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No.056 殺人鬼ゾディアック

動機不明の殺人を繰り返し、自分で警察に電話するなどの挑発行為を繰り返す。最終的な被害者の数は不明のままゾディアックは依然闇に消えている。


▼二件の発砲事件

1968年12月20日、アメリカ・カリフォルニア州、ヴァレイホ近くのデートコース・通称「恋人の道」で、デビッド・ファラデーという小年とベティルー・ジェンスンという少女がデートをしていた。

2人はハーモン貯水湖のポンプ小屋の陰に車を停めて、キスに夢中になっていた。その時突然、何者かに外から車の窓を叩かれた。デビッドが振り向くと、車の外には拳銃を持った太った男が立っていた。

「降りろ。」と男が命じる。震えながらデビッドが車から降りると、その瞬間デビッドの頭に弾丸が叩き込まれた。

バッタリと倒れたデビッドを見てベティルーは「キャーッ」と悲鳴を上げ、車から降りて走って逃げ始めた。しかし男は逃(のが)さず、今度はベティルーめがけて5発の弾丸を放った。

鮮血に染まり、ベティルーもその場に倒れた。

数分後、たまたま通りかかった車が倒れている2人を発見し、すぐに警察を呼んだが、警察が到着した時には2人はすでに死亡していた。

2人とも何も盗られた様子もなく、少女の方も服は乱れておらず暴行された形跡もない。犯人の動機は全くの不明だった。


1969年7月4日、ポンプ小屋の殺人事件から約半年後、この現場からわりと近い位置にある、ブルー・ロック・スプリング公園で23時過ぎ、一組のカップルが車の中で話をしていた。

マイケル・ルノー・マゴー(男性 = 19)と、ダーリーン・エリザベス・フェリン(女性 = 23)の2人である。

その時、一台の車が近づいて来て、2人の車の横に停車した。中から男が降りてきて2人の車に近づいて来る。車のすぐ横に立った男は銃を取り出し、いきなり2人めがけて発砲した。

弾丸はダーリーン(女性)に2発、マイケル(男性)の首に1発命中した。男はすぐに自分の車に乗り込み、猛スピードで逃げていった。男が逃げた後、マイケルは何とか車から這(は)い出したが、そこで意識を失って倒れた。


▼犯人からの犯行声明

日付が変わって7月5日の午前0時4分、ヴァレイホ警察署に男から電話がかかってきた。

「殺しを二つ教えてやろうか。コロンバス・パークウェイを1.6キロほど東へ行って、そこで茶色の車の中を見てみろ。

ガキが2人死んでるはずだ。撃ったのは9ミリのルーガーだ。去年、湖でガキどもを殺したのも俺だ。じゃあな。」

男は太いドラ声で一方的にしゃべって電話を切った。

すぐに警官が言われた場所へ駆けつけると、男の言った通り、2人の人間が撃たれてぐったりしていた。2発撃たれたダーリーン(女性)の方はすでに死亡していたが、マイケル(男性)の方はまだ息があった。すぐに病院に運ばれてマイケルは何とか一命を取りとめた。

マイケルの証言によると犯人は「太っていて、背は高くも低くもない程度、丸顔で髪はちぢれている、年齢は25歳から30歳くらい」ということだった。

自分の方から前の殺人のことまでしゃべるというのは、捕まらない自信があるのか、自慢したいのか。ただ、警察は、この犯人の言う「前の殺人」というのも、かなり信用出来る発言として捕らえた。

二件の事件で4人が撃たれ、そのうちの3人が死亡した。この事件も前回と同じく動機は不明で、無差別殺人とも思えるような事件だった。


▼ゾディアックと名乗る男からの手紙

公園の事件から4週間後の8月1日、ヴァレイホの「タイムズ・ヘラルド」社に1通の手紙が届いた。手紙には汚い字で、上記のダーリーン殺害の犯人でなければ知らないようなことが多く書かれでおり、「○」の文字の中に「+」(十字)が書かれた、照準器のようなサインがしてあった。

手紙の差し出し人は、「ゾディアック」と名乗っていた。

手紙は犯人からのメッセージが書かれた紙以外に、暗号文が書かれた紙が1枚同封してあった。この暗号文の方は「サンフランシスコ・クロニクル」誌と「エグザミナー」誌にも送られていることが分かった。

暗号文は3枚とも内容が違うもので、犯人からの手紙によれば、この3枚を組み合わせれば差し出し人が誰だか分かると書かれてあった。また、この手紙を1969年8月1日発売の3誌に載せなければ、俺は車で走りまわって10人以上の人間を殺すだろうとも予告してあった。新聞で大々的に報道して欲しいという意図は明らかだった。

