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No.055 熱心に捜査協力していた山口常雄の覚悟

一家4人が惨殺されるという事件が発生し、警察では当然のように、その時住み込みで働いていた「山口常雄」を疑った。しかし山口は断じて自分ではないと主張し、警察の捜査に必死になって協力したが、事件は大逆転の結末を迎える。

▼事件発生

昭和26年2月22日の午前中、一人の男が東京・築地警察署に駆け込んで来た。

「一家4人が殺されてます!」

男から事情を聞いて、警官が現場へと急行した。殺害現場は、東京・銀座にある中華料理店「八宝亭」。

店と自宅が一緒になっている建物で、自宅の1階6畳間に店の主人である岩本一郎(48)、妻(45)、長男(11)、長女(10)の4人の死体があった。布団は血に染まり、血しぶきが飛び散っている凄惨な殺害現場で、警官たちでさえ見るに耐えない光景となっていた。

凶器はマサカリで、4人とも頭を割られており、マサカリによる外傷は4人全員で52個所にも及んでいた。犯行の推定時刻は午前4時ごろで、現金3万円と預金通帳3冊(計25万円分)が盗まれていることが分かった。

そして警察に駆け込んで来た、この第一発見者は山口常雄(25)という男で、この八宝亭で2ヶ月くらい前から住み込みで働いている従業員であった。

山口は普段から2階で寝ており、この日、朝9時ごろ目を覚まして1階へ行くと、このような状況になっていたという。


▼私は絶対に犯人ではありません

この事件では当然疑惑の目は山口に向けられた。犯罪者が、第一発見者を装(よそお)うことはよくあることである。警察署で事情聴取を受けた山口は、

「2階で寝ていたのに、これだけのことが起こって目を覚まさないのはおかしくないか?」

と、刑事たちに詰め寄られた。

それに対し山口は、
「犯人はきっと『太田成子(なりこ)』です。」と、別の女の名前を出した。

「年のころは25歳くらいで少太りの女です。この女は昨日の夕方『女中募集の張り紙を見て来ました。』と言って店を訪れてその場で採用され、その日は店の1階の3畳の間に泊まっていました。

ですが、夜遅く太田成子の親類だという男が店に訪ねて来たんですよ。そして朝になったらその女は訪ねて来た男と一緒にいなくなっていました。」

と答えた。


確かに他の人たちからも、「昨日、店に出入りする少太りの女を見た。」という証言がいくつかあり、太田成子という女性がこの店に来ていたことは間違いないようだ。

警察は山口の証言に基(もと)づいて、この太田成子という女性の行方を追った。

しかし一方で、まだ山口に対する疑惑は残っていた。あれだけの犯行が起こっているのに寝ていて気づかなかったという点も不自然であるが、犯人は1階の4人全員を殺しているのに、2階の山口は襲っていない。

太田成子だという少太りの女性は何人かが見ているが、山口の証言にある『太田成子を訪ねてきた男』というのは誰も見ていない。また、普段お世話になっている親しい人が血だらけで倒れているのに、山口は警察へは連絡したが、病院へは連絡していない。助けようとする意思がなかったようにも思える。

これらの不自然な点を次々と突かれ、また、警察から言われる言葉のあちこちに自分が疑われていると感じた山口は、声を詰まらせ、

「私は、こうしてお世話になった主人のために(事情聴取に)協力しているのに、私を疑っている人がいるとは・・!もう死んでしまった方がマシだ!」

と、大声で涙を流し、絶対自分は犯人ではないと訴えた。

「悪かった、山口君。」

刑事の一人が頭を下げた。そういえば事情聴取をしている際にも、山口からは犯人らしき態度が何も感じられなかった。普通であれば心が揺れ動き、それが表情や態度に出るものだが、山口にはそれが全くない。

「あいつはシロだよ。演技であれだけ泣けるはずがない。」警察では、誰もが山口は無実だと信じた。

また、山口を追いかけていた新聞記者たちも山口と接するにつれ、その人柄から
「あんないい奴が犯人のはずはない。」と、噂するようになり、警察もマスコミも、容疑者から山口をはずして白紙の状態から真犯人を探し始めた。


▼必死に捜査協力する山口

警察にもマスコミにも分かってもらえたという喜びからか、山口は積極的に捜査に協力するようになった。捜査本部やマスコミには快(こころよ)く口を開き、明るく陽気に質問に応じた。

新聞各社には「おたくだけに話しますよ。」と、それぞれ独自の目撃情報を提供した。特ダネ欲しさに各社は山口を取り巻き、その名は度々(たびたび)新聞に掲載され、山口は一躍有名人となった。

更に朝日新聞には「私の推理」と題する記事を発表し、事件の全貌(ぜんぼう)や犯人を推理してみせた。

警察が追っている太田成子のモンタージュ写真作成にも協力的で、山口のおかげで太田成子のモンタージュ写真も完成した。また、警察から提供された売春婦のリスト5000人分をくまなくチェックし、太田成子らしき女性の候補も見つけ出した。

マスコミ各社はこぞって、必死に捜査協力する山口を応援するかのような報道を行った。その記事は感動的でさえあった。


▼真犯人逮捕

そして昭和26年3月10日、事件発生から2週間が過ぎたころ、ついに太田成子が逮捕された。

逮捕されて分かったことだが、彼女の名前は「太田成子」ではなく、本名は「西野つや子(24)」といった。「太田成子」とは、山口が適当に作った名前だった。

西野つや子、つまり太田成子は元売春婦であり、山口の協力で作られたモンタージュ写真にそっくりであった。

「真犯人、ついに逮捕か」と警察側も色めきたったが、その西野つや子の取り調べにおける証言に全員が驚くこととなった。

「あの事件の犯人は山口です。

山口から頼まれて、盗んだ通帳で金を引き出しに行きましたが、通帳とは違う印鑑を持って行ったために失敗してしまい、怖くなって逃げてしまいました。そのまま故郷に帰っていました。」

と、自分も山口の共犯であったことをあっさりと認めた。

あれだけ熱心に捜査に協力していた山口が、まさか真犯人だったとは。

衝撃の発言を受けてすぐに警察は山口の元へと向かった。17時過ぎ、山口はちょうど記者たちに囲まれており、相変わらず事件について語っていたが、駆けつけた警官たちにその場で逮捕された。

記者の誰もが
「山口君が事件解決を一番望んでいる被害者であり、必死に捜査に協力している好青年」
と思っていた。この現場での逮捕には記者全員がびっくりした。

連行される際に山口は
「今は大変疲れているので、明日、全てを話します。」と、素直に犯行を認めた。

だがこの後、留置場に入れられた山口は、隠し持っていた青酸化合物を飲み、事件について何も語らないまま留置場の中で自殺し、事件は唐突(とうとつ)に終りを告げることとなった。


「真犯人は山口であり、山口は留置場内で自殺」と、新聞で報道され、今度は日本中がびっくりすることとなった。

バレた時点で死のうと青酸化合物を常に持っていたのだろうか。熱心に捜査に協力する姿に、山口の死の覚悟に気づいていた者は一人もいなかった。演技と呼ぶにはあまりにも凄(すご)いものがある。

金目当てだったのか、恨みだったのか、動機も犯行の手口も、全ては分からないまま、山口はこの世を去った。分かったことは、山口には前科があり、この事件の2年ほど前、横領罪で執行猶予つきの有罪判決を受けていたということくらいである。

西野つや子に関しては、盗品運搬罪ということで懲役1年、執行猶予3年、罰金2000円という判決が下された。



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