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No.068 死刑執行当日の流れ

2013年2月22日の読売新聞に、小林薫と金川真大と加納(旧性・武藤)恵喜の3名の死刑が執行されたと掲載された。執行されたのは大阪、東京、名古屋の各拘置所である。これで残りの死刑確定者は、2013年2月22日の時点で134人となった。

・小林薫(44) : 2004年11月、奈良県で7歳の女の子を誘拐し、殺害。
・金川真大(29):2008年3月、茨城県土浦市JR荒川沖駅などで通り魔殺人、2人を殺害、7人に重軽傷を負わせる。
・加納(旧性・武藤)恵喜(62):2002年3月に名古屋市で61歳の女性を殺害、現金を奪う。


▼死刑が執行される順番は確定順ではない

戦後の1946年から、死刑が執行された受刑者は600人以上に昇り、これにまだ生きている死刑確定者を加えると、戦後死刑判決を受けた者は700人以上いるということになる。

死刑執行が行われているのは、札幌刑務所・宮城刑務所・東京拘置所・名古屋拘置所・大阪拘置所・広島拘置所・福岡拘置所である。そして死刑囚の半数近くは東京拘置所に収監されている。

死刑が確定してから実際に執行されるまで、平均はだいたい7年くらいとなる。だがこれは全体の平均であって、実際は、宅間守(収監中に吉岡に改姓 = 吉岡守)のように判決が出て1年後に執行されたような期間の短い者もいれば、30年以上も執行されずに生きている者もいる。平均7年とは、このような両極端の者も全て含めての数字である。

法律的には刑が確定してから半年以内の執行と決められているが、実際には守られていない。

近年では、年間に刑が執行される数は1ケタ台であって、年によっては執行ゼロという年もある。

2000年までは、死刑が執行される順番は確定順に行われていた。中には20年30年も執行されていない者もいるが、それらの者は再審請求中であったり、精神状態がおかしくなっていたり、共犯者が逃亡中であったり、冤罪(えんざい = 無実の罪)の可能性がまだある者など、検察庁が死刑執行に際して作成する「死刑執行起案書」のチェック項目に引っかかる者たちばかりで、こうした死刑囚はとりあえず順番を飛ばされる。

だが、2002年9月18日、順番で言えば36番目であった田本(春田)竜也と、37番目であった浜田美輝の死刑が執行され、更に2004年に確定から1年で執行された宅間守のような例もあり、現在では、執行される順番は判決を受けた順という原則はなくなっているに等しい。

宅間守の場合は、8人もの子供たちを殺害したという残虐性もさることながら、「半年以内に処刑しなければ訴える。」などと当局を刺激する発言をしたり、法廷でも遺族に暴言を浴びせたりなど、早期に執行しても世間からの非難はないであろうと判断され、異例の早期執行となった。

実際の死刑執行は、心身共に健康で再審請求もしていない、面会者もほとんどいない、といった模範囚のような者こそ執行しやすく、現在では、やりやすい者からやっていくという形になりつつある。


▼死刑を回避または執行を引き伸ばすことは可能か

再審の請求を行うことと、恩赦(おんしゃ)の請求が、回避や引き伸ばしの可能性のある、数少ない手段となる。

<※恩赦(おんしゃ):
行政権によって犯罪者に対して刑罰の全部または一部を消滅させる処分。大化の時代(645~650年)以前から行われていた。その多くは国家的慶事(けいじ = 祝いごと)の際に行われる。>

だが戦後、死刑確定囚の再審が行われ、逆転無罪となった事件は2007年までに4つしかなく、近年では死刑判決を受けた者が再審を請求しても、それが認められることはまずない。恩赦によって死刑が無期懲役に減刑された者は戦後25人ほどいるが、いずれも古い時代のことで最近ではほとんど例がない。

恩赦を受けるには、控訴(こうそ)中や上告中の者、つまり裁判のやり直しを求めている者は対象外で、死刑が確定している者でなければその恩赦の請求は出せない。

昭和天皇の崩御(ほうぎょ = 死)が近づいた時、すなわち新しい天皇の誕生が近づいた時、数人の死刑囚が控訴や上告を取り下げて自らの死刑を確定させ、恩赦の請求を行ったことがあった。

彼らにしてみればワラをもすがる思いで出した請求であったが、平成天皇誕生の際には恩赦は一切出なかった。控訴や上告を続けて最高裁まで争えば、あと5年や10年は生きられたかも知れなかったが、このことによって死刑が確定し、順番の原則によって処刑され、自分の命を縮める結果となってしまった。現在では恩赦はほとんどないと言ってもよい。

他に死刑回避として使われる手段が精神錯乱を装うことと病気を装うことがあるが、成功することはまずなく、ほぼ確実に見破られる。また、収監中に他の囚人や看守を殺害して、新たな裁判を起こして時間を稼ぐという手段もある。裁判中に処刑されることはないからだ。
脱獄という手もあるが、昔の建物ならまだしも、現代ではまず不可能である。これらは全て過去に例があるが、実際には成功したケースはほとんどない。


