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No.067 リンカーン大統領暗殺に関する疑惑

アメリカの二大大統領暗殺事件の一つである、第16代大統領エイブラハム・リンカーンの暗殺事件は、実行犯が射殺され、共犯者も逮捕されて解決している。

だが、後に数々の不審な点が指摘され、多くの謎が残る事件として伝えられている。
実行犯は氷山の一角であり、背後にそれを指示した政治的な組織がいたのではないか、表面に出て来なかった共犯者がまだいたのではないかと事件当初から噂になっていた。


▼南北戦争の終結

1865年4月9日、アメリカでは4年間に渡る南北戦争が終結した。南北戦争とは、アメリカ合衆国に起こった内戦であり、アメリカが南部と北部に分れて戦争状態となった時代のことである。

奴隷制度と貿易の方針に関して意見が対立していた南部と北部は次第に対立が激化し、1861年4月12日、ついに戦争が勃発(ぼっぱつ)。奴隷制度の存続を主張する、アメリカ南部の11の州が合衆国を脱退してアメリカ連合国を名乗り、奴隷制度の廃止を主張する北部23州と、激しい戦闘を繰り広げた。

北部を率いていたのが、エイブラハム・リンカーン大統領であり、南部は南部で、独自の大統領を選出していた。

1864年3月、北軍にグラントが総司令官として就任して総指揮を取るようになり、1865年4月には南部の首都リッチモンドを陥落させ、北部(リンカーン側)の勝利で戦争は終結した。

この戦争による犠牲者は、戦死と戦争中の病死を合わせると両軍で82万1000人にも昇った。


▼グラント将軍と芝居を見に行く予定だったが

1865年4月14日。南北戦争が終結して5日後のことである。この日は北軍の総司令官を務(つと)めたグラント将軍がワシントンに帰還して来る日であった。
第16代アメリカ大統領
エイブラハム・リンカーン

戦争に勝利してやっと一息つけたリンカーン大統領は、この日、グラント将軍とグローバー劇場へ芝居を見に行く約束をしていた。

だがここで最初の不審な出来事が二つ起こる。

グローバー劇場へ行く予定だったが、それが当日になってフォード劇場に変更された。大統領が変更したのではない。側近の誰かが、フォード劇場へ行くように大統領の予定を変更したのだ。誰がどういう理由で変更させたのかは分っていない。

更に、一緒に行く約束をしていたグラント将軍もリンカーンとの約束を断ってきた。

14日の朝、ホワイトハウスで朝の閣議が終わった時、その閣議に出席していたグラント将軍は、やって来た使いの者から、あるメモを手渡たされた。

その場でメモを読んだグラント将軍はリンカーンに向かい、

「申し訳ありません、ニュージャージー州バーリントンにいる子供に会うために、6時(18時)の汽車に乗らなければならなくなりました。今夜は一緒に行けそうもありません。」

と言って劇場行きの約束を断り、すぐに帰ってしまったのだ。


このメモが誰からのものだったのか、そして何が書いてあったのかも不明である。

だが子供が大事なのは分るが、戦時中に総司令官を務めたような人物が、大統領との約束をその場で放棄するということをするであろうか。

更に追求するなら、グラント将軍が乗ると言っていた18時の列車は各駅停車で、夜中に2回の乗り換えをしなければならない上に、翌朝になってもバーリントンには到着しない。翌朝始発の急行に乗った場合、午後3時頃にバーリントンに到着する。確かに18時の列車の方が若干早く着くものの、到着時間にそう大差はない。

一緒に劇場へ行って翌朝帰るというパターンも選択出来たはずであるが、グラント将軍は強引に帰ってしまった。

これも謎とされている点で、グラント将軍はそのメモによって、フォード劇場へは近寄らない方がいいと知ってしまったのではないかと推測されている。


▼同行者として別の人物が決定

グラント将軍に断られ、夜の劇場行きのメンバーがいなくなってしまったので、リンカーンは午後になって陸軍省に足を運んだ。一緒に劇場に行ってくれるメンバーを探すためである。

