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警視庁草紙(上)  
山田風太郎(ちくま文庫)
時は明治六年十月、征韓論破れた西郷隆盛が薩摩に向かって出立しようとしてた。彼を見送るのは当時まだ警保寮と呼ばれていた後の警視庁を率いる大警視川路。薩摩でも士族にも入らない川路を邏卒の総長に引き上げたのは西郷であった。やがて警視庁初代総監となり、天下の治安のために身を捧げることを西郷に誓った彼を補佐するのは、同じく薩摩出身の加治木警部、そして皮肉にもかつての朝敵仙台藩出身の油戸巡査だった。強大な力で近代化を進める警察と、元南町奉行、今は隅老斎と名乗って奉行所跡に小さな庵を編んで隠棲する駒井相模守の、知恵比べ対決を痛快に描く。
★★★連作短編集です。「サンギリ頭を叩いて見れば、文明開化の音がする」とか歌われた時代ですが、みんながみんな文明開化に酔っていたわけではなさそうで、元八丁堀同心の千羽平四郎(今はのらくらと女のヒモをやっている)も文明開化大嫌い男。もとの上司の隅老斎(隅のご隠居)とともにポリスどもをからかって煙に巻くのが楽しくて仕方ないと言ったところ。『明治牡丹燈籠』・・・ある夜、油戸巡査は牡丹の絵柄の人力車と行き違った。その出来事は彼を密室殺人事件へと導く。真相は凄まじいが、三遊亭円朝の「怪談牡丹燈籠」を絡めてうまい解決(?)。『黒暗淵の警視庁』・・・土佐壮士による岩倉卿暗殺未遂事件が。川路の凄み、いよいよ現れたり?『人も獣も天地の虫』・・・隠し売女狩りでつかまった女たちを助けて。お蝶に頼まれた平四郎は。いやあ、やることがす早い!『怪談大名小路』・・・大火で焼け尽くしたはずの大名小路に連れ込まれた按摩が聞いた出来事の真相は。「無人の新宿遊女町は、この世のものならぬ異次元の町に見えた」。『開化写真鬼図』・・・女郎を巡る決闘の付添い人が、かたや平四郎、かたや油戸巡査。さてどうなる?川路大警視、笑顔でやることは…侮りがたし。『残月剣士伝』・・・榊原鍵吉は剣術試合を見世物にして大成功するが。平四郎たちはいよいよ、警視庁とやりあうのが生甲斐になってきたようだ。『幻燈煉瓦街』・・・覗きからくりの見世物がはねた後、三味線の音ともに現れたのは男の死体。ガス燈にけぶる煉瓦街と覗きからくり、この得体のしれなさがなんともいえず。『数奇屋橋門外の変』・・・十八人もの男の死体が一瞬にして出現した謎の真相は。桜田門外の変の呪縛。さて最後の余興の演出は?『最後の牢奉行』・・・川路大警視の目の前で、一人の囚人が処刑を前に絞殺された。最後の晴れ舞台?セリフがかっこいいねぇ。
文明開化の黎明期、膨大なエネルギーが近代化に注がれ始めた時代の東京を勢いよく駆け回る人々の姿があざやか。ときに空回りしつつも強大な組織となりつつある警視庁をむこうに回し、捕縄を手に「御用だあ」と叫ぶ冷酒のかん八にも、ノスタルジーともちがう親しみを覚えました。淫靡で妖しくて、でも痛快なこの物語を、荒唐無稽と笑うだけではすまない気がするのは、やはり作者があちこちにちりばめた実在の人物の逸話が妙にぴったりとはまっているからでしょうか。思わず、へえぇ〜と頷きながら…そこはかとない虚無感を漂わせながらも楽しい物語草紙でありました。
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ラ・フォンテーヌの小話(コント)  
ジャン・ド・ラ・フォンテーヌJean de la Fontaine(三野博司・木谷吉克・寺田光徳訳・社会思想社教養文庫)
小話集。『ジョコンダ』『リッチャルド・ミヌートロ』『殴られて喜んだコキュ』『聴罪司祭に化けた亭主』ほか全部で32篇を収録。
