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二人がここにいる不思議The Toynbee Convector 1988
レイ・ブラッドベリRay Bradbury(新潮文庫)
「確信はあった。余裕をもってここにすわり、心をこめて祈るなら―」20年前に死んだ両親を夕食に招待した息子。そして両親はやってきた。現実の生活に悩む息子に両親が言った言葉とは・・・?表題作他23編収録の短編集。
★★★久しぶりにブラッドベリの小説を読みました。なんとも言えぬ雰囲気が漂うブラッドベリの短編は昔から好きだったのですが、今回久しぶりに読んでみて、こんなにいろんな要素が詰まっていたかなぁ、と思ったりしました。現実と幻想、恐怖と安らぎ、ホラーもあれば、ユーモアも・・・なかなか盛りだくさんでした。とくに気にいったものは・・・
「トラップドア」―クララが住み始めて十年も経つ家に発見したのは、踊り場の天井の揚げ戸(トラップドア)なぜ今まで気がつかなかったのか?不審に思ううち、屋根裏では奇妙な音が・・・。
「恋心」―地球人の襲来と悪疫によりすっかり様子の変わった火星。そこに住むシーオが恋をしたのは、地球人の美しい女。彼女の歌はシーオを酔わせる。彼女の言葉はシーオの想像力を駆り立てる。
「気長な分割」―別れを決めたカップルが彼らの蔵書を分割する。本の批評をするうち、彼らの中にもっと別の思いが・・・。
「墓石」―ウォルターとレオータが探し当てた貸間には、なぜか墓石が・・・。
「階段をのぼって」―エミール・クレイマーが抱える幼い日の恐怖の記憶。かつてすんでいた家で彼を待っていたものとは・・・?
「ストーンスティル大佐の純自家製本格エジプト・ミイラ」―ルーン湖の先にある農場でエジプト・ミイラが発見された!沸き立つ町。はてさてこのミイラの正体は?
他にも「オリエント急行、北へ」「ときは六月、ある真夜中」など、書き出すとちょっときりがない感じなので、このくらいにしておきます。
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眠り姫Until Death Do Us Part 1998
ダニエル・キイスDaniel Keyes(秋津知子訳・早川ダニエル・キイス文庫)
催眠状態で語られた、娘とそのボーイフレンドに対する殺人の告白。催眠障害を持つキャロルが話したことは真実なのか?やがて彼女の夫ロジャーに殺人容疑がかかった時、彼女の主治医コーラ―が証拠として提示したのは、睡眠状態で「夫が二人を撃つ音を聞いた」と話す彼女の証言を記録したビデオテープだった。やがてロジャーには死刑判決が下される。その一部始終を知る精神科医アイリーンが、死刑囚監房に収監されている間に精神に異常をきたしてしまったロジャーの能力鑑定をすることになる。ロジャーの事を調べるアイリーンは死刑反対組織CLASHのマイクや、ロジャーの妻キャロルと接近する。一方、かつてロジャーを逮捕した刑事ストーンは、再捜査を進めるうち、不審な事実に気付く。
★★★精神異常とは、具体的にはどういうことをさすのでしょうか?昔からこのテーマには関心があったのですが、精神の異常と犯罪が結びついた事件が最近多いですね。責任能力のあるなしが論議されますけど、いつもどういうところで線引きされているのかなぁ、と思うんですよ。素人が考えても仕方ないですけど(^^ゞ
この物語では殺人事件そのものは、主題を語るための添え物と言うか、道具みたいな感じで、主題はやはり登場人物たちの深層心理に潜むトラウマを探る、と言うことでしょう。催眠療法がいろいろと描かれているのですが、年齢を後退させたり、前世にまでさかのぼってみたり、なかなかすごいです。心というものは、思い出したくないことは隠してしまうし、恐ろしい体験はなかったことにしてしまうと言う、とても便利な働きをするようですが、その便利な機能は、やり方を知っている人には簡単に悪用されてしまう恐ろしいものなんですね。それにしても催眠療法の被験者たちは自分のトランスレベルを意識できたり、自分からもっと深いところまで行ったりできるなんて、本当かなぁ、と思いながら、とても興味深く読みました。前世療法などというものも、実際にどういう役に立つのかよく分からないのですが、やはり現実の世界に適応できない原因を探るには、前世まで行かないと分からないこともあるんでしょうか?人って本当に何を背負って生きているんでしょうね。前世まで背負わないといけないなんて、辛いなぁ・・・。