海軍の暗号解読の専門家を始めとして、色々な人間が暗号解読に挑んだ結果、ある学校教師が解読に成功した。犯人のメッセージは次のようなものだった。

「俺は人殺しが好きだ。とても楽しいから、森でケモノを殺すよりも楽しい。

人間は一番危険な動物だ。殺人は俺にとっては最高のスリル。女の子とセックスするよりも楽しい。

特にいいことは、俺が死んで楽園に生まれ変わった時、俺が殺した奴らはそろって俺の奴隷になるところだ。

俺の名前(本名)は言わない。言えばお前たちは、将来、俺が生まれ変わった世界のために、今やっている奴隷狩りを邪魔するか、やめさせようとするからだ。」

3誌は、暗号までは新聞に掲載したが、世間に恐怖を与えるような脅迫文の部分までは掲載しなかった。


▼また殺しを二件教えてやる

脅迫状が新聞に掲載されてから約2ヶ月後の9月27日、ナパ谷のベリエッサ湖畔で、パシフィック・ユニオン・カレッジの学生が2人で食事をしていた。ブライアン・ハートネル(男性)とシシリア・シェパード(女性)の2人である。

突然、覆面をかぶった男が木の陰から現れて、2人に近づいてきた。胸の部分には○に十字のマークが書かれてあった。

覆面の男は片手に拳銃、もう片方の手にナイフを持ち、ブライアン(男性)に銃を突きつけ、
「金を出せ!」と叫んだ。

パニックに陥(おちい)ったブライアンは、
「欲しい物は何でも差し上げます!」と、震えながら叫んだ。

「俺はモンタナのディア・ロッジ刑務所から逃げて来た。お前らの車をもらう。」
と言って、怯える2人をロープで縛(しば)り始めた。

2人とも縛り終えると、
「お前らみたいな奴は殺してやる!」

と叫んでブライアンの背中をナイフでメッタ突きにした。次にシシリアに襲いかかり、同様に背中をメッタ突きにした後、シシリアをひっくり返し、腹や胸にもナイフを突き立てた。

その後、覆面の男は、彼らの乗って来た車に近づき、黒のマジックで、例の○に十字のマークと、自分が行った前の二件の殺人の日付を書いてから立ち去った。


ナパ警察署に電話があったのはそのすぐ後だったようだ。
ドラ声で「また殺しを二件教えてやる。」と言って、相手の男はベリエッサ湖畔の特定の場所を説明した。

すぐに警官がそこへ駆けつけると、縛られて血まみれになった2人が転がっていた。2人ともこの時点ではまだ生きてはいたが、シシリアの方は収容先の病院で二日後に死亡した。ブライアンの方は一命を取りとめ、何とか回復に向かった。
ゾディアックに襲われた死亡者はこれで4人目となった。

後の調査で、ゾディアックが使った電話は、ナパ警察署から6ブロック離れた公衆電話であることが判明した。また、ディア・ロッジ刑務所に問い合わせてみたが、脱走した者などはいないという返答だった。


▼5人目の犠牲者

ベリエッサ湖畔の事件から2週間ほど経った10月11日、またもやゾディアックの犠牲者が出た。今度はタクシーの運転手である。

サンフランシスコでタクシー運転手をしているポール・スタイン(29)は、ノップ・ヒルのフェアモントホテルの近くで一人のお客を拾った。褐色の髪でネガネをかけた太った男だった。

約15分後、ポール運転手は言われた通り、ワシントン通りとチェリー通りのかどの歩道に車を乗り上げて停車した。その途端、男は銃を取り出し、運転手の後頭部めがけて数発を発射した。

ポール運転手は即死し、タクシーから降りた男はすぐに運転席の方へまわり、運転手の財布を抜き取った。その後、運転手の着ていたシャツを引き裂いて、その切れ端で自分の指紋がついたであろう場所を拭き始めた。

間もなく2人の通行人が通りかかったことに気づき、男はプレシディオ広場の方へ逃げていった。


この事件の4日後、サンフランシスコの「クロニクル」誌に犯人からの手紙が届いた。

「俺はゾディアックだ。タクシー運転手を殺したのは俺だ。

(警察に対して)その気になれば、昨日俺を逮捕出来たのに残念だったな。

ところで、小学生というのはいいターゲットになる。いつか、スクールバス一台分皆殺しにしてやろうと思っている。

タイヤを撃ち抜いて、ガキどもがバラバラ出て来たところを狙い撃ちにしてやる。」

手紙にはこういった内容が書かれていた。


この度(たび)のタクシー運転手の件では2人の目撃者がおり、その2人に協力してもらってモンタージュ写真が作成された。また、ベリエッサ湖畔での事件の時にゾディアックがナパ警察署へかけた公衆電話からは有力な指紋も採取出来ていた。警察側も少しずつ犯人に近づきつつあった。


▼自首するには条件がある

タクシー運転手殺しの10日後、今度はオークランド警察署にゾディアックから電話がかかってきた。例の太いドラ声で、これまでの数々の殺人の、犯人でなければ知らないようなことを語った後、驚くようなことを言い始めた。

