Top Page  現代事件簿の表紙へ  No.033  No.031

No.032 アル・カポネ05 〜 裏切り者の処分

組織が大きくなっていくと、敵は外部だけではなく、組織の中にも現れてくる。従来通り敵との抗争を繰り返しながらも内部の粛清(しゅくせい)を行っていく。


▼トムソン議員の当選

1927年3月に行われたシカゴの市長選挙で、カポネが指示するビッグ・ビル・トムソンが当選した。カポネ同様、他のギャングたちにとってもトムソンは「都合のいい議員」で、多くのギャングたちの指示を集めていた。

トムソン議員は、「闇酒の販売やもぐりの酒場を許可する」という政策を、さすがに言葉に出してズバリとは言わなかったが、この政策を暗ににおわせるような発言をしており、彼が市長になってくれるとギャングたちも非常に仕事がやりやすくなるのだ。

期待通り当選したトムソンは、これまで禁酒法に厳しかった警察署長や役員を解任に持って行き、替わりに「話の分かる男たち」をその任務につけた。

以前の警察署長がうるさかったためにシカゴ郊外に本拠地を移していたカポネは再び本拠地をシカゴの都心部へ戻した。

今度の本拠地兼事務所はメトロポール・ホテルである。部下のために50室を貸し切りにした。このメトロポール・ホテルのすぐ近くには市役所と警察署があり、カポネはこの二つに勤めている役人の大半を早々と買収した。


▼それぞれの後継者

一方ギャング団たちは、休戦協定を結んだといっても相変わらず抗争を続けていた。カポネによって先代の親分を二人も(オバニオンとウェイス)殺されたノース・サイド団の次なるリーダーはバグズ・モランが務めていた。

モランは完全にカポネに敵意を持っており、ことあるごとにカポネのことを「ポン引き」(カポネが若い頃にやっていた風俗業の呼び込み)、「けだもの」などと馬鹿にした。

それまでカポネが独占していたドッグレース場を、また別に作って対抗したり、カポネ一味が輸送している闇酒を襲撃して奪ったりもした。また、カポネと仲たがいしたギャングたちも次々と仲間に引き入れた。


一方、ジェンナ兄弟が仕切っていたリトルイタリー地区を仕切り始めたのは、アイエロ兄弟である。

アイエロもまたカポネの命を狙う男で、モランと組んでカポネの殺害に5万ドルの懸賞金をかけて応募者を募(つの)った。

4人の殺し屋が応募してきてカポネ殺害に挑戦したが、4人とも逆に殺された。カポネの側近にはジャック・マクガーンという相当な腕の殺し屋がおり、全てマクガーンが片付けたのだ。

アイエロ自(みずか)らカポネの暗殺に挑んだが、潜伏先を警察に発見されて暗殺のアクションを起こす前に警察に逮捕されてしまった。

アイエロがカポネの命を狙っていること、そして逮捕されたことなどはすぐに裏社会に伝わり、大人数のカポネの部下がアイエロが拘留されている警察署を取り囲んで脅しをかけた。驚いたアイエロは警察に護衛してもらってシカゴから去った。


▼トムソン市長の敗北

シカゴの下級役人の候補を選ぶための共和党の予備選挙は1928年4月10日に行われたが、この選挙もまたギャングたちの選挙妨害がまかり通った。

トムソンの一派と、その対立候補にそれぞれギャングがつき、4人の立候補者の家が爆破された。また、殺害された候補者もいる。さらに現職議員のうちの一人は、家をダイナマイトで爆破された。

選挙日当日は、トムソンを応援するギャングたちが道路にあふれて道をふさぎ、更にこの日、一人の立候補者が投票所の外で銃で撃たれた。

しかし投票率はかなり良かったようで、大多数の市民たちは、ギャングが応援するトムソン派には投票しなかった。トムソン派の候補者たちは軒並み敗北した。

しかしながら、犯罪者や賄賂(ワイロ)に寛容と言われたトムソン市長は合計12年シカゴの市長を務めた。任期をあと3年残していたが、このたびの選挙で彼の派閥は事実上壊滅した。


選挙が終わった後、カポネは、フロリダへちょっとした旅行に出かけた。ここで14部屋もある大きな家を買い、再びシカゴに戻ってくる。

本拠地をこれまでのメトロポールホテルから道路を隔(へだ)てたレキシントンホテルに移した。レキシントンホテルでも豪快に部屋を借り、1フロア半を貸し切り状態にした。


▼大先輩のフランキー・イエールを殺害

今でこそ立場は逆転してしまったが、イエールはまだカポネが駆け出しの頃、よく可愛がってくれた男である。若き日のカポネはイエールの店でウエイターなどをして働きながら暗黒街のことを学んだ。