再審請求を出している期間は、とりあえず執行されることはあまりない。だが過去に再審請求中に死刑を執行された例もあるので、絶対とは言えないが、一応、処刑の可能性は低い。

しかし再審請求を出しても、それが棄却された死刑確定者は、いつ自分の番が来るのかと、ひたすら恐怖の日々を送ることになる。

収監中は自由な時間が多いので、少しでも何かをして気をまぎらわせる。他の死刑囚との交流は許されていないものの、自分から申し出て作業を行うことも出来るので、積極的に作業に打ち込む者もいる。
写経や読書、ビデオ鑑賞(週1回)などを行っている者も多い。

死刑囚は、基本的に朝は7時に起床し、7時30分ごろに朝食、11時50分ごろに昼食、16時30分ごろに夕食という生活で、他に時間が決められているものといえば運動の時間くらいであり、基本的に食べることと少しの運動だけが「すべきこと」になるのだが、明日が自分の番であるかも知れないという恐怖は常に頭の中にある。


▼執行が決定するまで

法務省刑事局が秘密裏に、執行すべき人物の「死刑執行起案書」を作成し、関係各所にまわされ、最後に法務大臣のところへ届けられる。この作成には半年以上の月日が費やされる。

もちろん死刑囚本人に、「今、起案書を作成している」などと通達することはない。

この出来上がった起案書に、法務大臣がサインをすると執行が決定する。執行日は法務大臣がサインしてから5日以内と決められており、この原則は確実に守られている。

執行される日は、365日毎日が対象となっているわけではなく、執行されない日と、執行の可能性の高い日がある。

日曜祝日、年末年始は執行されることはなく、これは昔からの慣習である。逆に執行されることが多い日は、国会が開かれていない期間・法務大臣の交代が行われるであろう直前、金曜日、年末の仕事納めの日かその前日、となっている。

死刑囚にとっても、安全な日と危険な日が分るということは、精神的にもかなり助かるという。

法務大臣がサインを拒否すれば、死刑の執行は行われない。その際、作られた起案書は次の法務大臣にそのまま提出するというわけにはいかず、また一からチェックして作り直すことになる。


▼死刑執行当日の流れ

本人に死刑の執行を通達するのは、当日の午前9時である。

処遇部門の刑務官と警備隊の数名が独房の扉を開け、本人に死刑の執行を通達する。この時、何かをやりかけていたとしても、片付けも、荷物の整理も許されず、そのまま刑場へ連れて行かれる。そして10時には処刑される。

予告なしで、執行の1時間前にいきなり通達というこの方法は、死刑廃止論者から「非人道的だ」との批判が強い。だが昔からこうだったというわけではなく、昭和40年代までは、前日か2日前には執行を伝えていた。

自分の死刑の日取りを聞いた受刑者は、執行までに肉親と合わせてもらったり他の死刑囚と話をしたり、遺書を書いたり好きなものを食べたりなど、最後の人生を過ごし、刑場へと向かっていた。

しかし昭和50年(1975年)、福岡拘置所で、翌日の死刑執行通達された受刑者が、カミソリ自殺をするという事件が起きた。拘置所の責任問題として大変な事態に発展し、この事件を契機として、執行を告げるのは当日の朝という慣例が全国的に定着していった。

午前9時が死刑囚たちの恐怖の時間帯であって、この時間帯に館内に足音が聞こえてくるとすさまじい緊張状態となり、耳をすまして足音の行く先を伺う。

ある刑務官は、たまたま別の用事で朝、独房の扉を開けたところ、中にいた死刑囚が恐怖に引きつった顔でブルブルと震え、失禁していたのを見たという。

通達を受けた死刑囚の反応は様々で、素直に覚悟を決める者もいれば腰を抜かして立てなくなる者、物を投げたり暴れたりして抵抗する者などがいる。

だが有無を言わさず刑務官たちが両腕を抱(かか)え、処刑場まで連行する。

死刑囚は、まず仏間のある部屋へ通される。そこは香(こう)がたかれ、教誨師(きょうかいし)がお経を上げている部屋である。

そこで拘置所の所長が正式に死刑執行命令書の到達を受刑者に伝える。この後、希望すれば遺書を書くことも出来、また、お菓子や果物を食べることも出来る。タバコが許可される拘置所もある。

死刑に立ち合う者は、検察官・検察事務官・監獄の長(拘置所の所長)の3人である。実際はこれらに加え、拘置所の職員約10名と、教誨師(きょうかいし)、医師が立ち合う。

拘置所の職員は、死刑囚を刑場に連行し、首に縄をかけ、床下を開けるスイッチを押すなど、実際の作業全般を行う。

教誨師(きょうかいし)は、死刑囚の信仰によって選ばれ、読経を行ったり祈りの言葉を捧げたりして、これから死にゆく者に対しての精神の救済を目的とする者である。

医師は執行後、遺体を縄から外(はず)した後に、死亡確認を行う。

死刑に立ち合う拘置所の職員は機械的に選ばれるが、職員の精神面などを配慮して、新婚の者や通院中の者、妻が妊娠中の者などはその選考から除外される。立ち合いに選ばれた職員には当日の朝、通達がある。



