18世紀始めから20世紀にかけての約200年間の間に、サン・ジェルマン伯爵という人物が、ヨーロッパ各地に出現する。彼は時の国王や政界の人間とも多く会い、自分のことを不老不死だと言い、当時には発明もされていなかった機械の話をしたり、現実とは思えないような経験談をよく口にしていた。

1748年、フランスに在住しているオーストリア大使が、国王であるルイ15世に、
「サン・ジェルマン伯爵という奇妙な人物がフランスに来ておりますので、一度お会いになったらいかがでしょう。」と話を持ちかけた。

退屈をしていたルイ15世は「何かね、その人物は。」と、興味を示した様子だ。
「どういった男なのかは私にも分かりません。ただ、その知識は膨大なもので、錬金術(れんきんじゅつ = 他の金属を「金」に変える術)や、化学に関しては並ぶ者がなく、不老不死の薬まで作っており、途方もない大金持ちらしいのです。」
ルイ15世は勧められるがままに、サン・ジェルマン伯爵と会うことになった。

そして当日、ルイ15世の前に現れたサン・ジェルマン伯爵は、歳のころは40代くらい、きちんとした身なりをして、話し方も紳士的であった。

伯爵はルイ15世に頭を下げると、ポケットから何かを取り出し、ばらばらとテーブルの上に置いた。見るとそれらはすべてダイヤモンドだった。
「これは陛下への贈り物です。どうぞ受け取って下さい。」
「このダイヤは? こんな見事なものをどこで手に入れたのだ?」
「買ったものではありません。これらは私が作ったものです。」
伯爵はあっさりと言い放った。

このダイヤモンドの一件がきっかけとなって、サン・ジェルマン伯爵はパリのあちこちの社交界で話題に昇るようになった。伯爵自身も、いろんなパーティに出席しては貴族たち相手に不思議な話をする。

ある時はイギリスの中世の国王リチャードのことを話し始め、彼と一緒に十字軍に参加した時(第三回十字軍 = 1189 ~ 92年)のことを懐かしそうに語った。
聞いている人が疑っているような顔をすると、伯爵は自分の使用人を振り返り、
「君も覚えているよね、あの時のこと。私の話が本当だというこを説明してあげなさい。」

と言うと使用人は、
「それは無理でございますよ。私はまだ伯爵にお仕えしてから500年しかたってないのですから。」
「ああ・・、そうだったね。あれは君が来る前の話だった。」
などという会話をする。

彼が言うには、自分はエリクシールという特別な水を飲んでいるので、決して老けることなく、もう何千年も生きているのだという。
また、彼の能力は相当なもので、化学者であり、音楽家でもあり、画家でもあった。語学の方もフランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、ポルトガル語、ヘブライ語、中国語、ペルシア語、アラビア語、サンスクリット語が流暢(りゅうちょう)に話せた。


ある時ルイ15世が、傷の入ったダイヤモンドを伯爵に預けると、一ヵ月後には傷を消して再びルイ15世のもとへ持って来た。
また、伯爵の実験室に呼ばれた、ある哲学者は、銅貨をテーブルの上に置くように言われ、その通りにすると銅貨は突然炎に包まれ、炎がおさまると銅貨は金に変わっていた。

また、絹を美しく染める技術や、皮をなめしてしなやかにする技術など、まだ18世紀には知られていなかったようなことまで多くを知っていた。汽車や飛行機についても詳しく語ったという。

キリストやシバの女王(紀元前900年ごろ)と親しくつきあっていたという話をしたり、アレクサンダー大王(紀元前356~323)バビロンの都に入場する時、自分もその場にいたとか、まるで見てきたかのように詳しく話すのである。また、200年ほど前にはスペイン国王フェルディナンド5世の大臣をしていたとも言う。

ルイ15世はサン・ジェルマン伯爵をたいそうかわいがり、シャンボール城の一室を与え、自分の部屋に出入りする権限まで与えた。これは当時、かなりの赤字だったフランス王家の財政を、彼の持っている技術を使ってなんとかしようという計画だったらしい。

しかしやがて、サン・ジェルマン伯爵は、彼に嫉妬した外務大臣ショワズール一派の陰謀で、フランスから去らねばならなくなってしまった。時が流れて再びフランスに帰ってきた時にはフランスの王政は、ルイ16世とマリー・アントワネットの時代になっていた。

ルイ16世は、趣味の錠前作りに熱中する、有能とは言えない国王、またマリー・アントワネットは贅沢三昧の生活を送る浪費家で、サン・ジェルマン伯爵は二人に「くれぐれも政治に注意を払わないと、そのうち大変なことになりますよ。」と警告を発して再びフランスを去って行った。

サン・ジェルマン伯爵は、1784年2月27日に死亡したと墓碑に刻まれている。だがそれから5年くらい後の、フランス革命の少し前にマリー・アントワネットはサン・ジェルマン伯爵が差し出し人となっている手紙を受け取った。

その手紙には「これが最後の警告です。民衆の要求を受け入れ、貴族たちを静め、ルイ16世は退位しなければなりません。」と書かれてあった。
何年も前に死んでいる人からの手紙・・アントワネットは当時、革命を起こそうとしている一派のいやがらせだろうと思って、そのまま手紙を破り捨ててしまった。

一方フランス国内では、ルイ16世の財政改革失敗や国民議会を弾圧したことなどにより、王家に対する国民の怒りはますますつのり、贅沢三昧をして国庫を浪費するアントワネットに民衆の憎しみが集まっていた。

そして1789年、ついにフランス革命が起こり、ルイ16世もアントワネット捕らえられることになる。国王夫妻が捕らえられていた時にも、「サン・ジェルマン伯爵の使いの者」と名乗る者が訪ねてきて、侍女の一人が案内されるがままについていくと、郊外の教会に連れていかれ、そこにサン・ジェルマン伯爵自身が立っていたという。

「私は不死身で、歳をとりません。時間の中をさまよっているのです。国王夫妻は、とうとう私の警告を聞き入れなかった。彼らはもう、お終いですが、それは私には関係ないことです。」
と言ってまた姿を消したというのだ。

また、彼が死んだとされている年にフリーメイソンの会合に出席していたとか、ナポレオンが彼に忠告を受けたとか、第二次世界大戦でイギリスのチャーチル首相が彼に助言を受けたとも言われる。

サン・ジェルマン伯爵の正体については、「本物は一人で、偽者が歴代受け継いできた」とか、「薔薇十字団やフリーメイソンなどの秘密結社のメンバーで、歳をとらない秘伝を伝授された」とか「本当に不老長寿で歳をとらない人類だった」と色々なことが言われているが、彼が本物の超人類であるか、詐欺師であるかは、書籍でもネット上でも個人の見解が掲載されているだけで、不明のままである。


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