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吸血鬼カーミラCarmilla and other stories 1839
レ・ファニュLe Fanu(平井呈一訳・創元推理文庫)
短編集。『白い手の怪』『墓堀りクリックの死』『シャルケン画伯』『大地主トビーの遺言』『仇魔』『判事ハーボットル氏』『吸血鬼カーミラ』
★★★こういうお話しに理屈っぽい感想をつけるなんて、野暮の骨頂というか^^;、内心忸怩たるものもあるのですが、一応ちょっとだけ・・・
『白い手の怪』「瓦屋根の屋敷」の借地権を娘夫妻に譲ったハーパー氏は、突然、地所の差配を任されているキャッスルマラード卿に、あの屋敷には幽霊が出るからとても住めない、と娘が言い出したと打ち明けた。事の次第はこうだ。娘であるプロッサー夫人が、ある夕方果樹園が見渡せる開け放した窓際に一人座っていると、窓の外側に白いぶよぶよふと太った手が現れたというのだ。白い手が、太っていて品がいい、というのがかえって不気味です。はじめ家の外にいた手が、するっと家の中に入ってくる、というあたり、臨場感ひしひしですね。これは『墓畔の家』という長編の第十二章を独立させたものだそうです。
『墓堀クリックの死』若い頃飛び出した故郷に戻って、墓掘り男になったトビー・クリックは、教会から鐘を盗み出そうとして天罰てきめん、はしごから落ちて死んだ。そのトビーの死体が寝かしてある旅籠屋に、騎士の亡霊のような男がやってきた。気前よく酒を振舞う男の魂胆は、クリックの死骸を奪うことだった。舞台はゴールデン・フライヤーズ。童話の町のような美しいこの町と、墓掘り男クリック、それに夜半に登場して死人を盗もうとする男の対称が不思議な雰囲気。昼と夜では、世界は変わってしまうのかもしれません。
『シャルケン画伯』シャルケン画伯の注目すべき作品の一つが、人に感銘を与えるのには理由がある。それは実際にあった怪事件を題材にしているのだ。その事件とは、彼がまだ師匠について絵の勉強をはじめたばかりの頃のことだった。師匠の姪ローゼの前に怪しい求婚者が現れた。大枚の金を積んで伯父である師匠に結婚の承諾を迫った男の正体は。求婚者ヴァンデルハウゼン卿とは何者?姿の見えないものが家の中にするりと入り込むというモチーフがここでも出てきます。気配、というものに潜む恐怖は格別のものがありますね。一瞬の隙をつかれて奪われたローゼの運命には、身の毛がよだつ・・・。彼らの世界の住人になってしまったのでしょうか。
『大地主トビーの遺言』トビー・マーストン老人がみまかった。残された二人の息子を、たちどころに不和反目に追い込む遺言状を残して。その後の運命はスクループとチャールズにとって過酷なものであった。トビー老人は結局、息子のどちらも好きではなかったのかしらん。なんとしても二人を滅ぼさずにはおくものか、という感じが怖いです。彼の怨念が乗り移ったブルドッグの描写が妙にリアル。
『仇魔』社交界にお目見得したばかりの美女と婚約寸前。幸せなバートン氏を恐怖が突然襲う。自分にしか聞こえない足音が、彼を付け狙うのだ。彼には何か心当たりがあるらしいが、人にはそれを決して話す事はなかった。やがて足音は、はっきりとした姿をあらわすようになり、バートン氏は、恐怖のあまり病の床につく。追いかける足音。それがついにまがまがしい人の姿となって・・・決して逃れることはできないと悟らされる恐怖。死神に見入られて、後はもう運命のときを待つばかり。待つのはつらい(ーー;)
『判事ハーボットル氏』悪徳判事ハーボットル氏がみた不思議な夢。「死活ノ国」ノ検事、から裁判への召喚状が届いたのだ。やがてハーボットル氏は裁判場に引き出される。そこで有罪の判決を受けたハーボットル氏がたどる運命とは。ゆがんだ闇の向こうで行われているのは、正義の裁きだったのでしょう。まあ、悪い奴だからね〜。