この陸軍省の長官はエドウィン・スタントンという男が務めている。このスタントン長官こそ、後に不審な行動をとりまくり、事件の最大のカギを握る男と言われている人物である。

リンカーンはスタントン長官に

「今夜、エッケルト少佐を借りられないかな?一緒に劇場へ行って欲しいんだが。」

と頼んでみた。

エッケルト少佐とは、スタントン長官の首席副官を務めている、軍の中でもかなり上の地位にある人物である。だがスタントン長官は「彼は今夜は重要な任務があるのでダメです。」と即座に断ってしまった。

ここでも断られたリンカーンは、少し落胆し、

「では、ラスボーン少佐でも誘ってみるか。」と、若いラスボーン少佐に劇場行きの話を持ちかけてみた。こちらはOKだった。

ようやく劇場行きのメンバーが決まった。

リンカーン夫妻、ラスボーン少佐とその婚約者であるクララ・ハリスの4人である。


▼フォード劇場へ出発

20時10分ごろ、馬車に乗って4人はフォード劇場へと出発した。

(ここでは4人となっているが、事件から27年も経った後、チャールズ・フォーブスという男が劇場で一緒にいた5人目の人物として発表されている。捜査にも当然関わってきているはずであるが、なぜか彼の存在は全く表に出て来ず、長い間、劇場へ行ったのは4人であると伝えられてきた。)

20時30分、フォード劇場へ到着した。芝居はすでに始まっていたが、観客たちは総立ちで大統領を迎え、俳優たちも一時芝居を中断して大統領を迎えるという歓迎ぶりだった。

フォード劇場の支配人は大統領の訪問におおいに喜び、大統領一行を2階のボックス席へと案内した。案内された席は2階の7号室と8号室だった。

このフォード劇場でも不審な点が報告されている。

ボックス席はもちろん他にもあったのだが、この日、他の人がボックス席を希望しても、皆「満席です。」といって劇場側に断られている。ところが芝居が始まってみると、2階のボックス席は、大統領一行が座った席以外は全て空席だったのだ。

そして大統領夫妻が案内されたのは8号室であったが、その8号室は、ドアのカギが壊れている部屋だった。この点も疑問視されているところである。フォード劇場の支配人は、なぜよりによってそのような無用心な部屋に大統領を案内したのか。

そして警備を担当したボディガードにも問題があった。警備に当たったのはジョン・パーカー(35)という警官1人のみであったが、彼は普段から勤務態度が非常に悪く、勤務中でも酒を飲んだり、大した理由もなく銃を発射したり上官に反抗したりなど、とても大統領の護衛を任せられるような人物ではなかった。

実際、パーカーがドアの外で護衛していたのは、芝居が始まってからほんの数分だけであり、すぐに持ち場を離れて2階特等席に座って芝居を見始め、やがてそれにも飽きて劇場の外へ出て、近くのバーで酒を飲み始めている。

常識はずれの職務怠慢であるが、大統領が暗殺された後も、この警官は特に罰則は受けていない。


▼暗殺実行

暗殺の瞬間を描いた絵
上演は「アメリカのいとこ」という喜劇であった。22時13分(23時17分という説もあり)その第3部・第2場面で男優のセリフに一斉に笑い声が上がった。その瞬間銃声が響いた。

(犯行時間に二つの説があることも謎のひとつである。いくら昔のこととはいえ、一国の大統領が殺されるという大事件で、なぜ一時間もずれた二つの説が存在しているのか。)

カギもなく護衛もいない8号ボックス席に簡単に侵入してきた1人の男が、大統領の背後に近寄り、至近距離から大統領の後頭部めがけて弾丸を放ったのだ。

後頭部左側に弾丸を受けてぐったりとなった大統領。事件に気づいた少佐がすぐに犯人に飛びかかって捕らえようとしたが、相手はナイフも持っており、逆に怪我を負わされてしまった。

男は「南部の復讐だ!」と叫び、ボックス席から4メートル下の舞台へと飛び降りた。着地の際、カカトを痛めたものの、足を引きずりながら「暴君は死んだ!」と捨てゼリフを残して舞台を駆けぬけて逃走した。

