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No.063 パラシュートで脱出したハイジャック犯・ダン・クーパー

身代金として、現金とパラシュートを要求した犯人は、飛行中の旅客機から飛び降りて逃走した。

▼爆弾を持っている

1971年11月24日。ノースウエスト航空(現:デルタ航空)11便(機体はボーイング727-100型)は、アメリカ・ワシントンD.C.を離陸し、オレゴン州ポートランド空港を経由して、16時35分、最終目的地であるシアトルへと飛び立った。シアトルまでは約1時間の予定である。

離陸して間もなく、ポートランド空港で乗り込んだ、一人の男性客が、機内サービスに訪れた客室乗務員の女性にバーボンを注文し、代金と一緒に一枚のメモを渡した。

ナンパが目的で女性乗務員に自宅の電話番号のメモを渡すということはよくあるらしい。女性乗務員はその類(たぐい)かと思い、一応受け取ったが、男はその際に

「爆弾を持っている。」「すぐ見て欲しい。」と言った。

まさか本当のはずがないと思い、受け取ったメモを見ると、そこには、爆弾を持っていること、乗客の身代金として20万ドルを要求すること、パラシュートを4つ用意すること、などが書かれていた。

もし本当のハイジャックだったら、と思った彼女はすぐに操縦室にこのことを伝えた。操縦室も半信半疑だったが、乗務員同士で話し合った結果、機長が実際に確かめに行くことになった。

客室に来た機長は、男の隣の席に座った。他の乗客に聞こえないよう配慮しながら

「本当に爆弾を持っているのか。」

と尋(たず)ねると、男は自分のアタッシュケースを開けてみせた。

中に入っていたのはダイナマイトだった。赤い管と導火線が見えた。

機長は再び操縦室に戻るとすぐに、ハイジャックされたことを管制塔に伝えた。この機には乗員が6人・乗客36人が乗っていたが、乗客に知られると機内がパニック状態になるので、乗員たちは、乗客に悟られないよう、静かに行動した。

管制塔からは「犯人に従うように。」という指示が出された。

乗客名簿によれば、男の名前は「ダン・クーパー」となっていた。しかし偽名であることはほぼ間違いない。


17時45分、ノースウエスト航空(現:デルタ航空)11便(ボーイング727)は、シアトル・タコマ国際空港へ予定通り着陸した。

「要求したものが手に入ったら次の指示を出す。」「乗客はそれまで降ろすな。」

クーパーは機長たちにそう言った。

機内アナウンスで、「ただターミナルが大変混雑しておりますので、しばらく機内でお待ち下さい。」と放送し、乗客たちに待ってもらうことにした。

間もなくクーパーの要求した現金20万ドルとパラシュート4つが機内に運び込まれた。現金20万ドルは、現在の日本円で約1億に相当する。

目的の物を確認したクーパーは、乗客全員を降ろしてもよいという指示を与えた。また、乗員も2名開放してやった。機体の外では多数の捜査員が待機しており、突入の機会をうかがっていた。場合によっては射殺せよとの命令も出されていた。

この光景や後から聞いた話で、乗客たちは初めてこの飛行機がハイジャックされていたことを知ったという。


▼再び離陸・逃亡

機内にはまだ4人の乗員が人質として残されている。クーパーはこの乗員たちを乗せたまま、ネバダ州リノまで飛ぶように要求を出した。人質がいる以上、従わざるを得ない。

19時40分、ボーイング727はリノを目指して再び離陸した。離陸するとクーパーは、機長に高度1万フィート(3000メートル)を維持するように命令した。さらに車輪を出し、フラップの角度を15度下げるようにも指示した。このような飛び方をすれば、空気抵抗が増し、飛行の速度は極端に落ちる。


※フラップ : 飛行機の揚力を増すための装置で、必要な時に主翼から展開させる形式のものが多い。ウィキペディア フリー百科事典 高揚力装置


旅客機は普通、高度6000メートルから1万メートルを飛行する。そして速度は時速1000kmくらいが通常の飛行である。ボーイング727の飛行速度は、車輪とフラップにより、時速320kmにまで落ちた。高度も速度も異例の飛び方であり、犯人の意図も不明だったが、機長は従わざるを得なかった。