他にも、アイリーンたち精神科医と、患者の間の守秘義務のこととか、アイリーン自身にも勿論あるトラウマだとか(きっと誰にでもあるに違いないですね)、死刑反対論などがこの物語を取り巻いています。死刑反対論に関しては、私は継続支持なんですが、それは抑止力を期待すると言うより、罪に対する罰という観点ですね。しかし、終身刑という絶望と比べて、懲罰的な意味でどっちが重いかと言われると、どうかな?と思いますが、どんな環境にも慣れてしまう人間の適応性を考えると、やっぱり究極の懲罰として死刑は有ったほうがいいんではないか、と思いますが、これは余談でした。
ストーリーは最後のあたり、ちょっと演出し過ぎじゃないの、とか思うし、ちょっと不満もあるんですが、これですべておしまい、皆さん幸福になりました、と言うわけには行かないのは、当然でしょうね。
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イギリス人の患者The English Patient 1992
マイケル・オンダーチェMichael Ondaatje(土屋政雄訳・新潮文庫)
第二次世界大戦末期、イタリアの僧院にイギリス人とみられる男の患者と看護婦が暮らしていた。イギリス人の患者は、飛行機事故で砂漠に墜落し、ベドウィンによって助けられた。看護婦はハナ。カナダから従軍看護婦としてやってきたはたちの娘。戦争の真っ只中で死んで行く人々を見送ってから、そして父の死の知らせを受取ってから心が崩壊していた彼女の前に現れた、イギリス人の患者。連合軍が町を後にする時、彼女は患者と共にここに残った。ある日、父の友人カラバッジョが訪ねてきた。そしてもう一人、インド人工兵キップも、ハナのピアノに引き寄せられて。戦争に痛めつけられた僧院で四人の生活が始まる。
★★★「男が静かに語り出す言葉には、高く低く、タカのように自在に翔ける物語がある」―男が語り、女がそれを聞いている。また違う男が語り始める。そんなふうに紡がれるこの物語は、時間を超えて、作者の思うままに翔けています。とても厳しい現実を、とても美しい言葉で。ときに詩のように。
ハナは従軍看護婦。死んで行く兵士を看取るのが仕事です。心も身体も戦争に蝕まれた彼女が、なぜか、黒くこげてしまったイギリス人の患者に、強く惹かれます。「もう命令には従わない。大いなる善のための義務など遂行しない。火傷のこの患者一人だけを看護する・・・」イギリス人の患者の何が彼女をそうさせたのでしょう。
彼は砂漠探検家。失われたオアシス「ゼルジュラ」を発見することだけを思い、リビヤ砂漠を旅する。砂漠だけを愛していたはずの男が、なす術も無く恋に落ちてしまったのは砂漠で出会った、キャサリン。イギリス人クリフトンの妻キャサリンです。彼が狂おしいほど愛したキャサリンも、今は砂漠の砂となってしまっています。
キャサリンのこと、砂漠のことなどがとりとめもなく男の口から語られます。それを聞くハナ。そしてハナが愛する工兵キップのはなし。彼はインド人の爆弾処理技術者。ある尊敬すべきイギリス人への深い愛情から、この戦争での自分の任務を果たしつづけてきた彼。しかし最後に手ひどい裏切りを受けることになるのです。でもそれは最後のはなし。彼とハナの間にある何か純粋で、夢の中にあるような愛情が心を打ちます。1945年、ハナの21回目の誕生日を祝うシーンは、本当に素敵です。45個のカタツムリの殻で揺らめく光。「ラ・マルセイエーズ」の歌声。ただ一人のためだけに、うたわれる歌。
映画をご覧になったかたも多いでしょう。映画では、とてもわかりやすくなっていると思います。ハナはやや印象が違っていますし、キップの描かれかたも物足りないし、カラバッジョももう少し深みのある人間なんですが、それはこの小説を読んで初めて思ったことですし、映画としては要点を絞り込まざるを得ないですからね。
小説は、思い出すままに書かれてとても錯綜し、よく分からないところもありました。でも、一つ一つの場面を思い描きながら読んでいくと、とても美しい言葉による描写がイメージを喚起させ、なんだか酔ってしまいそうな、現実に戻るのがもったいないような気がしてきます。砂漠の砂嵐や、冷たい洞窟の浅い泉、泳ぐ人の壁画の前に横たわるキャサリン。キップが語る彼の故郷、夜明け前の大神殿。それらが戦争の残酷さと対比して描かれ、一層強い印象を与えるのです。イギリス人の患者はやがて死ぬのでしょう。でも彼には、キャサリンがいます。―「私の命をあげると言ったら、あなたはどうなさる?きっと捨ててしまうわね」