先ほどの銃声は笑い声にかき消され、発砲に気づいた者は少なく、男が飛び降りて逃げたのも、大半の観客は芝居の一部だと思っていたという。

「今の男を捕まえろ!」

上からラスボーン少佐が叫んだ。一人の観客が犯人を追ったが取り逃がしてしまった。劇場から男が消えた次の瞬間、大統領が撃たれたことが一斉に場内に伝わり、劇場内は騒然となった。

劇場の外へ出た男は、用意してあった馬にまたがると、そのまま逃走した。


この犯人の名は、ジョン・ウィルクス・ブース(26)という。職業は俳優である。売れっ子とはとても言えないような俳優ではあったが、顔を見て、それがブースだと分かった観客も中にはおり、観客の話から犯人の正体はすぐに判明した。

一方、撃たれたリンカーン大統領は外科医たちの懸命の手当てもむなしく、翌日の午前7時22分、息を引き取った。

セリフからして、ブースは南北戦争の時に、リンカーンの敵側である南軍だったことは間違いなく、動機は戦争の時の恨み、そして逃走先は南部の首都リッチモンドに向かっていることは容易に想像できた。

すぐにブースの捜索が開始された。


▼捜査はミスが連続

この捜査の指揮をとったのは陸軍長官のエドウィン・スタントンである。

しかし彼の指揮による捜査は惨澹(さんたん)たるもので、最初からミスの連続であった。

犯人は劇場で多くの人に目撃されているブースに間違いはなく、動機も、南部に逃走することもこの段階で、すでに分っていた。

ならば検問は劇場よりも南方向に張るのが当たり前であるが、スタントン長官はなぜか、劇場よりも北の方向を警戒するように指示を下した。

また、目撃者が多数いたにも関わらず、スタントン長官は犯人がブースだとは認めず、最初から捜査を行って犯人を特定しようとした。ブースを犯人と認め、南方面への警備を指示したのは事件発生から5時間も経ってからである。

更にブースの写真を、別の人物の写真と間違え、出来上がったブースの手配書に印刷されていた写真は、全く別の人物の顔であった。これらの不手際がブースの逃走を助け、一時、完全にブースを見失うことになる。


後に分ったことであるが、ブースは単独犯ではなく、他に6人の仲間がいた。そして元々の計画は大統領の暗殺ではなく、大統領と政府の要人を数人を誘拐して南部の首都リッチモンドに連れて行き、人質として南北戦争で南軍を有利に持っていくことだったという。

しかしリンカーンはこの計画に気づいたのか、待ち伏せしていた場所に現れず、計画は失敗。その上しばらくして南北戦争は北軍の勝利で終結してしまった。

そこで誘拐計画を暗殺計画に切り替えたのだという。

▼ブースを射殺

事件発生後、追跡部隊が編成された。コンガー中佐を責任者とし、ベイカー中尉を副官として将校3人、兵士25人の部隊である。警察や他の調査隊から入ってきた情報によれば、ブースは船に乗ったらしいということが分った。

追跡部隊はベル・プレーンまでの船に乗ってそこで降り、辺り一帯の農場を捜査した。船の渡し守りの証言から、ブースの逃亡を手助けした南部の兵士が3人いるということが判明した。

