ジェフリー・ダーマーは、子供の頃からすでに死体を好む兆候があった。小学生の頃は、ウサギを殺して硫酸に入れて溶かしてみたり、犬の首を切断して自宅の家の壁の上に飾ったりしたこともある。
彼が最初の殺人を犯したのは高校を卒業して1ヶ月にも満たない時期であった。ある日彼は、ヒッチハイクをしている男の子に出会い、そのまま彼を自宅に招いた。子供のころから極端に友達の少なかったダーマーにとっては、友人が家にくるなどということは初めてのことであり、大喜びでもてなした。
話も弾み楽しいひとときを過ごしたが、ビールを2本飲んだところで彼はそろそろ帰ると言いだした。彼が帰ってしまっては、自分はまた一人ぼっちになってしまう。
ダーマーは、躊躇(ちゅうちょ)することなく彼の首を絞めてそのまま殺した。死体にしてしまえば彼とずっと一緒にいられると思ったのだ。そして死体は刃物を使ってバラバラに解体した。
1986年。この頃彼はミルウォーキーで祖母と一緒に住んでいたが、ある少年に対してワイセツ行為を行なったために警察に逮捕された。そして逮捕の後、世間体を気にした祖母は、ダーマーに、家から出て行くように言った。このたあいもない逮捕がきっかけとなってダーマーは、仕事も住むところも失ってしまった。
まもなく彼はミルウォーキー市内でアパートを見つけ、仕事もチョコレート工場に就職が決まった。だが、就職して間もなく、今度は二回目の逮捕を経験してしまう。今度はラオス人の少年に50ドル払って、少年の裸を撮影しようとした罪である。
この時は実刑判決が下り、ダーマーは10ヶ月の刑務所生活を送ることになる。そして服役中、ダーマーは黒人男性に強姦されるという目に遭ってしまう。男に無理矢理犯されるという経験は、後のダーマーの狂気に一層拍車をかけることになってしまった。
1990年3月。ダーマーは出所し、一般社会に戻った。この時からダーマーの本格的な殺戮(さつりく)が始まる。男にしか興味を示さないダーマーは、少年と黒人男性を特に好んだ。
そうした獲物を見つけると言葉巧みに自分のアパートに誘い込み、ハルシオンなどの薬物を混ぜた飲み物を飲ませ、身体の自由を奪っておいてからじっくりと首を絞めて殺した。
殺害した後は服を脱がせて裸にし、心ゆくまで男性たちの身体を犯したのである。そして犯しきった後は、犠牲者たちの身体をバラバラに解体する。ダーマーは、死体を切断していく過程をきちんと写真に撮って残しておくことも忘れなかった。
電動ノコギリを使って手足を全部切断し、硫酸で満たされた瓶(かめ)に入れる。性器や手首はそのまま一つの入れ物に入れ、ベッドの横に置いた。
首は切断してから頭を熱湯でゆでて、顔の皮を剥(は)いだ。これらの作業は、すべて彼のアパートの中でひっそりと行なわれた。
また、ダーマーは、アパートの自分の部屋を高価な防犯システムで固めていた。家賃や部屋の造りからすれば過剰なほどの設備ではあったが、これらの装置は外部からの侵入を防ぐためよりも内部からの逃亡を防ぐのが目的であったようだ。
後にダーマーの部屋の下の住人は、「ダーマーの部屋から大きな話し声がよく聞こえていた。」と証言している。だが不思議なことにダーマー以外の人間の気配はしていなかった。もちろん、これはダーマーの話し相手が、もの言わぬ人間の部位だったからに他ならない。
また、別の住人はダーマーの部屋から悪臭がすると苦情を言いにいったことがある。その時もダーマーは「冷蔵庫が壊れて、中の肉が腐ってしまった。」と説明していた。確かに「肉が腐っていた」というのは嘘ではない。
1991年のある日、アジア系の少年が、ダーマーの部屋から悲鳴をあげて走り出てきた。殺されかかったのを必死の思いで逃げ出してきたのだ。少年はたまたま近くを通りかかったパトカーに助けを求めた。だが不運なことに少年は英語がうまく喋れない。
すぐにダーマーが追いかけてきて「彼は私の友人で、ちょっケンカをしただけなのです。」と言って少年を引き取ってしまった。この少年は間もなく殺され、硫酸で溶かされた。
ダーマーの殺人は、91年の夏ごろから更に加速した。この頃すでに犠牲者は10人以上にも登っていた。だが、このまま無限に殺人が重ねられるわけがない。18人目の犠牲者となるはずだった黒人男性が、なんとかダーマーの元から逃げ出し、片手に手錠をはめられたまま道路を走って警官に助けを求めたのだ。
事情を聞くと、北25丁目のアパートに住んでいる男に殺されそうになったのだという。すぐにこの黒人男性に案内させて、警官たちはその「殺人未遂の男」の部屋に踏み込んだ。言うまでもなく、ダーマーの部屋のことである。
警官が部屋のドアを開けると猛烈な悪臭が鼻をついた。室内にはハエが飛び回っている。悪臭の原因を探ろうと、冷蔵庫を開けた一人の警官が突然悲鳴をあげて、激しく吐き始めた。冷蔵庫の中には、まだ切断されて間もないであろう人間の首が入っていたのだ。
すぐに応援の警官が呼ばれ、部屋の中の徹底した調査が行なわれた。捜索の結果、ダーマーの部屋からは4つの生首と7つの頭蓋骨が発見された。寝室には大きな瓶(かめ)が置かれており、3人分の死体が溶かされていた。押し入れのやかんの中には男性の性器と手首が入っていた。
後の法廷でダーマーは、切断した身体の一部を切り取っては、塩とこしょうで味付けして食べていたと証言している。
ダーマーが殺害して解体した人間は17人。裁判では懲役936年という異例の判決が下った。ウィスコンシン州ポーテージにあるコロンビア刑務所に収容されたダーマーの独房は、総ガラス張りで24時間監視つきという、これも異例のものであった。
1994年11月28日、ダーマーは、クリストファー・スカーバーという同じ刑務所内に服役していた黒人男性に鉄の棒で頭を殴られて殺害され、刑務所内でその一生を閉じた。