『吸血鬼カーミラ』人里はなれた屋敷に住むローラとその父の下へ、ある日旅の途中で病に倒れた少女が預けられた。少女の名前はカーミラ。類まれな美しさをもつカーミラの顔をローラが見たとき、二人の間に不思議なつながりがあったことが分かる。それは、かつて幼かったローラが夢で出会った少女の顔だったのだ。しかもカーミラもまったく同じ頃、ローラの顔を夢に見たことがあるという。すっかり仲良くなった二人だが、カーミラは時に奇怪な行動をとり、ローラを不安にさせた。やがてローラは夢ともつかぬ奇妙な体験をし、徐々に心と体を蝕まれていく。吸血鬼、という存在は、私は業を背負った悲しむべき存在だと思っているのですが、このお話しでも、やはりそういう感じを受けました。カーミラは吸血鬼として獲物にローラを選んだというより、どうしようもなく美しい少女たちに心惹かれるのに、吸血鬼としてしか愛せない、そんなかなしみを抱えているような気がします。
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デュ・モーリア傑作集The Apple Tree(Kiss me again,Stranger) 1952
ダフネ・デュ・モーリアDaphne de Maurier(務台夏子訳・創元推理文庫)
短編集。『恋人』『鳥』『写真家』『モンテ・ヴェリタ』『林檎の木』『番(つがい)』『裂けた時間』『動機』
★★★『恋人』除隊後、自動車修理工場で働くぼくが出会った彼女。映画館の案内嬢として働く彼女に心を奪われたぼくは、彼女の後をつけて同じバスに乗り込んでしまう。奇妙な彼女の言動に戸惑いつつも、翌日プレゼントを買って彼女に会いに出かけた彼が聞かされた意外な事実とは。ぼく、の純粋な愛情と、彼女の正体の対比が怖い。しかし、彼女、については得体の知れないもの、として描いたほうがよかったような気がしました。つかまっちゃうというのは、どうもね・・・
『鳥』ある東風の強い夜、ナットは目を覚ました。窓をコツコツと打つ音。鳥が中に入ろうとしているのだ。朝の光の中、ナットは散乱したたくさんの小さな死骸を発見する。翌日、闇が早くも町に迫る。いや、それは闇ではなく、何百、何千のカモメだった。鳥が町を暗くしていたのだ。この描写は怖いです。鳥がナットの家を現実に襲う場面も怖いけど、カモメたちが何らかの指令を待って、海の上にただ留まっている・・・、空を暗く覆い尽くすほどに。やがて迫りくるときを、ただ待っている。こわ〜・・・人間に勝ち目は、無さそうです。
『写真家』なんてロマンチックな結婚。しかしそれは、侯爵夫人に限りない退屈、果てしなく続く変化のない日々をもたらした。そんなある日、リゾート地で出会った足の不自由な写真家。彼の純粋な賛美のまなざしに、不思議な勝利感を覚え、情事を楽しむが。ぎらつく太陽の光、乾いた空気、シェスタの静けさ・・・肌で感じられるような描写です。侯爵夫人の心のうつろいも、この情景の中にぴったりはまってます。ひとつ不満があるとすれば、最後の脅迫はなくてもよかったかな。恐るべき将来を暗示する侯爵の言葉だけで十分かと。
『モンテ・ヴェリタ』ヴィクターとわたしは山を愛する親友同士だった。ヴィクターが結婚することになったアンナにであったわたしは、彼女の美しさもさりながら、その佇まいに強く心を惹かれる。やがてヴィクターとアンナは二人で「モンテ・ヴェリタ」という山に登りことになる。わたしは仕事もあって同行しなかったが、仕事から帰ったわたしは、ヴィクターが妻に捨てられたショックで入院していることを知って驚く。病院でヴィクターから聞かされた物語は驚くべきものだった。アンナは「モンテ・ヴェリタ」にさらわれたと言うのだ。「モンテ・ヴェリタ」の真実はなんだったのでしょう。三つの解決のうち、シニカルな気分のときに感じるという第三の解決が、いかにも悲しく、不安な気持ちにさせるのです。最後に出会ったアンナが生身の人間だったと言う確信が、この物語を深くさせている・・・と思います。
『林檎の木』うっとうしい妻が死んだあと、気ままな生活を楽しむ彼。ただひとつ気に入らないのは、庭にたつ林檎の木。死んだミッジを思わせるような、気の滅入るような姿だ。その忌々しい木は、どういうわけか芽を出し、花をつけ、ついには実をたわわにみのらす。単なる被害妄想なのか、それともミッジの怨念なのか。何てこともない林檎の木にこだわり続ける「彼」は、滑稽でもあり、哀れでもあり。最初なんともいやな感じだったミッジが、だんだん哀れに思えてきて。やっぱり、彼を愛していたのでしょうねぇ。