FBIからの連絡を受けて、米軍のF-106戦闘機がボーイング727の追跡を開始した。

20時ごろ、犯人は乗員に対し、全員操縦室に入るように指示した。そしてそこから絶対出て来るなと言い残して自分は客室に戻った。

後部ドアは、開いて昇降用の
階段が降ろされる。
その10分後である20時11分ごろ、ボーイング727の後部にある非常用ドア(昇降用階段)が開いた。次の瞬間、そこから一人の人間が飛び出した。現金を持ってパラシュートを背負ったクーパーだった。

ドアを開けた瞬間、機内には暴風が吹き込んできた。機体は大きく揺れ、客室にはすさまじい風の音が響く。操縦室にいた乗員たちも当然異変を感じとったが、ここから出るなと言われている以上、様子を見にいくわけにもいかなかった。

追跡していたF-106戦闘機は、犯人のこの行動に気づかなかった。夜間の上に曇り空で、視界が非常に悪かったためである。

当時のボーイング727は、飛行中でも手動で非常用のドアを開けることが出来る構造になっていた。クーパーはそのことを知っていた。


機体が不安定なまま飛行を続けたボーイング727は、22時15分、何とかリノに着陸することが出来た。着陸するとすぐに機長と副機長は、クーパーに次の指示を聞くために客室に入った。

しかしそこには誰もいなかった。着陸の際、機体後部の非常用ドアが開いているのは空港で待ち構えている捜査員たちも気づいたが、着陸してから、そのドアからは誰も出て来ていない。犯人は飛行中に消えたとしか考えられなかった。



後で考えてみると、犯人が高度を3000メートルに保つように指示したのも、車輪やフラップで速度を落とさせ、時速320kmくらいで飛行させたのも、飛び降りることを前提とした指示だった。

旅客機が通常飛行で飛ぶ1万メートル近い高度では、外はマイナス20度くらいの世界であり、更に酸素も薄い。更に、通常飛行の速度である時速1000kmくらいの状態で外に飛び出せば、すさまじい風圧が身体を襲う。おそらく生きて地上に降りることは出来ない。

上空からパラシュートを使って飛び降りるといえば、まさにスカイダイビングであるが、犯人の指示した飛び方は、スカイダイビングを行う際の条件に極めて近いものであった。(通常のスカイダイビングであれば、時速300kmくらいで飛行しながら飛び降りると言われる。)

犯人の着地した地点は、ボーイング727の飛行コース、速度、ドアが開かれた時間などから、ポートランドの北・約50kmにあるアリエルの郊外の山の中だと推測された。500人の捜査員を使い、大規模な捜索が18日間に渡って行われたが、手がかりとなるものは何も発見されなかった。

森の中で死んでいるのならば、死体や現金が見つかるはずであるが、発見されない。その代わり、クーパーとは関係のない他の行方不明者の死体は何体も発見された。

また、ボーイング727の客席にも指紋は残っておらず、更に、奪われた紙幣は全て番号が記録されていたが、それらの紙幣が流通した形跡もない。クーパーの手がかりは、ほぼ完全に途絶えてしまった。



まるで映画のような手口でハイジャックを成功させ、死体も見つからないことから「ダン・クーパーは生きている」との印象も広がり、マスコミも代々的に報道したことから、クーパーは、犯人というよりヒーローのような感覚で人々の話題となった。

クーパーのTシャツが発売されたり、「俺がダン・クーパーだ。」と警察に名乗り出る者も何人もいた。だが、名乗り出た者は皆、人騒がせな偽物ばかりであった。

FBIはダン・クーパーを指名手配したが、後に「ダニエル・B・クーパー」という人物を容疑者として拘束し、これをマスコミが報道したために、犯人の名前は「D・B・クーパー」だと、世間に広まってしまった。結局ダニエル・B・クーパーは犯人ではなかったのだが、アメリカではこの事件は一般的に「D・B・クーパー事件」と呼ばれるようになった。


▼奪われた紙幣の一部が発見される

事件から8年以上経った1980年2月、ワシントン州を流れるコロンビア川流域で、290枚の20ドル紙幣が発見された。

この地にキャンプに来た家族が偶然発見したもので、290枚の紙幣は束のまま地面に埋まっていた。紙幣のナンバーを調べてみると、クーパーに奪われた紙幣であることが判明した。

いつ頃から、この地に埋まっていたのかを考古学者に依頼して地質調査などをしてもらった結果、この紙幣は、クーパーの事件のあった1971年に埋められたものではなく、それから3年ほど経った1974年以降に埋められたものであることが分かった。