★★★『寓話』でおなじみのラ・フォンテーヌ(といっても『寓話』を読んだことがあるわけではないけど^^;)ですが、この小話詩はそれよりも早い時期から執筆を開始していたそうです。ボッカチオの『デカメロン』(こ、これも読んだことない)などから題材を取って、浮気な女房、その女房を寝取られた亭主(コキュですね)、やたらと人の女房にほれる若い男、贈り物をされるとすぐにその気になる女、年甲斐もなく若い女房を貰った年老いた男・・・などなどを登場人物に、軽妙でちょっぴり(かなり?)みだらなコント集です。放縦で猥褻だと批判され、『寓話』に比べて大変低い評価しかされなかったそうですが、読んでみると、浮かれた俗世間を舞台にしつつも、低俗と言う感じは受けませんでした。猥褻というと以前『バルカン・クリーゲ』というのを読んだことがあるのですが、比べものにならないほど凄かったですね(まあ、これはいわゆる珍書ですが^_^;)『小話(コント)』のほうが人間賛歌の味わいがあって、突然教訓調になったりするあたり、面白く読めました。原書はすべて韻文だそうですが、訳は散文で読みやすかったですね。
印象に残ったものだけ紹介します。
『ジョコンダ』・・・妻に浮気されて不名誉な怒りに燃えたジョコンダと国王が、放浪の旅に出て行く話。なんだか悟りの境地に到達することができたみたい。『リッチャルド・ミヌートロ』・・・美貌の夫人を手に入れるためにミヌートロは奸智にたけた計略を。真っ暗だと分からないもんなんですかね?『殴られて喜んだコキュ』・・・奥方と鷹匠が謀って亭主を欺いたのだが。これには感動の涙が止まりませんでした^_^;みんな幸せ♪『シャトーティエリで起こった事件』・・・抜け目のない男と美しい女房がどうやって借金を払わないで済ませたか。オチが笑える…かもしれない。『耳作りと型直し』『カタロニアの修道士』も女の無邪気(?)につけこむ男が。しかしやはり、女はしたたか。『馬丁』・・・王妃に恋した男が危機一髪を回避。王様もなかなかできたお方で。『老人たちの暦』・・・自分で作った暦にのっとって行動する夫に若い妻の不満は募るばかり。哀れな夫だが…まあしょうがないでしょう(^_^;)『隠者』・・・坊さんにたぶらかされた生娘の運命は。これもオチが…(^_^;)『フィリップ爺さんの雁』・・・世の中から隔絶されて成長した少年がはじめて女を目にしたとき。やはり本能には逆らえない。『鷹』・・・恋する男は彼女のために最後の財産まで使い果たした。素晴らしい感動のお話。しかし作者はそうは思っていないようで…。『金銀宝石をもたらす犬』・・・ある日蛇を助けたことから、騎士は恋を成就させることに。これはよくできた話でした。私もファヴォリが欲しい。
「わたしは、あらゆる方法を用いて、女性の魅力をほめた讃えた。で、何を得たかって?」どうやら何も得たものはなかった、ということらしいですが(何を期待していたんだ?)、私はこういう艶笑譚(というらしい)って好きですし、当時の庶民もきっと好きだったと思いますよ。日本の『好色一代…』ものも、こんな感じだったのかな。しかしこの道に限っては身分なんて関係ないんですね(*^^*)
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ダブリン市民Dubliners  
ジェイムズ・ジョイスJames Joyce(安藤一郎訳・新潮文庫)
短編集。『姉妹』『邂逅』『アラビー』『エヴリン』『レースのあと』『二人のいろごと師』『下宿屋』『小さな雲』『対応』『土くれ』『痛ましい事件』『委員会のパーネル記念日』『母親』『恩寵』『死せる人々』
『姉妹』・・・いろいろな事を教えてくれた牧師の死に、私はなぜか開放感を覚えていた。
『邂逅』・・・仲間と一日、学校を怠けてみることにした私は、ダブリンの交易風景をながめていた。
『アラビー』・・・アラビーでお土産を買ってきてあげるね。彼女にした約束はぼくの心を虜にしていた
『エヴリン』・・・ブエノスアイレスでフランクと新しい生活をはじめるのだ。エヴリンの心は揺れていた。
『レースのあと』・・・自動車レースのあとの晩餐、ジミーは興奮していた。
『二人のいろごと師』・・・友人が女から巻き上げる金に期待する男がいた。
『下宿屋』・・・ムーニー夫人は娘のポリーのために決断を下した。ドーラン氏と話をすることにしたのだ。
『小さな雲』・・・成功した友人に、8年ぶりに会うことになった男は、考えをめぐらせていた。