『番(つがい)』誇り高き「爺さん」とその家族の物語。これはストーリーを書けません^^;最後に、おっと!という感動が。再読せざるを得ませんね。
『裂けた時間』<夫を病で亡くしてしまったけれど、可愛い娘に恵まれて、まあまあ幸せな毎日をおくるミセス・エリス。ところがある日散歩から帰ると自宅はおかしな連中に占拠されていた。とんでもない犯罪が行われているのだわ!一生懸命説明しようとする彼女を、警察も誰も信用してくれない。もちろん、タイムスリップなんですが、普通そんなこと誰も思いつきませんよね。誰にも分かってもらえない、というか、彼女自身もまさか自分が20年後の世界にいるなんて思わないわけですし。結構コミカルに描かれていますが、この状況は、怖いですよね〜。
『動機』メアリー・マクファーレンは、銃器室で夫のリボルバーに弾を込め、自分を撃った。幸せな結婚生活、やがて生まれることになっていた子供。自殺の原因になることは、真実なにも見つけられない。夫のサー・ジョンは妊娠期の憂鬱による自殺という結論に納得できなかった。サー・ジョンに妻の自殺の原因を突き止めることを依頼された探偵ブラックは、メアリーの過去を探る。自殺するほどのショックを、一体メアリーはなにによって受けたのか?それも、ほんの短い間に?ブラックがたどるメアリーの過去は、深い闇に閉ざされていたのでした。皮肉な巡り合わせ・・・いや、これは必然だったのでしょうか。ブラックの最後の思いやりにほっと一安心したわたしです。
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停電の夜にInterpreter of Maladies 1999
ジュンパ・ラヒリJhumpa Lahiri(小川高義訳・新潮クレスト・ブックス)
「何か言いっこするのよ、暗い中で・・・いままで黙ってたことをいうなんてのは?」停電の夜に、ろうそくを灯しながら他愛のない秘密を打ち明けあう夫婦。初めての子供を死産でなくして以来、ギクシャクとしていた二人の関係は、この幾晩かの停電の夜に、あるいは修復できるかにも思えたのだが。停電の終わった夜、ふたりがついに口にした言葉は、決していってはならないことだったのかもしれない。
★★★ピューリッツア賞文学部門受賞の短編集です。作者のラヒリはロンドン生まれで、幼いときに両親と渡米しました。その両親がカルカッタ出身のインド人だということです。
『停電の夜に』停電の夜に、昔話さなかったこと、秘密にしていたこと、そんなことを打ち明けあう。それは本当に「特別な夜」になったのです。お互いに傷つけあうことを怖れてものを言わなくなってしまっていた夫婦の間で、「ものが言えるようになったのだ。」しかし、本当に言わなければならないことを、言い出すことは出来なかったのでしょうか。でも、一緒に泣くことができるなら、あるいは・・・
『ピルザダさんが食事に来たころ』インドの出身者を懐かしがって両親が食事に招いていたピルザダさん。彼の故郷はパキスタンにあって、いまそこは内乱の最中であった。ピルザダさんの家族のことがなんとなく気にかかる私は、ピルザダさんに貰ったお菓子に願掛けをする。ピルザダさんの家族は内乱の国にいて、ピルザダさんにも全く消息が分からなくなっているのです。世界の向うではそんな事が起きているというのに、「私」が学校で習っているのはほんとに狭い世界のことばかり。ピルザダさんがいなくなって初めて、「はるかに遠い人を思う」ということを知った「私」。人はこうして成長していくのですね。
『病気の通訳』土日だけ、観光客のツアーガイドをしているカパーシーの本業は「病気の通訳」だ。医者と患者の間の通訳をする、という彼の言葉に「ロマンチックだわ」といってくれたのは、なんとなくかみ合わない感じのダス夫妻の奥さんのほう。大げさな感嘆の言葉になんとなく感激してしまったカパーシー氏に、一緒に撮った写真を送るから、と住所を聞いてきた奥さん。写真が来たら、どんな返事を書こう?とうきうき想像をめぐらすカパーシー氏だが。カパーシー氏の心の動きが、楽しくもあり、哀れでもあり。彼の生真面目さと、ダス夫人のいい加減さの対称がいい感じです。風にのって飛んでいったのは、紙切れだけじゃなかったかも。