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ファーニーFerney 1998
ジェイムズ・ロングJames Long(坂口玲子訳・新潮文庫)
歴史学者マイクと妻ギャリーは、イギリスの田舎にコテージを探していた。ギャリーは恐ろしい悪夢に苦しめられ、カウンセラーの心理療法も何の手助けにもならない。そんな彼女の願いを聞いて、マイクは彼女の心の避難所探しに協力していた。彼女の基準はその村の歴史における重要性。そしてペンセルウッドに、彼女はそれを発見する「わたしが願っていたとおりの場所よ」マイクには廃屋にしか見えないその家をギャリーは熱望するのだ。そしてその家、バグストーン・ファームで彼らはファーニーと名乗る老人に出会う。はじめ疑惑の表情で二人を見ていたファーニーが、ギャリーの名を聞くと、なぜか驚愕し目にはかすかに涙を浮かべた。ファーニーはマイクにはよそよそしい態度を続けるが、ギャリーには親愛を示し、またギャリーもなぜかファーニーに親しみを感じるようになる。ファーニーといると、いろいろな事が見えてくるのだ。歴史の一場面が、まるで彼女自身が体験したかのように。奇妙なほどファーニーのことが気になるギャリーに、ファーニーは驚くべき話をはじめる。彼は一三〇〇年もの歴史の中で、何度も生まれ変わりながら生きつづけてきたというのだ。常にギャリーと共に・・・。
★★★「そう、ファーニーとギャリー。いつもそうだった。昔からずっと。いつもここで。あなたは故郷に帰ってきたんだよ、ギャリー」
いつも悪夢にうなされていたギャリーが見つけた心の避難所。そこで彼女を待っていたのは、不思議な老人でした。一三〇〇年も前から二人は一緒に生きてきた、と告げられてギャリーは戸惑います。そりゃあそうですよね、そんなことおいそれと信じられるはずがありません。彼女にはマイクというれっきとした夫もいるのですから。しかしファーニーに抱く親愛の感情を抑えることはできません。やがて彼女はファーニーに導かれるままに色々な記憶を取り戻していきます。悪夢の根源となった出来事も、そしてファーニーと一緒に生きていた日々のことも。それと同時にマイクという夫の存在が、なぜか遠くになっていってしまうのを、自分でもどうすることもできません。ここらあたり、ギャリーの気持ちはよく分かるんですが、マイクがかわいそう〜。ファーニーとギャリーは今までは一度も他の人とカップルになったことはないんだそうです。いつでも自分の片割れのことを生まれた時から知っていたはずなんですね。だからこんな悲劇は今まではなかったのに今回はギャリーの方が違った。彼女はファーニーに会って懐かしい感じは抱いても、彼が運命の人!とまではすぐには分かりません。色々なズレが生じて、五十歳以上も年が離れてしまったのも原因なんですね。でもだんだん惹きつけられていくうち、マイクの方を見知らぬ他人のように感じ、マイクはそれを感じてとても苦しみます。やがてファーニーは不治の病にかかり死期を悟ります。そしてギャリーのお腹に宿った子どもに生まれ変わるのだというのです。死の迫ったファーニーをバグストーンに引き取ったギャリーは感じます。「二人はまさに二つに分けられた半分であり、それが一つになることで比類のない、至福の理解が生まれるのだ」二度とすれ違いや間違いを起こしたくない。そう思うギャリーとファーニーはかつて前の世代に生きていた時に約束したあることを実行しようとします。
物語の合間合間にファーニーとギャリーが生きてきた時代の歴史がちりばめられていて、ヨーロッパの歴史のお勉強?にもなります。いろんなエピソードを語りながら、伝えられている歴史というものを疑っているのです。ほんの限られた行動範囲や、情報を得る手段しか持たなかった時代に、歴史に残された事実というものの信憑性って、どの程度のものなんですかね。もし、ホントにファーニーみたいな人がいたら、面白い話を聞かせてくれることでしょう。・・・でもファーニーとギャリーのように時代を超えて結ばれた恋人達でも、何かのズレでうまく出会えなかったら、こんな不幸はありませんよね。次もきっと出会える、そう信じていたいけど・・・「両方が忘れたら、それはそうなる運命だってことかもしれない。でも、だめよ、絶対に忘れちゃだめ。他の人達には神様がいる。でもわたしたちにはわたしたちしかいないんですもの」・・・これは本当に不思議な愛の物語です。
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