追跡部隊はその、手助けした兵士のうちの一人を間もなく発見し、銃を突きつけてブースの居所を尋問すると、ブースの潜伏先まで案内するという。

案内された先はジョン・ガレットという男が経営している農場だった。

コンガー中佐とベイカー中尉が農場経営者の玄関のドアをドンドンと叩くと、経営者であるジョン・ガレットが怯(おび)えたような顔をして出て来た。

「お前の所に泊まっている男たちを出せ!隠すと、どういう目にあうか分ってるだろうな!」


コンガー中佐とベイカー中尉が脅しをかける。

農場主のジョン・ガレットが言おうか言うまいか迷っているところへ息子が「父さん、正直に言った方がいいよ。」と、口をはさんで来た。

「その人たちは納屋の中にいます。」

と、息子の話を受け、追跡隊はすぐに納屋の周りを取り囲んだ。


「中にいる奴、すぐに降伏して出て来い!」

コンガー中佐とベイカー中尉が叫ぶ。中から人がいるらしきガサガサという音が聞こえて来た。

「今からこの家の人間をお前たちの所に行かせる。その男に武器を渡してすぐに降伏しろ!言った通りにしないと納屋に火をつけるぞ!」

「この家の人間」とは、先ほどの息子のことである。コンガー中佐とベイカー中尉は、この息子に納屋の中に入るように命じた。

息子が納屋に入った後、ドアが閉められ、中で何か話し合っているようだった。

「お前、俺を裏切りやがったな! 殺してやる!」

「臆病者めが!行きたければ行け!お前みたいな奴と組むのはゴメンだ!」


などという怒鳴り声が聞こえてきた。

次の瞬間、納屋のドアが開き、一人の男が出て来た。ブースではない。一緒に逃げていた仲間のヘロルドだった。ブースは仲間の一人ヘロルドと合流して、ここに潜んでいたのだ。そして農場の息子も続いて出て来た。

ヘロルドはただちに捕らえられ、木に縛りつけられた。

人々の注意がドアに集中している間、コンガー中佐はこっそりと納屋の裏に周り、壁の隙間から干し草を引っ張り出すと、すぐに火をつけた。

火はたちまちのうちに燃え広がり、納屋の中にもあっという間に延焼し、積んであった干し草はみるみる炎に包まれた。納屋の中が赤く照らし出され、中で銃を持って立っている男の姿が窓から見えた。ブースだ。

追跡隊は生け捕りにしろとの命令を受けていたので、納屋の扉を開け、ブースめがけて走り寄ろうとした。だがその瞬間、一発の銃声が響いた。次の瞬間、ブースはその場に倒れ込んだ。

コンガー中佐とベイカー中尉はすぐにブースに近寄り、納屋から引っ張り出したが、すでに彼は死亡していた。

「自殺したのか?」コンガー中佐が聞いた。

「いや、自殺ではありません、コンガー中佐、なぜ撃ったんですか!?」

今度はベイカー中尉はコンガー中佐に聞いた。

「いや、俺は撃っていない。お前が撃ったんじゃないのか?」
「いや、私も撃っていません。」


2人とも違うと言い張っていても事が進展しないので、分らないならそれでいいということでその場を終わらせた。

結局ブースを撃ったのが誰だったのか、はっきりしていない。
あの時、ブースのすぐ近くまで迫っていたのは警官隊の中にいたコルベット軍曹だった。

しかも彼はライフルを持っており、ブースの正面に立っていた。てっきり彼がブースを射殺したものかと思われたが、調べてみると、ブースは後ろから撃たれていた。

しかも至近距離から首を撃たれたようで、首に火傷(やけど)が残っていた。正面に立っていたコルベット軍曹が撃てる角度ではなく、それは周りの警官隊たちも証言している。


コンガー中佐とベイカー中尉、それにコルベット軍曹、ブースのそれぞれの銃を調べれば分ったのかもしれないが、彼らはそこまではしなかった。

結局ブースを射殺したのは誰だったのか分らないままで終わっている。



そして運び出されるブースの遺体を見て、共犯者であり、さっきまで一緒に納屋に立てこもっていたヘロルドは

「誰だ、こいつは。俺はこいつを知らない。こいつはブースじゃない!」

と叫んだと伝えられている。このセリフも謎の一つとして言い残されている。

ブースの遺体を調べた結果、ポケットから一冊の手帳が発見された。それはブースの日記だった。一通り所持品を押収した後、ブースの遺体は毛布に包まれて戦艦モントーク号の甲板の上に置かれた。ブースの遺体を戦艦でワシントンに運ぶためである。

大統領暗殺の犯人を射殺したというニュースは大々的に報道され、世界中の話題となった。


▼スタントン長官の不審な行動

先のヘロルドの発言もあったのか、世間では

「ブースは実は生きている。戦艦に運ばれた遺体は別人のものだ。」という噂が広まっており、現代で言う都市伝説のような形で話題の種となっていた。この話はヨーロッパの方まで伝わっていた。