『本物の門番』階段掃除と門番の真似事をすることでそこに置いてもらっているプーリー・マー。彼女はかつてはいい暮らしをしていたのだと言い暮らしている。誰も本気にすることがなくても、住んでいたという屋敷の大きさが日を追うごとに広くなっても、お構いなしだ。ある日、アパートの階段の上がり口に流し台が据えられたときから、彼女の運命が変わり始めた。人はなんて勝手なものなんでしょう。住民の一人が毛布を買ってくるからね、と言い残した言葉を信じて待っていたプーリー・マーの心情がなんとも哀れで・・・。どこで、どうしているのだろうか?妙に気になる結末です。
『セン夫人の家』母が帰宅するまでの時間、エリオットが預けられることになったセン夫人。その家はエリオットにとってはなかなか面白い場所だった。そこは夫人がふるさとインドを思う場所でもある。最近、セン夫人は自動車の免許を取ろうと練習中だ。しかし、セン夫人にとっては車を運転することは、とても難しいことなのである。・・・セン夫人のどうしようもない淋しさ。インドに帰ることはできない。新鮮な魚一匹丸ごと手に入れて、料理することもできない。人から見ればくだらないことでしょうけど。でも、多分エリオットは理解することができたのではないかな。
『ビビ・ハルダーの治療』生まれてから29年間、ビビは患いつづけていた。何の前触れもなく突然訪れる苦しい発作。ふらっと倒れて気絶したかと思うと、突然狂躁状態になるという奇病だ。そのせいで結婚もできず、仕事もいとこの商売を手伝ってようやく食べさせてもらっている、というような状態。愚痴をこぼしつづけるかと思ったら、突然結婚願望に取りつかれた。それというのも医者が言ったのだ、結婚すれば直るよ、と。それからというもの、考えることは結婚のことばかり。しかし、こればかりは相手がいないことには。・・・すごい不幸な女なのです、このビビ、という人は。病気をかかえ、両親もなく、いとこの家に置いてもらって、半端な仕事をして食事をあてがってもらって。いとこの妻が妊娠したときには、疫病神のように扱われ・・・ところが妙にユーモアに満ちているのが不思議。しかも最後は、ハッピーエンドと来たものだ。
『三度目で最後の大陸』インドからロンドンへ渡り、大学を出た後、仕事の口を見つけて今度はアメリカ大陸へ。おっと、その前にカルカッタで結婚式を挙げて、花嫁を兄夫婦のもとへ六週間預け(インドではこれは当然のことらしい)単身アメリカへやってきた。ようやく見つけた下宿を訪ねてみると、そこには百三歳になるという家主のおばあさん、ミセス・クロフトがいた。奇矯な夫人ではあるが、妙に心惹かれてしまう。・・・これが、イチオシです。ミセス・クロフトの造形が素晴らしい。そして主人公の心の変化もとても自然で、好感が持てました。新婚の妻マーラに対する正直な気持ちの描写には、最初ちょっと戸惑いましたが、マーラと自分の関係の重要さに気付くあの瞬間には・・・。ミス・クロフトが「完璧」と言うくだりで、何でかな〜ちょっと涙が出そうになりました。普通のことが続いていることが、すごいことなんだよね。
ほかに『セクシー』『神の恵みの家』を収録。
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雪の中の三人男Drei Manner im Schnee 1934
エーリヒ・ケストナーErich Kastner(小松太郎訳・創元推理文庫)
トーブラー・コンツェルンの会長エドゥアルト・トーブラーは、自社の懸賞にシュルツェと名を偽って応募し、二等に当選した。トーブラーはこの懸賞の商品「ブラックボレインのグランドホテルに十日間滞在」に、貧乏人のふりをして参加する、と家族に告げて皆を驚かせる。心配した娘のヒルデが、ホテルに電話し、かくかくしかじか、どうぞよろしくと言ったせいで、とんでもない事態が勃発する。というのも、同じ懸賞の一等賞同じホテルでの滞在が商品であり、それに当選したハーゲドルンこそ、正真正銘の貧乏失業者だったのだ。ホテルの一同は貧乏人のふりをしてやってくる百万長者に楽しんでいただくべくさまざまな準備をするが、ハーゲドルンと、トーブラーを取り違えたため、ハーゲドルンはすっかり困惑してしまう。そんなハーゲドルンを尻目に、トーブラーは貧乏人の真似ごっこを満喫するが・・・