『対応』・・・雇い主にとうとう言ってやった!だが、宴のあと、男の心は虚しい怒りでいっぱいだった。
『土くれ』・・・晩の団欒はどんなに楽しいことであろう。仕事を終えたマライアはお土産を手に出かけていった。
『痛ましい事件』・・・楽しい関係が続いていた夫人の思いがけない行動。離れ離れになった二人だったが。
『委員会のパーネル記念日』・・・ティアニー氏の選挙応援を頼まれた人々の、ある夜の出来事。
『母親』・・・娘が音楽会の伴奏を頼まれた。有頂天になる母親だったが、その会は期待はずれだった。
『恩寵』・・・最近酒が過ぎることが多いカーナン氏。友人たちは一計を案じて心機一転を図る。
『死せる人々』・・・クリスマスの晩餐会に集まった人々は、食事や歌や踊りや、昔話を楽しむ。
★★★この短編集はジョイスが二十代に書いたものだそうです。ビックリしますが、そういわれれば青年らしいみずみずしさが感じられるようですね。とくに『邂逅』の二人の少年が新しい世界に出会い、ちょっと戸惑ったり大人ぶってみるところや、『アラビー』の、少年のどんどん大きくなっていく思いが、アラビーの暗い夜に吸い込まれていく心象風景が、なにか懐かしい心の傷みを思い出させて印象的でした。
また、ほとんどの作品が、生のなかの死、を描いているように思います。その、生、も決して華やかなものではなく、『土くれ』で描かれるささやかな幸せをあらわすようなホームパーティの只中にあっても、なぜか締めつけられるような哀感が漂って、そこには死の影が潜んでいるようです。『対応』では生きることそのものの苦しさを味わい、『下宿屋』『小さな雲』では、つかの間の夢は虚しく、現実は落胆に満ちています。逃れようとして踏み切れない『エヴリン』の何のしるしをも表わすことのなかった白い顔が、多分どんな言葉より強くそれを訴えているのでしょう。
『痛ましい事件』のダフィー氏がかつて交流のあった夫人の死を観念的に捉えて否定したあとの心の動きが、しみわたるような孤独の中に響く機関車の音、線路を横切る夫人の姿などとすれ違って変化していくさまを、しみじみとした思いで読みました。「自分の生活もまた、おなじように死ぬ時が至り、存在を消して、一つの思い出――だれか思い出してくれる者があれば――になってしまうまで、おなじように寂しいものであろう」・・・そして『死せる人々』。クリスマスの舞踏会の夜のゲイブリェルの心の変化をこまやかに描いたこの作品は、楽しげなパーティー風景に、生のなかの死、生者とともにある死者の存在を浮かび上がらせて、万物の上に降りそそぐ雪の静けさが印象的な、美しい作品でした。ここまで読んできた14編のやや突き放したような描き方に比べ、この作品ではダブリンの町やその人々に対して、柔らかいまなざしをもって書いているような気がしました。
ただ『委員会のパーネル記念日』『恩寵』のような政治、宗教色の強い作品は、今ひとつ難しく、よく分かりませんでした。
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毒薬と老嬢Arsenic and Old Lace 1941
ジョセフ・ケッセルリングJoseph Otto Kesselring(黒田絵美子訳・新水社)
舞台はニューヨーク、ブルックリン。人が良くて誰にでも親切で、と近所でも評判の老姉妹、アビーとマーサ・ブルースターは父の残した家の一室を下宿にしようとして、部屋を探しに来た人を自慢の自家製ぼけ酒でいつも親切にもてなしている。ただ、下宿人はなかなか決まらないらしく、いまは甥のテディと三人暮らし。お隣りの牧師ハーパーの一人娘と愛し合っているもうひとりの甥モーティマーはある日、居間の長椅子のふたを開けてビックリ!そこには男の死体が。その上モーティマーの兄で極悪非道のジョナサンまでがやってきて、静かなブルースター家はてんやわんや。
★★★戯曲です。日本でもマーサ役を北林谷栄さんが演じて舞台化、上演されたことがあるそうですよ。