「射殺されたのは実はブースではなかったのか?」

国会も調査委員会を組織して、真相の究明に乗り出した。


だが、調査委員会の捜査が入る直前の4月27日の深夜、ベイカー中尉とベイカー大佐(ベイカー中尉の叔父にあたる)の2人がスタントン長官の命令を受け、モントーク号にボートで近寄ってブースの遺体と言われる毛布の包みをボートに乗せ替え、そのまま持ち去ってしまった。

翌日、スタントン長官は

「南部の人間が、犯人の墓を聖地とするのを防ぐためにブースの遺体は秘密のうちに埋葬した。」

「そしてその場所は公開出来ない。」


と発表した。


ブースの共犯者たちの処刑
いくら陸軍の長官とはいえ、大統領暗殺の犯人の遺体を警察にも政府の調査委員会にも、ろくに調べさせもせず、独断で埋めて、しかもその場所は教えられないという、この行動に政府は激怒した。

更にスタントン長官の不審な行動は続く。

裁判では、ブースの射殺の時に現場にいた警官たちが「ブースは日記を所持していた。」と証言しているにも関わらず、スタントン長官はそれを否定し、「ブースの日記などというものはなかった。」と証言している。だがスタントン長官は、後になってこの発言を撤回し「いや、やはりブースの日記はあった。」と言い直して、ブースの日記を提出している。

ところが提出された日記は、リンカーン暗殺の前後の期間に当たる24ページ(18ページ説もあり)が切り取られており、全く役に立たない遺留品となっていた。


ブースの遺体をどこに埋めたかということに関しては、後にスタントン長官と不仲になったベーカー大佐が、1867年に発行した自分の著書「特務機関の歴史」の中で、「ブースの遺体は旧監獄の地下監房の床の下に埋めた。」と暴露(ばくろ)している。

すぐにこの本に書かれた場所の捜査が行われ、そこで遺体は確かに発見されたものの、それがブースであるという確証までは見つからなかった。

捜査の時のミスはそれぞれは独立したミスかも知れない。だが、それらがいくつも重なると、作為的になされたミスではないかと疑いが持たれてくる。すなわち、スタントン長官がブースの逃亡を助けるためにわざと的はずれな捜査を行い、その後も遺体を隠したり日記を破いたりなどの証拠隠滅(いんめつ)を図ったのではないかというのだ。

これらのことから、スタントン長官がこの事件の黒幕、あるいは共犯の一人ではないかという説はいまだに根強い。

殺す動機は、しいて言えば政策上の衝突である。南北戦争が終わった後、スタントン長官は南部に更に制裁を加える考えを持っており、リンカーンは南部を受け入れて融合していこうという和平の考えを持っていた。このリンカーンの考えに激しく反対していたというから、動機はないわけでもない。

軍事裁判ではブースの共犯者6人のうち、4人が絞首刑、2人は終身刑となった。


▼それぞれのその後

スタントン陸軍長官は、ブースの遺体の件などを始めとして、数々の不審な行動を政府から激しく追求され、結局陸軍長官を辞任しなければならなくなった。その後は公の場に姿を見せることもなくなり、健康を害して死亡した。世間では自殺との噂が立った。

間近で夫の殺害を見たリンカーン夫人は事件以来、気が狂い、精神病院に入院した。退院はしたが最後までショックから立ち直ることはなかった。

一緒に芝居を見に行ったラスボーン少佐とクララは後に結婚して子供が出来たが、ラスボーン少佐が数年後に発狂してクララと子供を殺害した。自分も自殺して一家心中を図ったが失敗して自分だけは生き残る。精神病院に監禁されて生涯を終える。

ブースを射殺した人物の最有力候補であるコルベット軍曹は、事件から数年後に発狂して精神病院に送られた。

なぜか精神を害した者が多い。


▼事件発生前から流れていた暗殺のニュース

この事件は、事件そのものも不審な点が多いが、それ以外でもいくつかの不思議な話が語り継がれている。大統領が暗殺されたというニュースが事件の発生前から報道され、リンカーン自身も暗殺を予期するような発言をしている。