★★★困ったのもです、金持ちの道楽ってやつは・・・と思いつつなんかちょっと分かる気がするのは、やっぱり「自分とは正反対の自分」に憧れることって、あるからな〜と思うせいでしょうか。そして、金持ちのトーブラーがその後ろ盾がなくなった自分に対して、世間がどんな風に扱ってくれるものか、ということに思いを致したのは、なかなか感心なことなのかもしれません。でも、結局、金持ちが貧乏人のふりをしているだけで、トーブラーの特権意識というのは、身に染み付いちゃってるようでもありますが。大体、貧乏人を楽しむ、なんていうのは、不遜ではないですか!・・・とかいいつつも、このお話はお伽話のように、なんか浮世離れした楽しさがあるんですよ。
トーブラーの下男のヨーハンは、立派な紳士のふりをして、この旅行に参加することになるのですが、このヨーハンの一途な下男ぶりがいいですね。トーブラー「・・・おれは自分のはいっているガラス室をぶち毀してみたいんだよ」ヨーハン「目をお怪我なさいますよ」・・・なんて会話も雰囲気でてると思いませんか。ハウスキーパーのクンケル夫人のおとぼけぶりも楽しいし、ハーゲドルンの母親がよこす手紙のとりとめのない暖かさにもこころが柔らかくなりました。
いよいよ、扱いかねてホテルの支配人たちがトーブラーを追い出そうとしたとき、トーブラーとホテルのポーターの会話が印象的でした。「それじゃあやっぱり、貧乏が恥なんじゃないか!」というトーブラーに対して、ホテル支配人たちは立場が違えば金をもっていることが恥になることもある、と言います。金持ちをあからさまに優遇するホテル側の人たちもやなやつだけど、貧乏人に扮して人を試そうとする金持ちも悪趣味ですよね。まあ、このようにちょっと教訓的なところもあるんですが、やはり一番素晴らしかったのは、三人の男(トーブラー、ハーゲドルン、ヨーハン)が澄みきった冷たい山の空気をすいながら、金や銀やダイヤモンドのかけらを撒き散らしたような星空の下、雪人形を作るシーンです。禿げちゃびんのカシミヤ。大の大人がよってたかって・・・楽しそうじゃありませんか。
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三島由紀夫レター教室  
三島由紀夫(ちくま文庫)
五人の登場人物による書簡集。登場するのは「氷ママ子(45)―堂々たる未亡人、もと美人」「山トビ夫(45)―服飾デザイナー、チョビ髭」「空ミツ子(20)―腰掛けOL」「炎タケル(23)―芝居の演出家の卵、理屈っぽい」「丸トラ一(25)―ミツ子のいとこ、まんまるに太った楽天家」・・・五人の共通点は「筆まめである」ということ。
★★★「古風なラブレター」ママ子さんが銀行の融資担当からもらったラブレターをトビ夫に見せるの巻。ママ子さん、かなりうれしいご様子。こ〜んな面白いものもらっちゃったわよ〜(^^)トビ夫さんの返事は、そこのところをうまくくすぐってますね。
「借金の申し込み」トラ一君の手紙のほうが好き。でもタケルのほうが巧い。トビ夫さんも、こう言われたら、貸さないわけにも行かないではありませんか。
「処女でないことを打ち明ける手紙」一言で言えることも、手紙だとくだくだ書けるのでいいですね(~_~;)トビ夫さんったら、分かってるくせにぃ。
「愛を裏切った男への脅迫状」この手紙を書いたのは逆上していたからでしょうが、これをトビ夫さんに見せるのはどんな魂胆が?逆上時の手紙ほどこっぱずかしいものはない・・・
「招待を断る手紙」社交は、建て前が第一原則・・・なるほど。
「恋敵を中傷する手紙」トビ夫さんの手紙、面白がってるとしか思えないのですが。ママ子さんの「恋愛というものは「若さ」と「バカさ」をあわせもった年齢の特技で、「若さ」も「バカさ」も失った時に、恋愛の資格を失うのかもしれませんわ」というのは名文句だな〜と・・・
「英文の手紙を書くコツ」これはいいですね。なるほどなるほど。私も典型的日本人だな〜
「妊娠を知らせる手紙」ミツ子さんの一本勝ち!