マーサとアビーというとっても可愛らしいおばあさん姉妹がとにかくいいです(*^^*)この二人はなんとなんと、十二人もの(マーサは最初のひとりを勘定に入れるのは反対らしいですが)人を毒殺した凶悪犯なんですが…。
どうやらちょっと奇妙な血統であるらしく、おかしな人ばかり。テディは自分をルーズべルト大統領だと思い込んでいますし、ジョナサンは切れると怖い脱獄犯で、お抱え整形外科医を連れての逃亡の真っ最中。フランケンシュタインそっくりに整形した顔をもっていて、みんなを驚かせます。実は、彼も始末しなければならない死体を抱えての逃避行。舞台上は二つの死体が入り乱れて大混乱&大爆笑、といったところでしょうか。
現代っ子で合理的なモーティマーと二人のおばあさんの会話のちぐはぐ具合が最高に面白い。テディも肝心なところで登場してくれて、奇跡のラッパを吹き鳴らします。ちょっと可哀相な役どころではあるんですよね〜…(T_T)
ラストは笑ってばかりいた観客がちょっと凍りつきそうな、怖い終わり方。今のところ同点ですが、勝負はまだまだ続くのかも、ですね(怖〜^_^;)
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夜の声The Voice in the Night and other stories 1904〜1914
W・H・ホジスンWilliam Hope Hodgson(井辻朱美訳・創元推理文庫)
短編集。『夜の声』『熱帯の恐怖』『廃船の謎』『グレイケン号の発見』『石の船』『カビの船』『ウドの島』『水槽の恐怖』
『夜の声』・・・北大西洋上、暗く星のない夜、凪いだ海・・・ひとり甲板にいるわたしに呼びかける声が聞こえてきた。驚いたわたしの問いかけにその声は答えた「こわがることはない」「わしはただの年寄りの――人間だ」。食べ物を、と懇願するその声に答えて食料を流してやったその後、再び現れた声は、彼らが遭遇した恐るべき運命を語り始めた。
『熱帯の恐怖』・・・当直の夜はうだるような暑さだった。見習いのジョーキイとおしゃべりをしていた私は、突然彼の顔が恐怖にこわばるのを見た。振り返ったわたしが見たものは・・・「さしわたし一尋もあろうかという巨大な濡れた口ではないか」。数十時間にわたる、恐ろしい化け物の破壊と殺戮が始まろうとしていた。
『廃船の謎』・・・メキシコ湾流のなか、二日ふた晩停止を余儀なくされていたタラワク号をとりまく海には一面海藻が漂っていた。右舷何マイルのところに廃船を発見した乗組員たちは、それに近づいた帆船が突然銃撃をはじめるのを目撃する。不審に思った彼らは、その廃船に近づいてみるが。
『グレイケン号の発見』・・・友人のネッドをヨット旅行に誘ったのは間違いだったのか?ネッドの恋人の乗船した船は一年程前忽然と姿を消していたのだ。わたしはやがて軟禁状態となり、ヨットはネッドの支配下におかれてしまう。ネッドはどこへ行こうとしているのか。
『石の船』・・・当直の夜、海上の静けさに耳を傾けていたわたしは、不意に奇妙な音を聞いた。小川が山原を流れ下るような音…。この海のただ中で?そして点滅する不思議な光、悪臭。水の流れるほうに向かってボートを漕ぎ出したわれわれの目にしたものは巨大な石の船だった。
『カビの船』・・・老医師は語りはじめる。「物質と状況と、それから・・・第三の因子」生命とは・・・?かつて彼は船医として乗り組んだ商船で不思議な体験をしていた。嵐に遭って停泊していた海上で、すぐ近くに漂っていた別の船を発見、彼らは偵察に出かけた。そこで発生していたおぞましい「生命」とは。
『ウドの島』・・・ジャット船長のホラ話?船長がピピーに語る物語は世にも不思議なものだった。宝物と女。そしてある日、その話の舞台と思われる島に近づいたとき、船長はピピーだけを供にその島へ渡った。そこで彼らが見たものは、恐るべきウドの巫女、悪魔を崇拝する女たちだった。
『水槽の恐怖』・・・巨大な鉄の水槽の周りでは、町の人々は素晴らしい眺望を楽しむことが出来た。ところがある日、その水槽に通じる径で、ひとりの男が死体で発見される。どうやら絞め殺されたらしく、財布と時計が盗まれていたが、当然あるべき足跡がないのが不審だった。やがて水槽管理人の男が殺人犯として逮捕されるが・・・。
