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No.026 同じアパートの住人を包丁で襲い、7人の死傷者を出す・橋田忠昭

長年覚醒剤を使用し続けた男は幻覚や幻聴・被害妄想に取りつかれ、夫婦喧嘩を発端に怒りが一気に爆発した。


▼事件発生

昭和57年2月7日、大阪市西成区で、覚醒剤常習者の男が、自分の住んでいるアパートの住人を次々と包丁で刺すという事件が起きた。

男の名は橋田忠昭(47)。15歳の時から覚醒剤を使い始め、事件の数年前からは絶え間なく幻覚や幻聴に襲われていたという。普段から些細(ささい)なことにでもすぐに逆上し、完全に情緒不安定になっていた。


西成区の文化住宅「グリーンハウス」の二階で、妻(34)と子供(11)と三人暮らしをしていた橋田は当時無職であり、生活保護を受けていた。この生活保護と妻の仕事の収入で生計を立てていた。

2月7日、午前9時30分過ぎ、橋田はこの日も特にすることがなく自分の家にいると、妻が出かけようとしていた。宗教活動の会合に出かけるという。

橋田が「朝メシの用意ぐらいして行け!」と怒鳴ったが、妻は無視した。頭に来た橋田は妻の手を掴(つか)み、口ゲンカとなった。

妻は「やめてよ!このぐうたらが!」と叫び、橋田の手を振り払った。仕事もせずブラブラしている橋田にとってはこの言葉は強烈で、橋田の怒りが一気に爆発した。


台所に走って行って刃渡り20cmの包丁を持って戻ってきた橋田は、妻の胸をいきなり包丁で突き刺した。妻は悲鳴を上げ、その場に倒れ込む。(一時間後に病院で死亡)

母親が刺されたを見てびっくりした息子は「お母ちゃんに何するんや!」と、橋田を止めに入った。
しかし橋田は無情にも、この自分の息子さえ包丁で刺して振り払った。(二週間の怪我)

しかし橋田の犯行はこの二人だけにとどまらなかった。
普段からアパートの住人が大きな音をたてて自分に嫌がらせをしているとか、陰口を言っているなど、筋違いの恨みを持っていた橋田は、このまま一気に部屋の外へ飛び出し、アパートの住人を次々と襲う。


三人目と四人目の犠牲者となったのは、橋田の隣の部屋に住んでいた夫婦である。この部屋に飛び込んで来た橋田は、まずいきなり夫(34)を刺し、すぐに妻(47)を刺した。二人の悲鳴が上がる。

二人とも刺された直後はまだ動けたので、何とか部屋を飛び出し、血だらけになりながらも二階の廊下部分を走って逃げた。(夫は重傷・妻は40分後に病院で死亡)


この三人目・四人目の夫婦の悲鳴を聞いて、同じ二階に住む別の女性(34)がびっくりして廊下に飛び出してみると、この二人が血だらけになりながら走って逃げて行くのを目撃した。

驚いた女性は、すぐに部屋に戻り、自分の夫(39)に「あんたあ!救急車呼んで!」と叫んだ。しかしこの声を聞いた橋田は更に逆上し「何をすんのやぁ!」と、今度はこの女性を追いかけ始めた。

女性は自分の家に逃げ込んだが、ドアを閉める暇もなく、橋田が一緒に飛び込んできた。

女性の家の中には、その女性と夫、そしてたまたまこの部屋を訪問していた、同じアパートの女性(49)の、合計三人がいた。包丁を持って襲いかかった橋田は、一番近くにいた、この「訪問客の女性」の胸をいきなりメッタ刺しにした。(40分後に病院で死亡)夫婦は無事だった。犠牲者は五人となった。


そして橋田は今度はアパートの一階へと降りて行く。すると橋田の目の前で突然ドアが開いた。タイミング悪く、ちょうどこの部屋に住んでいる娘(20)が出勤するところだったのだ。

いきなり顔を合わせた形となった橋田は、間髪入れずこの娘の顔を切りつけた。六人目の犠牲者である(怪我)。部屋の中にいた父親(56)が急いでドアの外に出てみると、ここでいきなり橋田に胸を刺された。これで七人が刺された。

