚Nouvelles Orientales | |
マルグリット・ユルスナールMarguerite Yourcenar(多田智満子・白水Uブックス) | |
短編集。『老絵師の行方』『マルコの微笑』『死者の乳』『源氏の君の最後の恋』『ネーレイデスに恋した男』『燕の聖母』『寡婦アフロディシア』『斬首されたカーリ女神』『コルネリウス・ベルクの悲しみ』 ★★★著者マルグリット・ユルスナールは、ベルギー・ブリュッセルの名家の生まれ。フェミナ賞を二度受賞しているそうです。 『老絵師の行方』―「老画家汪沸(わんふお)とその弟子玲(りん)は、漢の大帝国の路から路へ、さすらいの旅をつづけていた。」わずかな持ち物と共に、ある日のたそがれ時、彼らは帝都の郊外にたどりついた。一夜の宿で二人は、兵士に捕えられる。兵士は二人を、天子の在わす広間へと連れて行った。・・・わたくしがあなたさまになにをしたというのでございましょう?捕えられた老絵師の問いかけに、天子はこう答えます。「老いたる汪よ、治めるに値する唯一の帝国は、汝が千の曲線と万の色彩をの道を辿って入りこむ帝国なのだ」さて、この言葉の真意はこれだけではわかりにくいですよね。天子は汪沸の犯した罪にふさわしい罰を与えようとします。はて、老絵師の犯した罪とは。無感動な天子の言葉は、淡々として尚も不思議なほどの切実さをもって心に迫ってくるものでした。しかし、それにもまして、この老絵師の描き出す世界とその広がりの、尽くしがたい美しさ。言葉で表現できる限界ではないかと思えるほど素晴らしいと思いました。 最初の作品があまりにも素敵だったので、あとの作品がもうひとつ満足いくものに感じられなかったのは残念なところです。それぞれに趣のある作品ばかりだとは思うのですが…。『マルコの微笑』『死者の乳』はなんとなく未完成な感じが民話風で面白い作品。『源氏の君の最後の恋』は源氏と花散里の最後の交わりを描いたものですが、源氏も花散里もちょっとイメージが違うような気がしました。『燕の聖母』は「神の平和」とは?というのをちょっと考えさせられますが、寓話的な面白さがありました。『寡婦アフロディシア』『斬首されたカーリ女神』は精神と肉欲の悲しき末路とでもいうか…。どちらも最後には「道」がさし示されているようでもありますが、その道がどこに通じているのかは。「−われらはみなきれぎれ断片であり、影であり、とりとめのない幻なのだ。幾世紀ものむかしから、われらはみな泣くと信じ、楽しむと信じてきただけのこと」 |
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