其ノ壱「真夏の忠臣蔵」両国(吉良邸跡)〜鉄砲洲(浅野上屋敷跡)〜高輪(泉岳寺)
・・・表向きは「江戸人の距離感を足でつかもう」、実は腎臓結石という忌まわしい病気にとりつかれたミヤベ氏の治癒を祈願してのこの企画。まずは元禄十五年十二月十五日早朝の赤穂浪士一党の足取りを、なぜか七月末のある炎天下の日にたどることになったのです。一行はミヤベ氏のほかにニコライ江木、マック田村、庖丁人中村、の面々。お徒歩の第一歩は本所・吉良邸です。ここから高輪泉岳寺まで約十キロの行程を、四十七士は約二時間で歩いた由。けが人もいたでしょうに、すごいっすね(^_^;)ミヤベ氏一行は半死半生の体で途中クーラーの効いたホテルロビーで休憩したりしますが、何とか全行程踏破です。考えてみれば、(考えなくっても)鎖帷子?をつけての行軍ですから、真冬を選んだのは正解〜!さすが大石内蔵助(^^)忠臣蔵は結構好きなおはなしです♪
其ノ弐「罪人は季節を選べぬ引廻し」小伝馬町〜堀端〜鈴ケ森〜小塚原
・・・市中引廻しの上、獄門!って言う台詞、テレビの時代劇でも御馴染みでしょ?でも、あの正確なコースって?というわけで、めでたい新年の企画に敢えて不吉なコース取りを設定したミヤベ氏。「江戸中引廻し」と「五ケ所引廻し」という二つのコースの内、後者を選択。しっかし!これだと20キロもの長距離行程。一日がかりの見せしめ刑だったらしいです。絶対王政?の恐ろしき公開刑罰(^_^;)ところで、当時は現在の懲役刑にあたる罰はなかったらしいですよ。伝馬町の牢は未決囚が入っているところだったそうです、なるほど〜。かくて「毒婦みゆき」は姦夫と通じて夫殺し、の大罪で鈴ケ森から、あるいは小塚原と刑場へ引かれていくのでした。
其ノ参「関所破りで七曲り」小田原〜箱根湯本〜箱根旧街道
其ノ四「桜田門は遠かった」皇居(江戸城)一周
其ノ五「流人暮らしでアロハオエ」八丈島
・・・真夏の八丈島!ニッポンのハワイ!ついにミヤベ氏一行はお徒歩とバカンスを一体化させた企画に(^^)遠島といえば八丈島と三宅島。他にも新島も流刑地だったらしいですが、時代劇にはあんまり出てきませんね。ところでミヤベ氏は着物にはちょっとウルサイらしい。黄八丈の粋な縞の反物を買い求めたミヤベ氏の「買っちゃった踊り」の写真がないのが、なんとも残念(^_^)
其ノ六「七不思議で七転八倒」本所深川
・・・そも、本所七不思議とは?「置いてけ堀」「馬鹿囃子」「送り提灯」「落ち葉なしの椎」「足洗い屋敷」「消えずの行灯」「片葉の芦」「津軽の太鼓」七プラス一ですね(^_^)昔から知っていたのは「置いてけ堀」「送り提灯」「足洗い屋敷」ぐらいでした。
其ノ七「神仏混淆で大団円」善光寺〜伊勢神宮
・・・神様、仏様におねがいすることに何の躊躇も感じない不思議な人々ニッポン人。欧米中東のゆるぎない信仰との比較についてはミヤベ氏と全く同感の私でした。異国船うち払い令には同調できませんが(^^ゞしかし、この旅はお徒歩っていうより、旨いもんめぐり?いいんですけどね。それはともかく、人々の素朴な信仰を集め、心の支えになってきた場所にはやっぱり一度は行ってみるべきですね。「何ごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」(西行法師)さすが、ミヤベ氏!
剣客商売「浮沈」の深川を歩く
・・・門前仲町の富岡八幡宮から出発し、深川飯を食べ、やっぱり深川といえば木場!古い材木屋を発見。洲崎神社をへて「浮沈」冒頭の敵討ちの舞台、千田稲荷へ。つづいて陽岳寺、閻魔堂ではオートマチック閻魔様にも遭遇、そして深川江戸資料館へ。最後はどぜうで締めくくりです(^_^)
いかがわしくも愛しい町、深川 |