事件があったのは4月14日の夜である。しかしこの日の朝、暗殺が起こる14時間も前に、ワシントンから2400km離れたミネソタ州セント・ジョセフの小さな村では

「リンカーン大統領が殺されたらしいぞ。」
「銃で撃たれたらしい。」

といった話題が飛び交(か)っていた。


また、ニューイングランドのある町には、暗殺が起こる一昼夜も前に大統領暗殺のニュースが届いており、その日の午後、ニューヨーク州ミドルタウンの新聞「ホイッグ・プレス」がこのニュースを掲載している。

事件が発生する十数時間も前から、「大統領が暗殺された」と報道され、人々の話題にもなっていたのだ。

本当に事件が起こってから、この話の出所が調査されたが、どこから来たニュースだったのか、分らないままであった。


また、リンカーンは、陸軍省に、一緒に劇場へ行く相手を誘いに行った時、近くにいた兵士に「私を殺そうとしている人間がいると、君は聞いたことがないかね?」と尋ねている。

更に「本当は今夜はどこへも出かけたくないんだが、今さらやめるわけにもいかん。劇場にも迷惑をかけるし、みんなをがっかりさせることになってしまう。」とも発言しており、フォード劇場へ行くことに対して、嫌な予感はしていたようである。

また、リンカーン自身、暗殺の起こる数日前には不吉な夢も見ている。

それは自分がホワイトハウスの中を歩いていると、どこからか、たくさんの人々のすすり泣く声が聞こえてくるという夢であった。リンカーンが泣き声のする部屋に入ってみると、そこには棺(ひつぎ)が置いてあり、人々はその棺を取り囲んで泣いていたのだ。

「誰か亡くなったのか?」

と、リンカーンは近くにいた兵士に尋ねた。

「大統領です。大統領が亡くなったのです。暗殺されたのです。」と兵士は答えた。

「何だって!」

リンカーンは人々をかき分け、棺の中に入っている男の顔を見た。それきまぎれもなく自分自身の顔だった。ここ目が覚め、リンカーンはこの夢のことを夫人にも話している。


▼出現するリンカーンの霊

この事件は、暗殺事件としても有名であるが、それに匹敵するくらい様々な文献に紹介されているのが、リンカーンにまつわる幽霊の話である。ホワイトハウスに出現する幽霊として、最も有名な人物がリンカーンなのである。

それはホワイトハウスの中で、アメリカの歴代指導者や各国の著名人たちによって目撃されている。

オランダのウィルヘルミナ女王は部屋にいる時、ドアをノックされたので開けてみると、外にリンカーンが立っており、恐怖の悲鳴を上げた。

セオドア・ルーズベルト大統領もリンカーンを何度か見たらしく、

「リンカーン大統領は深いシワの寄った顔で親しげに私の方を見ながら、ホワイトハウスの中を行き来していた。」
と発言している。

また、1934年、時代はフランクリン・ルーズベルト大統領の時代だっが、この時のホワイトハウスの職員のメアリー・イーベンが2階の寝室に入ろうとドアを開けると、古そうなコートを着た男が、ベッドの横に座ってブーツを履いている場面にばったりと遭遇した。

男はドアを開けた音にびっくりしたかのように、職員メアリーの方を振り向いた。
その顔は、ホワイトハウスの中に飾られているリンカーンの肖像画そのものの顔だった。メアリーが悲鳴を上げるとリンカーンはみるみる薄くなってやがて完全に消えた。

1894年ごろには、ベンジャミン・ハリソンの個人的なボディガードをしていたジョン・ケニーが、

「リンカーン大統領が廊下で足音をさせたり、ドアをノックしたりする。」と発言しており、ずいぶんと悩まされていたようである。第二次世界大戦中もホワイトハウス内でたびたび目撃され、アイゼンハワー大統領も在任中にリンカーン大統領の存在を感じたとコメントしている。

全般的に出現するだけで特に害はないようであり、やはりアメリカの内戦とその終結を経験しただけあって、その後のアメリカのことが人一倍気にかかるのだろうか。


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