「陰謀を打ち明ける手紙」こんな手紙を書くなんて、一体どうしちゃったのでしょう。でも、これ本心じゃないでしょう。トビ夫さんがバカ正直にリクエストに答えたら、相当軽蔑しそうな気がしますが。
「閑な人の閑な手紙」こういうのも、たまに貰うと気分がすっきりしていいかも。
「悪男悪女の仲なおりの手紙」いろいろあったけど、最後はずいぶんやさしいお手紙。この手紙のママ子さんはでも、ちょっとおもしろくな〜い。(他人事だから、そう思うんだろうね)でも、もしかしてママ子さん、最終目的達成したってことか?そんな策略家だったとしたらすごい。もしそうだとしたら、トビ夫さんなんて、ちょいと手玉にとられたってとこですね。男のほうが単純ってことかも。
結論;人を動かす手紙を書くのは、難しい!しかし、自分に対する関心をかき立てる事に成功したら、目的はほぼ達成されたといっていい(かも)。
あとは相手のプライドをちょいとくすぐるか、ちょっとした隙を見せて、優越感を煽るか。
う〜ん、手紙って、書こうとすると考えすぎるんですよね。こう書いたら、誤解させるかも・・・とか、ちょっと格好つけようとか。最近書いてないな〜。
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レベッカRebecca 1938
ダフネ・デュ・モーリアDaphne de Maurier(大久保康雄訳・新潮文庫)
年90ポンドで金持ち夫人のお相手役(コンパニオン)をつとめる「私」の前に現れたイギリス紳士。マンダレイの所有者であり、一年前に妻を水難事故で亡くしたマキシムに結婚を申し込まれた「私」は戸惑いながらも結婚を決意する。フランス、イタリアでハネムーンを過ごした後、マンダレイに帰ってきた二人だが、「私」を待ち受けていたのは不慣れな御屋敷暮らしだった。だが何よりも「私」を悩ましたのはマンダレイのそこここに残る、マキシムの前妻レベッカの亡霊だった。素晴らしい妻であり、主婦であったレベッカの影に「私」はただおびえるのみだった。そして初めての仮装舞踏会、「私」は生前のレベッカが最後の舞踏会で着たものと同じ仮装をするという大失敗を・・・。マキシムの顔に浮かぶ驚きと怒りにすっかり打ちのめされる「私」。しかしその翌日、事態は大きく転換する。レベッカが水死した入江で座礁した難破船を調査した際、そこに沈むレベッカの小船が見つかったのだ。そしてしっかりと扉を閉められた船室には、ひとつの死体が。やがてマキシムは驚くべき告白を語りはじめる。
★★★このお話は私が当初思っていたものとはぜんぜん違っていました。なぜか私は「レベッカ」はゴシック・ホラーで、幽霊譚のような話だとばかり思っていたのです。レベッカの幽霊が夜な夜な新妻を苦しめる?というような。ところが実はぜんぜん違いました。そして私はこの薫り高いサスペンスドラマにすっかり夢中でページを繰る手ももどかしく、近年まれなほどのスピードで読み終えてしまいました。
「私」を取り巻く状況にはかなりつらいものがあります。慣れない御屋敷暮らし、近所とのお付き合い、使用人の扱い方。貴婦人として生まれていれば、なんでもなくこなすはずの細々したしきたりや、ちょっとしたお愛想。そんなものがすべて「私」にとっては負担であり、劣等感にもつながって。その上「完璧な」レベッカの思い出話を聞かされること。「前のデ・ウィンターの奥様は…云々」。頼みの綱のマキシムはどっちを向いているのか分からない。そしてレベッカの忠実な僕であった、デンヴァース夫人のあからさまな敵意にも心を傷つけられます。
「私」の心の中に住む恐怖がどんどん大きくなっていく様、それそのものがサスペンスなんですね。目に見える、形のある恐怖ではなく、心の中にだけあるもの。だからこそ、どうしようもなく大きくふくらんでそれ以外のことは何も考えられなくなり、すべてがそこに結びついているように思えて制御不可能になってゆく・・・。「私」が仮装舞踏会で大失敗をするのはデンヴァース夫人の策略なのですが、客席から眺めている私は、あ〜なんかの陰謀に違いないよ〜、引っかかっちゃだめだよ〜と思うのですが、でも、「私」の気持ちも分かります。恐れている人から親切っぽいことをされると、ついはめられてしまうんですよね。こわいですよね〜。