イエール自身はまだカポネの組織にいたが、カポネとの仲はうまくいっていなかった。以前、カポネが組織のシカゴ支部長を決めた時に、この選任された支部長が気に食わなかったらしい。


1928年、イエールは「闇酒を運ぶトラックがよく襲撃されている。」とカポネに言っていた。襲撃とは即(すなわ)ち酒を奪われることを指す。酒はカポネ一派にとって重要な資金源であり、このまま野放しにしておくわけにはいかない。

しかしカポネは、内部から得た情報などによって、襲撃されて酒を失うのではなく、イエールが酒を盗み、それを個人で売りさばいているのではないかとの疑いを持っていた。それが事実なら組織に対する裏切りである。

カポネは部下の一人に命じてイエールの監視を始めた。しかし監視を始めて間もなく、この部下は殺された。この事実と内偵により、イエールの裏切り行為は疑いから確信に変わった。いくら昔世話になったといっても、自分を裏切る者を生かしてはおけない。

7月1日、カポネの命令によって、マクガーン、アンセルミ、スカリーゼらの暗殺チームはフランキー・イエールを射殺した。


▼モラン暗殺計画を立てる

カポネの敵は色々といるが、中でも最も目ざわりで被害を与えているのがバグズ・モラン率いるノースサイド団である。モラン自身「奴(カポネ)をつけ狙う。」と宣言していた。

ある日、カポネの一番のお気に入りで最も信頼している殺し屋・マクガーンがモラン一味に襲われた。マクガーンが電話ボックスに入っているところを取り囲み、銃弾の集中砲火を浴びせたのだ。

電話ボックスは粉々になり、倒れたマクガーンの上には無数の破片の中が覆いかぶさった。しかし奇跡的にも、マクガーンはここから生きて救出されたのだ。数ヶ月の入院を経て、彼は再びカポネの組織へ戻って来た。


復帰してきたマクガーンは、カポネに「モラン一派を抹殺すべきだ。」と提案すると、カポネももちろん同意見であった。カポネはマクガーンに報酬の1万ドルと諸経費を払う約束をし、モラン暗殺を一任した。


ちなみにカポネの組織No.1の殺し屋であるマクガーンがこの世界へ入ったのはギャングたちの抗争に巻きこまれて父親を殺されたのがきっかけだった。マクガーンの父親はジェンナ兄弟のもとで闇酒の製造を行っていたが1923年に事件に巻きこまれて殺された。

その後マクガーンはその時の当事者たちを次々と5人殺し、カポネの組織に入ってからは組織の邪魔者を葬り、あっという間に幹部にまで昇格した男だった。


▼聖バレンタインデーの虐殺

マクガーンが中心となり、暗殺部隊のメンバーが選ばれた。カポネの一味からはスカリーゼ、アンセルミを含む4人、そしてデトロイトのパープル団も協力してくれることになり、そちらから2人のギャングを送り込んできた。

まずマクガーンたちは、モラン一派に
「略奪してきた極上のウイスキーがトラック一台分ある。これを1箱57ドルで売りたい。」と連絡を取った。もちろんこちらの正体がバレないように間に人を入れて連絡したのだ。

モランは非常に乗り気で、すぐに承知した。ノース・クラーク街のSMC運送会社の倉庫で取引を行うことになった。日時は1929年2月14日、聖バレンタインデーの朝である。


マクガーンはその日に向けて計画を練り、警官の制服を集めたりパトカーを用意したり、着々と準備を進めた。

そして2月14日、パープル団から来た2人は見張り役として、SMC運送会社の倉庫を、隠れて監視していた。時間前に約束通りモラン一派が現れた。彼らは倉庫の前に車を停め、次々と降りてきた。順次倉庫の中へ入って行く。

合計で7人。そして7人目の男は背が高く、灰色のコートを着ている。「モランだ!」そう判断した見張り役はすぐに暗殺部隊に連絡した。実はこの7人目の男は、ただのもぐり酒場の主人で、本物のモランはまだ到着していなかったのだが、背格好がよく似ていたので間違えられたのだ。
最大の標的モランが倉庫の中へ入ったとの連絡を受けて暗殺部隊が動き始める。