「自首することにした。」とゾディアックが言いだしたのだ。

ただし条件をつけてきた。
「F・リー・ベイリーかメルヴィン・ベリーのような有名な弁護士をつけること。」
「人気番組であるジム・ダンパーの朝のトークショーに出演して話をさせること。」もちろん出演は電話出演である。

やってみる価値があると判断した警察側はこれらの条件を呑み、準備を始めた。弁護士の方はメルヴィン・ベリーに頼むと快くOKしてくれた。


▼テレビ出演

朝の番組の方も、テレビ局に要請を行ってOKしてもらい、司会者のジム・ダンパーにもゾディアックからの電話を受ける時間を番組の中で作ってもらうように打ち合わせを行った。

更にゲストとして、ゾディアックの声を聞いたことのある3人の人物を招くことにした。一人はベリエッサ湖畔でメッタ突きにされながら何とか一命を取りとめたブライアン・ハートネル、残りの2人は電話交換手である。

この出演予定は事前に報道されていたため、この日、朝6時45分に始まるジム・ダンパーのトークショーは驚異的な視聴率となった。

そして番組が開始されると、7時41分、本当にスタジオに電話がかかってきた。電話の相手はゾディアックだと名乗った。しかしその声は、か細い小年のような声であり、ブライアン・ハートネルと2人の電話交換手は「これはゾディアック本人ではない。」と断言した。

わずかな会話の後、電話は切れ、そしてまたかかる。合計15回も電話をかけたり切ったりが繰り返された。

「去年12月に人を殺してからずっと頭痛に悩まされている・・。」
「今も頭がガンガンするようだ・・。」

と苦しそうに言い、以前のドラ声で挑発的な人物とはまるで別人であった。


スタジオにはメルヴィン・ベリー弁護士も来ており、メルヴィン弁護士は会話の中で自首を勧めたが、男は承知しなかった。しかし何とか2人で会う約束はとりつけた。

警察はゾディアック本人ではないとの判断を下したが、メルヴィン弁護士は後日、その約束の場に赴(おもむ)いた。だがこの約束はすっぽかされ、誰も来なかったようだ。


▼助けてくれ

約束を破られはしたが、その後、メルヴィン弁護士は一通の手紙を受け取った。ゾディアックからだった。

自分が本人である証拠として、封筒の中には、タクシー運転手殺害の時の血まみれのシャツの切れ端が同封してあった。
「親愛なるメルヴィン・ベリーへ」で始まるこの手紙は、助けを求めているような内容が書かれていた。テレビ局に電話してきた声は以前のゾディアックとはまるで別人のようだったが、やはりあれは本人からの電話だったのだろうか。

「俺は自分から助けを求めることが出来ない。俺の中のもう一人のあいつがそうさせてくれないからだ。

だんだん自分にブレーキをかけられなくなっているのが分かる。そのうちブレーキが壊れて、9人目、10人目を殺してしまいそうだ。

助けてくれ。俺は溺(おぼ)れかけている。」

こういった内容だったが、スペルもメチャクチャで、精神状態はかなりひどいようだった。


▼途絶えた手紙

メルヴィン弁護士は手紙のことをサンフランシスコ警察へ知らせた。ゾデイアックの殺人は、判明しているものが4件、襲われたのが7人、そのうち死亡者が5人である

9人目、10人目を殺してしまいそうだということは、これまで8人殺しているのだろうか。
手紙を受けて警察は捜査を強化したが、依然ゾディアックの行方は掴(つか)めなかった。そしてしばらくして、警察にもゾディアックから手紙が来るようになった。

主な内容は、警察が発表した被害者の数が違うというものであり、最初に警察が発表した「被害者は5人」という点について「7人殺した」と反論していた。

警察側が6人と訂正すると「17人殺している」という手紙が来た。こういった調子でゾディアックから手紙が送られて来ていた期間は7年にも及ぶ。その間も逮捕はされず逃走を続けていた。

1974年に送られてきた手紙には「37人殺した」と書かれてあり、サンフランシスコ警察は「そんなに多くの死体はない」と反論した。

そしてこの手紙を最後にゾディアックからの通信は途絶えた。


1975年、ソノマ群の保安官のドン・ストリーピークが、州法務長官の事務所に記録の残っている殺人事件をコンピュータで分析してみたところ、西部5州で起こった事件の中で、40件ほどは同一の犯人による可能性が高いという結果が出たという。

それはゾディアックが事件を起こしていた範囲でもあり、手口も彼の手口によく似ているという。もちろん確証はないが、これはゾディアックの最後の手紙に書かれていた37人という数字に極めて近い。

ゾディアックからの手紙が途絶えたのは、彼自身に何かあったのか、すでにこの世にいなくなったのか、あるいは殺人を続けながらも単に手紙を書かなくなっただけなのかは分からないが、結局ゾディアックはいまだに逮捕されることなく闇に消えている。



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