最近、個展なんかで 私の焼物を見て「最近の萩焼は変わってきましたね」と言われることがあります。
話を聞いてみると、大抵の場合、姫萩と言われるツルっとした萩焼に 市販の合成釉を掛け、電気やガス窯で短時間で焼いたものが本物の萩焼だと思われています。
確かに そういう窯元が全国で萩焼を販売し 萩焼を広め、観光などでも安価なので お土産などに一番よく、そう思われて仕方がないところはあります。
ただ、長い間 伝統の中から創造性を見出そうと、古萩や高麗茶盌を研究し、自ら登り窯を作り、灰を焼き、原土を掘る そんな昔ながらのやり方に拘った者としては簡単に
「はい、そうですね」とは言えません。
今は萩焼と言ってもいろいろあります。もともと萩焼は茶陶と言って茶道具中心でしたが 洋食器や現代的な日用雑器が増え、用途も 汲みだし湯呑をコーヒーカップや小鉢に使ったり、菓子器を花器やサラダボールに使うなど、茶陶の枠を超え自由な形に変わってきています。また、作る側も根本的に従来の萩焼に限界を感じたり、
より個性的なものを求めたりで、他の地方の素材や技法、新しい釉薬、色や絵、漏れを止めるため半磁器のようにしたりなど、もはや萩焼と言いがたいようなものまで様々あります。
決して否定しているわけではありません。伝統を追うことが必ず正しいとは思いませんし、 伝統を破壊するようなモダニズムが その土地の創造力を一層と高めるとも思っています。
しかし、それらも萩焼という長い歴史の上に成り立ち、破壊することは出来ても否定することは出来ません。
真似するだけの伝統なら意味はありませんが、伝統に創造性や独創性を求め、伝統の中から自分を見出そうとしてる者としては、誠実に土と向き合ったものに間違った萩焼はないと思っています。
萩焼はその起源を一千余年も前より見ることが出来ますが、今日、茶陶におきまして 「一楽二萩三唐津」 とまで語られるようになりましたのは、およそ四百年前文禄・慶長の役後に朝鮮半島より連れ帰った李朝の陶工李勺光・敬の兄弟によって始まることになります。
萩藩主毛利輝元のもとに御用窯として開窯、藩の厚い庇護もさることながら、その李朝の陶技と並々ならぬ努力のもに新たなる道を拓きました。さらに其の後に続く陶工たちの一層なる努力によって、徳川も元禄の頃には萩独特の境地に達することになります。
一つに萩焼と申しましても何が良しとも申しかねますが、素朴にして風雅、土の暖かみ、茶慣れによる変化にかもし出される侘びた風情など感じ得るものは多々ございます。長くお使い下さるうちに、そのような味わいを少しなりとも感じて頂けましたら私としましても大変嬉しく思います。
萩焼の特徴
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