レベッカの描き方が印象的でした。はじめは「素晴らしい」「完璧」「美しい」というようなことばかりで、姿がはっきりとは思い浮かべられなかったのですがいろいろな人の口を通してだんだん顔や姿が見えてきて、それと同時に印象も徐々に変化していきました。そしていよいよマキシムによってレベッカの本当の姿が語られたとき、唐突な変化という感じもなく、全く違和感なく受け入れられました。彼女の顔の表情まではっきりと思い描くことができるくらい。この描写力は素晴らしいと思いました。それと同時に「私」を取り巻く人々、ヴァン・ホッパー夫人の奇妙に子供じみた金持ち夫人らしい性格、地域の人々の俗人ぶり、「私」がたびたび想像して苦しむ召使階級のおしゃべり、マキシムの姉夫婦の凡庸さ。これらがリアリティを盛り上げている感じがしました。
ページをめくる手ももどかしく・・・と書きましたが、ところどころ、その風景の香りが漂ってくるような場面があり・・・そこではしばし立止まってその香りを楽しむこともありました。
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銀の匙 1912
中勘助(岩波文庫)
書斎の本箱の引き出しに入っているコルクの小箱。中には子供時代のこまごました玩具のあれこれが入っていた。「そのうちにひとつ珍しい形の銀の小匙があることをかつて忘れたことはない」子供から少年、そして青年にいたる成長の記をそれぞれの時代の目で、体験をそのままに描いた自伝風の小説。
★★★ずいぶん以前から読みたいと思っていた中勘助の名作。この美しい小説の感想などというものを書く必要があるのか、とも思いますが・・・。
子供時代。この小説を読むと、それは確かにあった、ということを強く感じます。お祭りの風景や、主人公を育てた信心深い伯母に連れられてのお詣り。お気に入りの玩具や、飽きるほど繰り返した遊び。初めてのお友達。そんな出来事が子供の自意識のままに淡々と語られます。そして読み進める私には「これは、私のことだ」と思える描写が次々と・・・。楽しみ、恐れ、不安、喜び。漠として心の澱となって微かに残っていた思い出の残滓を、ふっと浮かび上がらせるような。
やがて主人公も学校に上がり、だんだんに成長していきます。「前篇」では、最後に悲しい別れを迎えます。しかし「後篇」蟹本さん、とのふれあいが印象的です。―「蟹本さんは私のように望ましい連れがないゆえに余儀なくひとりでいるのではなくてはじめからほんとになんにもいらない人なのであった」―それまで、いろいろな人とふれあってはいたものの、自分の目からしかものを見ることのなかった主人公がはじめて「他人」を理解したときではないかと思うのです。そのあとの少林寺の老僧との出会いも印象的です。どうしても話しかける事ができないで、ただお茶を供することでつながっていた老僧が絵を書いてくれるのです。「木から落ちた猿」のような心境になる主人公。やがて主人公を育ててくれた伯母が健康を害したところにたずねていく場面では、私はすっかり感傷的になって泣いてしまいました。別れ、と出会いがこもごも。
そして友人の家に滞在してるときに出会う「姉様」。星を眺めながら、虫の音を聞きながら、月が天にさしかかるころ、「姉様」の去っていった寂寥が、しみじみ心を打つのです。
「子供の憧憬が空をめぐる冷たい石を、お星さん、と呼ぶのがそんなに悪いことであったろうか。」一番心に残った言葉です。
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ニューヨーク恋模様  
アーウィン・ショーIrwin Shaw(常盤新平訳・講談社文庫)
小粋な短編小説集、と思って読み始めたら、中にはなんとも重いテーマのものも含まれていて、ちょっとつらい気分。13の短編が収録されています。
「不道徳な話」いまいちな芝居を見た。でもちょっといい感じの女優もいた。その後で入ったレストランで最初妻は楽しそうだったに見えたのだが、女優と夫が知り合いだったことを知って、たちまちつむじを曲げた。ほんとに、もうちょっと捨て鉢になれたら人生も楽しいことがあるのかも・・・。でもたいていの人間はきっとこわごわ生きているんですね。
「かなしみの家」女優に送ったままになっている劇作を返してもらおうと彼女を訪れた劇作家。彼女にとってその作品の内容は耐えがたいものだったらしい。華やかな世界に住んでいるように見える人々も、実はみんな「かなしみの家」に住んでいるのかもしれません。
「恋模様」君にはチャーリー・リンチがいる。ぼくのことは放っといてくれ!三角関係の結末は?人が人を好きになることは当然ですが、両思いになれるって言うのはほとんど奇跡ではないか、と常々おもっているのです。