この父親を刺したのを最後に橋田は逃げ始める。最後の犠牲者のこの父親は橋田を追いかけたが、無念にも力尽きて途中で倒れ、死亡した。

5分後、通報を受けて駆けつけた西成署員が街にいる橋田を発見し、すぐに逮捕した。手にはまだ包丁を持ち、服は血に染まっていた。

橋田がアパートで凶行を行った時間はわずかに5分程度であった。その間に四人が殺害され、三人が重軽傷を負った。


▼犯行に至るまで

15歳で覚醒剤を覚えた橋田は、この頃から恐喝や詐欺などで警察から補導されるワルであった。親が覚醒剤を止めるよう何度も説得するが聞く耳を持たず、18歳で実家を出て行き、繁華街を転々としながら生活を続ける。

スリや空き巣を繰り返して五回逮捕され、そのうち三回は刑務所行きとなった。そのうち、あるホステスと知り合って言い寄り、同棲を経て結婚するが覚醒剤は相変わらず続けていた。


橋田忠昭
橋田は覚醒剤を買う金欲しさに妻にソープランドで働くことを強制し、妻が嫌がると子供に危害を加えると脅したり、妻を殴ったりしてでも命令に従わせた。しかし妻の稼ぎだけではまだ少ない。橋田は自分の両親から金を吸い上げることを思いついた。

実家へ行って両親に頭を下げ、「二度と覚醒剤はやらん。これからは真面目に働く。」などと言って両親を安心させ、「それでな、実は結婚して子供が出来たんやけど・・。なんやかやと金がかかるが都合してくれへんか?」

などと更正を装って両親から金を引き出した。孫が出来たことに喜ぶ両親は、橋田が真面目になったことを信用し、頼まれるがまま貯金通帳や家の権利書などを渡す。

しかし両親の気持ちも平気で裏切る橋田は勝手に家を売却し、それらの金を全て覚醒剤につぎ込んだ。両親が橋田の本性に気付いた時にはすでに遅かった。

自分の息子にだまされ、財産の全てを失った父親は、精神科の病院に入院することになり、恨みと後悔の中、この病院でこの世を去った。


一方、妻とはまだ一緒に生活を続けていたが、長年の覚醒剤の乱用で幻覚や幻聴がたびたび訪れるようになり、頭の中で「殺せ」という声が聞こえたり「妻が浮気をしている」などと思い込むようになり、突発的に包丁を持ち出して妻を刺したことがあった。この時は妻は一命を取り止めたものの、橋田は殺人未遂で3年の刑に服した。

妻も子供も、服役を境に橋田が覚醒剤を止めてくれると信じていたが、出所してからの橋田は期待をあっさりと裏切り、再び覚醒剤に染まっていった。頭の中はますますひどくなっていき、アパートの住人が階段を昇る足音や、干した布団を叩く音など日常での音が過剰なほど気になり、「奴らは騒音を出してワシに嫌がらせをしとる。」「ワシを追い出そうとしとる。」などの被害妄想を抱(いだ)くようになっていった。


仕事には就(つ)いておらず、月14万円の生活保護と妻の収入で暮らしていたが、妻との中は険悪で、夫婦喧嘩や家庭内暴力が絶えず、アパートには怒鳴り声がしょっちゅう響いていた。同じアパートの住人も不安を感じて怖がり、また、覚醒剤をやっているという噂も広まり、一度警察に相談したのだが、「ただの夫婦喧嘩でしょう。何かあるようだったら連絡して下さい。」と言われただけであった。

たび重なる暴力と奇行に耐えられず、妻は薬を飲んで自殺を図(はか)ったが、この時は幸いにも一命を取りとめ、退院後は救いを求めて子供を連れて宗教団体に入信した。既(すで)にすがるものは宗教しかない状態であった。

橋田は事件を起こした頃には毎日覚醒剤0.02gを注射しており、逮捕後に橋田の腕を見た警察官は、注射部分の腕の変色に驚いたという。


▼判決

昭和59年4月20日、大阪地裁で橋田には無期懲役の判決が下された。三人に重軽傷を負わせ、四人を殺害した判決としては軽過ぎるとの意見が上がったが、当時橋田は覚醒剤により心神耗弱(しんしんこうじゃく)の状態にあったと判断され、極刑である死刑から減刑されて無期懲役という判決となったのである。

※心神耗弱(しんしんこうじゃく)者:意思能力はあるが、精神機能の障害のため、その結果を正しく認識しえずに行為をするおそれがある者。

刑法によれば心神耗弱の状態にあった者は、刑を軽くするように定められており、また、心神喪失においては処罰されない。

心神喪失者:精神機能の障害のため、意思能力を欠く状態にある者。

覚醒剤を使用し続けた結果に引き起こした事件において、果たして心神耗弱による減刑が妥当かどうかは賛否両論あるところである。



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