死刑囚は、遺書、食事、タバコなど、全て終わると白装束に着替えさせられて、顔には白い布をかぶせられ、手には手錠をはめられ、隣にある処刑場へと連れて行かれる。

部屋の中央に立つと、すぐに刑務官が首にロープを巻きつける。足も縛る。部屋はガラス張りになっており、立ち合い人たちはガラスの外から受刑者の最後を見届ける。この間、読経はずっと流れ続けている。

床を開けて死刑囚を落とすボタンは壁に5つほど設置してあり、1つのボタンを1人の刑務官が担当する。

これらのボタンは、処刑場の光景が見えない場所に設置してあるので、ボタンを押した刑務官が、死刑囚が落ちる瞬間を見ることはない。合図と共に5人の刑務官が一斉にボタンを押す。この合図は、首にロープを巻きつけた刑務官が死刑囚から離れるとすぐに出される。


5つのボタンのうち、本当に床を開(あ)けるボタンは一つだけである。残りの4つはただ押すだけのボタンとなっている。

こういう構造になっているのは、誰が押したボタンで床が開いたのか分らなくするためである。仕事とはいえ、自分が押したボタンで処刑されたと分れば、その刑務官も今後ずっと「自分が殺した」という思いを持って生きていくようになるため、刑務官の精神を配慮した仕組みとなっている。

床が開くと同時に穴の中に死刑囚は吸い込まれるように落ちて行く。2~3メートル落ちたところでロープが伸び切って止まり、死刑囚の首は強烈に伸び切る。そしてすぐに動かなくなる。

このまま30分ほど吊るしたままの状態にする。30分経過すると遺体は床の上に降ろされ、着ているものを全部脱がせて裸にし、点検を行う。医師と検事によって死亡が確認されると、遺体は清掃されて搬送用のエレベーターで遺体安置室に運ばれる。

ボタンを押す係を受け持った刑務官には現金2万円が支給され、彼らのこの日の仕事はこれで終わりである。

執行後は、すぐに遺族に連絡する。遺族がいない場合は法務省が火葬し、寺院などに埋葬される。当日の午後には、執行されたことが法務省から広報される。


▼絞首刑は残酷な刑か

実際に首を吊って死んだ人に、苦しかったかどうかなど聞けるはずもなく、この死に方は苦しいのかどうかは全く分らない。

よく言われているのは、目や舌が飛び出し、大小便はたれ流し、口や鼻から血が流れ出し、見るに耐えない死体となるということである。そのような死体であれば、相当苦しんで死んだような印象を受ける。

だがその正反対の意見もある。処刑場で行われる首吊りは、ある程度の高さから落とすわけであり、ロープが伸び切った瞬間、その衝撃で首の骨が折れて即死するという、死に方としてはほとんど苦しみのない死に方であるという意見である。

自分で首を吊って自殺する場合、処刑場ほどの高さが確保出来ずに、首の骨が一気に折れない場合は、首が絞まって窒息して死亡することになり、この場合、相当苦しんで死ぬことになるのは容易に想像出来る。

吊り方次第で苦しくも楽にもなるという感じであろうか。また、嘔吐物(おうとぶつ)や大小便などをもらすということに関しても、人によっては全く出ない場合もある。

即死説が的を得ているのであれば、苦しませずに殺すという配慮がなされているようにも思うが、実際のところは、処刑された本人にしか分らない。

昭和の半ばごろまで、各刑場は屋外に作られており、死刑囚の首に縄をかけた後、床板が開く「バターン」という音が収容者たちにも聞こえていたという。

近年では屋外での処刑はなくなり、処刑場は主に建物の地下に作られている。もちろん、刑務官や関係者以外は立ち入り禁止で、写真も一度ほど新聞社に公開されて紙面に掲載されたことがあるが、原則的に撮影禁止となっている。


▼どういう罪で死刑判決になるのか

一般的な基準となっているのは「2人殺せば死刑」である。しかし1人だけの殺人であっても、それが強姦殺人・強盗殺人・誘拐殺人・保険金殺人であれば、死刑判決が出ることは珍しいことではない。

奈良で幼女を誘拐して殺した小林薫の事件の場合、被害者は幼女1人だけであったが、わいせつ目的であったことや、本人が死刑を望む発言をしたこともあって、早い時期に死刑が確定した。

最近では厳罰化が加速しており、「これで死刑判決になるのか」という事例も増えている。

死刑判決は殺人だけに限ったことではなく、その判決が出る可能性の犯罪は18種類ある。国家転覆を狙った計画や、内乱を発生させたりなどのクーデター系の犯罪、また、列車や船、航空機を狙った犯罪など、大量の死者を発生させる可能性のある犯罪がこれに当たり、最高刑が死刑である。これらの犯罪の場合、死者が1人も出なくても死刑判決が出せる。



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