★★★古本屋で題名に惹かれて買った本ですが、帯が付いておりましてそれには一言「海洋奇譚!」とだけ。海…特に夜の海から喚起される想像力に満ちた、神秘と恐怖の世界。
『夜の声』これが一番よかったと思いました。キノコって、ちょっと、怖いです…。そして物悲しくて…。『熱帯の恐怖』のスピーディーな動きと映像的な描写もすごい。『廃船の謎』の舞台となった海って、本当にあるのかしら(^_^;)サルガッソー…。『グレイケン号の発見』は奇跡の物語でしょうか。最後になぜ道が開けたのか?『石の船』は論理的な解明がつけくわえられてはいますが、実際目の当たりにしたら、そんなの関係ないよね〜怖っ。『カビの船』・・・カビって大嫌いだし〜、想像するだけで・・・(T_T)しかしみんななんで変な船を見つけたら探検に行くのでしょうね?宝捜しかなあ。『ウドの島』は船長のセコさが光ってましたね。ピピーも負けてはいないのですが^_^;小さな巫女の運命が気になる…。『水槽の恐怖』はミステリ仕立て。真相は大体想像がつくのですが、オチというか、最後の医師の含蓄あるセリフがいいですね(^^)
どれもまあ同じようなストーリーと言ってしまえばそうなんですが、なんだか引き込まれます。特に『夜の声』は名作だわ(T_T)
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地下鉄のザジZazie dans le meetro 1959
レーモン・クノーRaymond Queneau(生田耕作訳・中公文庫)
ママが情夫(いろ)と逢引する間、パリのガブリエル伯父さんのもとへ預けられることになった少女ザジ。ザジはパリでなんとしても地下鉄に乗りたいと思っている。ところが地下鉄はストの真っ最中。伯父さんの家を抜け出してパリの街へと冒険にくりだしたザジは、次々とおかしな人々に出会う。蚤の市では男から憧れのジーパンをかっぱらい、その男からガブリエル伯父さんはオカマだと聞かされ、伯父さんにそれを問いただしているうちに奇妙な未亡人と知り合い・・・。パリの風俗を巧みに取り入れ、スピードにのって展開されるストーリーの行き着く先は?
★★★ルイ・マル監督によって映画化されて、高い評価を受けた『地下鉄のザジ』の原作。
解説によると、戦後フランス小説に新風を吹きこんだ記念碑的作品とのことで、口語表現を駆使した文体が当時では大変斬新だった、ということなのでしょうか。
登場人物をおさらいしてみますと
主人公ザジ−口癖の「けつ喰らえ」を連発する、くそ生意気な少女。
ガブリエル伯父さん−表向きは夜警、だがその実態はオカマバーのストリッパー。
マルスリーヌ−あくまでもおしとやかな、ガブリエル伯父の妻(?)
テュランドー−カフェ・レストラン「穴倉」の主人。飼い鸚鵡<緑>の口癖は「喋れ喋れ、それだけが取り柄さ」。
シャルル−タクシー運転手。身の上相談欄を読むのが趣味。小足のマド−「穴倉」のウエイトレス。
ムアック−惚れっぽい未亡人。トルースカイヨン−正体不明の謎の男。
これら個性的な面々が繰り広げるドタバタ悲喜劇。私はドタバタものは決して嫌いではないので、楽しく読みました。人物の出入りにも細心の注意を払って構成されているとのことで、表向きの無秩序とは裏腹に、無理のない流れが出来ていてストレスを感じません。またそれぞれのエピソードも、下ネタなんだけど思わず笑える言い回しをたたみかける描写は非常に魅力的。特に観光客の一団が登場している場面は生き生きとしていて皮肉っぽくって、気に入りました。ただ、主人公ザジの「くそガキ」的魅力が最後まで続かなかった印象があるのが少し残念だったかも。
文学史上の位置付けとか難しいことは分かんないけど、流れに身を任せ〜って感じで読むなら、この刹那的な感じは好きです(^_^)
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