「混合ダブルス」素敵な、魅力的なスチュアート。テニスもうまいし、余裕があるし、精悍で男らしいし、やさしいし。でも・・・本当の姿を認めなければならない時が来ているのだろうか。すごく揺れ動く気持ち、わかります。認めたくないんですよね。テニスボールがいったり来たりするように、人の気持ちもいったり来たり。試合が終わるときが来たら、それは何かを決断するとき。
「正義の勝利」何も借りてませんよ。証文もない借金をめぐって裁判を起こしたマイク。妻は勝てるわけがない、とうんざりした様子だが。裁判、というものの本来の目的、それは正義に勝利をもたらすためのもののはずですよね。
「夜と誕生と意見」それぞれ故国を別にするアメリカ人同士の対立。戦争のさなか、それは致命的にも思えたが、ある女が入ってきたことで彼らの中で何かが変わる。多民族国家ならでは。確かにアメリカ市民ではありながら、自分のルーツをひきずってしまい、攻撃されることは、つらくもあり、恥ずかしくもあり、複雑な気持ちでしょうね。でも、この結末は、とても感動的です。
「異国の国の住人たち」1918年、キエフで起こった大虐殺。親しく挨拶をし合って暮らしてきた隣人同士でさえも、民族の対立の前では、変わってしまうのか。神様のおそばにいて、実生活をみようとしない父。臆病に屈する兄。戦う自分。真実も何もない、そんな時代に生きるとき、どれが正しい生き方だったのでしょう。じぶんの思いに従って行動しても、結局残るのは苦い後悔。本当に平和がありがたいということを私たちは実感しなければ。
「心変わり」病気で入院する、という体験のあと、突然家を出た男。その男の妻と自分の妻が知り合いであることから妻に頼まれて仕方なく、親友であるその男に事情を聞く羽目になったのだが、なんとも気が進まない。いやはや、身勝手なヤツ!と切り捨てることは簡単ですが、なんとなく分かるような、そして事情を聞かされたほうの男も、今後どうなっていくのか、心配でもあり、まあ、なるようになるさ、という感じでもあり。人生が「つまらん・・・」て思う瞬間てあるもんですものね。しかもそれが死ぬ瞬間だったら、どうしましょう。
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デイジー・ミラーDaisy Miller 1878
ヘンリー・ジェイムズHenry James(西川正身訳・新潮文庫)
スイスの小さな町ヴェヴェーでアメリカ青年ウィンターボーンは、同じアメリカ人の娘デイジーと出会った。際立って美しく、ふしだらといえなくもないほど社交好きな彼女に、当惑しつつすっかり心を魅せられてしまったウィンターボーンは彼女をどう理解したらいいのか、途方にくれる。自国アメリカから離れて長くヨーロッパに住んだため、当世アメリカ娘気質に全く不案内になってしまっていたのだ。しかし、案の定デイジーはその開放的な行動で、ヨーロッパの社交界の顰蹙をかう。無邪気に自分をさらけ出すデイジーの素朴さと、表面だけの礼節を重んじるヨーロッパ社会の堅苦しさ。その狭間でウィンターボーンも彼独自の目で彼女を評価することができない。
★★★デイジー・ミラー、社交好きで男友達をたくさん持つことが好きな、ごく普通の娘です。この娘を理解しようとして理解しきれないウィンターボーンという青年、彼は何でこんなに頭でっかちなのかな?何かの基準に彼女を当てはめることができるはずだ、そんなふうに考えて考えすぎて、結局自分の中にその基準を探し出すことができなくて悩んでいる。周囲のヨーロッパに住む同国人たちが彼女を批判するのに対し、明確な考えをもたない彼は反論することさえできない。これではデイジーが彼に絶望してもしょうがないですね。でもデイジーは彼のことが好きだったみたい。自分に対してなぜほかの人と同じことを言うんだろう、なにがいけないと言うんだろう、と悲しい気持ちだったことでしょう。デイジー・ミラーを正しく解釈する方法・・・そんな上から見下ろすような考え方でなく彼女を見ることができたなら・・・でもデイジーの死の直前にさえ、彼はデイジーを「見る」ことはできなかったようです。
19世紀のヨーロッパ社会。当時のアメリカ人にとってはあこがれであり、その基準こそ絶対だったのかも・・・。(よくわかりませんが)典型的アメリカ娘のデイジー。洗練されていないといっても決して堕落していたわけではないのにね。かえって清純だったといってもいいほどです。彼女がもうちょっと小賢しかったら・・・?そのほうがよかったのでしょうか?
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