このことから考えられることは、2パターンある。

一つは、事件から3年以上経って、誰かが外部から持ち込んでここに埋めたというケースである。だがもし、そうであったとしたら、そのような行動をする意図が不明である。

そしてもう一つは、クーパーがあの時、逃亡の負担になるだろうという考えから、いったん川の付近に金を埋めて、後に取りに来るつもりだったものが、思いの他警戒が厳しくて取りに来れずに3年以上経過してしまい、そのうち埋めた金が雨などで流れ出してここに流れついたというケースである。

しかしこの紙幣は発見されただけにとどまり、ここから新たに捜査が進展するということはなかった。


▼ダン・クーパーのその後の推測

この事件は、犯人の正体が不明のままで逃亡された、世界で唯一の未解決ハイジャック事件と言われる。犯人のダン・クーパーがその後どうなったかについては、いくつかの推測がされている。

説(1) ダン・クーパーは、事件の時に死亡

渡されたパラシュートのうち一つは、地上訓練用のパラシュートで、空中では開かないために、地上に激突して死亡した。

・パラシュートは開いたが、落ちた先がコロンビア川の中だったために、そのまま溺死した。

・地上に降りることには成功したが、冬の寒さと飢えのために、山の中で衰弱して死んだ。


説(2) 生きて逃亡した。そしてその正体は、別のハイジャック犯でもあり、元軍人でもあるリチャード・マッコイである。

この説は、1991年に発刊された書籍で、ダン・クーパーの正体を推測したものである。

リチャード・マッコイとは、軍人時代にはグリーンベレーに所属し、ベトナム戦線を戦った軍人である。彼の担当は爆発物の処理だった。その上、ベトナムから帰還後には、スカイダイビングのインストラクターをやっていた。

ダン・クーパーを目撃した人の話では、クーパーとマッコイは人相も非常に良く似ているという。


リチャード・マッコイもまた、ハイジャックを行った犯人である。クーパーの事件の翌年である1972年にはアメリカでハイジャックが急増し、31件ものハイジャック事件が発生した。そのうちの15件は奪った現金と共にパラシュートで脱出するという、クーパーの方法を真似たものである。

しかしこれらの事件では、ほとんどの犯人はすぐに逮捕されるか射殺されている。

マッコイがハイジャックを行ったのは、クーパー事件の翌年である1972年である。方法もクーパーと同様、メモを渡して爆弾で脅し、50万ドルとパラシュートを要求した。

クーパーと同じように飛行中に飛び降り、この時は逃亡に成功したが、機内の座席にあった新聞に指紋を残してしまっており、これが決め手となって、後日逮捕された。裁判での判決は、懲役45年となった。

しかし1974年8月、マッコイは脱獄に成功する。服役中、マッコイは、所内の歯科治療室の手伝いの担当になっていたが、歯型などを作るための石膏を盗み出し、それを別の囚人に頼んで銃の模型を作ってもらっていた。脱獄のための小道具である。

色まで塗って本物の銃のように見せかけ、毎週定期的に来るゴミ収集車が来た時を狙って、この銃で看守を脅し、ゴミ収集車を奪って、刑務所の門を一気に突破した。

脱獄に成功した後は、刑務所内で知りあった仲間と共にバージニア州でひっそりと暮らしていたが、脱獄してから3ヶ月後、情報屋の密告により、潜伏先がFBIにバレてしまう。

逮捕に向かったFBIと戦闘になり、マッコイはこの場で射殺された。マッコイがクーパーの正体だったのかどうかは不明のままである。


説(3) 逃亡が成功し、天命を全(まっと)うして自然死

2011年8月2日のロサンゼルス・タイムズ紙など、複数の新聞に掲載された記事によれば、「約10年前に老衰で死亡した男性がクーパーである」という情報を、FBIの捜査官が得たと報じた。当時クーパーは指紋を残していないと思われていたが、当時、機内にクーパーのものと思われるネクタイを残しており、そのネクタイピンからわずかな指紋が検出されたという。

この残された指紋と老衰で死亡した男性の指紋、残留物に残されたDNAの鑑定が行われているとの報道があった。もし同一人物であれば逮捕されないまま逃げ延び、自然死を迎えたことになるが、そういった報道を聞かないということは、違ったのであろうか。



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