一方、倉庫の中では、モラン一派の7人がモラン親分の到着を待っていた。そこへシカゴ警察が使っているのと同型のキャデラックのパトカーが一台、倉庫の前に停まった。


この時、モランは少し遅れて倉庫に向かっていたのだが、ちょうどこのパトカーが倉庫の前に停まるのを目撃した。てっきり警察の手入れだと思ったモランはUターンをして倉庫へは入らなかった。

倉庫の前に停まったパトカーからは警官が3人と私服の男が2人降りてきた。警官3人は倉庫の中へ入ると「警察だ!」と叫び、モラン一派の7人から拳銃を取り上げた。

「壁の方を向いて整列しろ。」
7人のギャングが警官の方に背中を向けて整列した途端、私服の男たちが入ってきて、マシンガンを取り出し一斉に銃撃を開始した。

あっと言う間に7人の男たちは血ダルマとなり、全員その場に倒れ込んだ。「仕事」が終わると私服の男と警官たちは乗ってきたパトカーに再び乗り込み発進して逃走していった。7人全員が死亡した。
そして撃った男たちはもちろん本物の警官ではない。

後から到着したモランは「こんな殺しが出来るのはカポネしかいない!」と憎しみを込めて叫んだ。


このバレンタインの虐殺は世界中の新聞が報道した。ギャング同士の抗争はよくあるとはいえ、一回に7人の死者を出すようなことは滅多にない。
「シカゴは虐殺の町となった。」「世界に恥をさらした。」などと新聞は書きたてた。

カポネ自身はこの日フロリダでバレンタイン・パーティーを開いており、アリバイは完璧だった。
後にマクガーンとスカリーゼ、アンセルミが逮捕されたが、5万ドルの保釈金を払って釈放された。金の出所はもちろんカポネである。

ギャング同士の抗争は、いかにおおっぴらに殺されようとも捜査は困難であった。ギャングの世界の掟は、警察にいかなる情報も与えないことであり、重傷を負わされた被害者でさえ、犯人のことを喋らなかった。
明らかにカポネが指示を出していると分かり切っていても、その立証は難しかったのである。


▼スカリーゼとアンセルミの裏切り

シチリア人のシカゴ支部長は、ジョー・ジュンタという男だった。カポネが任命してその任務に当たらせていた男である。

そのシカゴ支部長ジュンタは、このたび副支部長にスカリーゼとアンセルミを指名した。そこまではよいのだが、しばらくして、カポネの耳にある話が舞い込んできた。

ボディガードの一人が進言してきたのだが、支部長のジュンタとスカリーゼとアンセルミの3人は、権力を握ったことで図に乗り、カポネの組織そのものを乗っ取ろうと計画しているというのである。いわばクーデターとも言える計画が進行していると言う。


カポネはすぐには信じられなかったが、反乱分子であれば、放っておくわけにはいかない。事の真偽を確かめるために一つ芝居を打つことにした。彼らの目の前でカポネとボディガードとが大ゲンカをし、ボディガードの方がいかもに恨みのこもったような態度で、今にも組織を脱退するかのような捨てゼリフを残して部屋から出て行く、という演出をしたのだ。

そしてこの芝居にスカリーゼが引っかかった。ケンカの後、一人になったボディガードに近づき「カポネを殺すつもりなら手伝ってやるぜ。」と言ったのである。このボディガードも、カポネには嫌気がさした、俺もお前たちの仲間になる、といった発言をしてスカリーゼたちから様々な情報を引き出した。

3人が裏切ろうとしているのは事実だったようである。


1929年5月7日、カポネはシカゴ支部の3人、支部長のジュンタと副支部長のスカリーゼとアンセルミを招いてパーティを開いた。なごやかな雰囲気で宴(うたげ)は続き、3人とも上機嫌だった。

カポネが乾杯の音頭を取るために立ち上がってグラスをかざした。しかしそれは処刑開始の合図であった。カポネのボディガードたちが一斉にジュンタとスカリーゼとアンセルミに飛びかかり、3人を縛り上げて猿ぐつわをかませて椅子に座らせた。

その間カポネは、3人の裏切りを大声で怒鳴り続けた。そしてカポネ自(みずか)ら野球のバットを持ってきて3人の頭や肩を始め、身体中のあらゆる部分を思いっ切り殴り続けた。

鈍い衝撃音が店内に響き、3人とも瀕死の状態となり、もはや声も出ない。ぐったりした状態になった時、部下が銃でそれぞれにとどめを刺して3人とも殺した。死体はインディアナ州の道路に捨てられた。



Top Page  現代事件簿の表紙へ  No.033  No.031