アメリカのワシントン、スミソニアン博物館に展示されている「ホープのダイヤ」は、持ち主を次々と不幸に導いてきた、いわゆる呪いのダイヤである。

このダイヤが発見されたのは9世紀。インドの西北部ガット山脈のバルカット峠のふもとで、ある農民が畑を耕していると、クワの先端に何か硬いものが当たった。そのまま掘り起こしてみると、見るも美しい青く透明な石が現れた。

さっそく宝石商に持っていって鑑定してもらうと、279カラットもあるダイヤだということが分かって、農民は大喜びした。だが、この瞬間からこのダイヤの呪いは効力を発揮し始める。

ダイヤは長きに渡って売られ買われ、様々な人が所有者となったが、以下、その所有者たちの運命である。


▼発見者の農民:農民の住む村にペルシアの軍隊が攻め入ってきて、ダイヤを奪われてしまう。しかもダイヤを渡すまいと、必死に握りしめていた農民の腕ごと切断されて奪われるという悲惨な結末となった。

▼ダイヤを奪ったペルシア軍の隊長:ペルシアに帰国後、時のペルシア王にこのダイヤを献上して喜ばれたが、隊長自身はまもなく原因不明の自殺を遂げる。

17世紀になると、このダイヤはインドのベーガンにある寺院の、仏像の額に埋め込まれてあった。

▼フランスのタベルニエ:タベルニエは、仏像に埋め込まれていたこのダイヤをひそかに盗み出してフランスに持ち帰る。そして時の国王・ルイ14世に献上すると、国王は大喜びし、タベルニエに数十億円の褒美を与えた。
しかしその後タベルニエは、ある事件にあい全財産を失う。その後出かけたロシアで、狼に食われて死亡。

▼ルイ14世と愛人のモンテスパン侯妃:ルイ14世はまもなく病死。彼から時々ダイヤを借りてヴェルサイユの夜会に出ていたモンテスパン侯妃は、ある夜会で突然「苦しい!」と叫んで気を失う。
その後モンテスパン侯妃は、宮廷内の毒殺事件に関与したことで国王に忌み嫌われ、宮廷を追い出される。

ダイヤはこの後、ルイ16世のものとなる。

▼ルイ16世とその妃(きさき)マリー・アントワネット:ルイ16世は、ダイヤを妃であるマリー・アントワネットに与えた。が、その後二人ともフランス革命で処刑される。

革命でダイヤはしばらく紛失状態となっていたが、1800年、ダイヤはオランダの宝石研磨師・ファルスの手に渡った。

▼宝石研磨師ファルス:ファルス自身は何ともなかったが、ファルスの息子がこのダイヤを勝手に売り飛ばしてしまう。この息子は後に発狂して自殺。ダイヤを買い取った相手は、ノドに肉を詰らせて死亡。

▼エリアソン:イギリスの実業家で1830年にダイヤを手に入れるが、乗馬中に馬から振り落とされて死亡。

▼ヘンリー・ホープ:ロンドンの大銀行家。数々の不幸に見舞われ、最終的に破産。彼が所有していた時に「ホープのダイヤ」と名づけられた。

▼あるロシア貴族:自分の愛人を射殺したのち、自分自身もロシア革命党員に射殺される。

▼エドワード・B・マクリーン:1911年に宝石商からこのダイヤを手に入れる。アメリカの大新聞社である「ワシントン・ポスト」紙の跡取り息子。
マクリーン夫妻の10歳の息子が交通事故で死亡。その後マクリーン夫妻は夫婦生活が破綻して離婚。夫であるマクリーンは、元々酒好きのせいもあったが、一連の出来事で精神に異常をきたし、精神病院で狂死。

▼エヴァリン:マクリーンの元の妻。マクリーンと離婚した後、ダイヤは彼女の方が引き取った。1946年、彼女の娘が睡眠薬を飲み過ぎて死亡。エヴァリン自身もその翌年風邪が悪化して死亡。

▼ハリー・ウィンストン:ニユーヨークの宝石商。100万ドルでこのダイヤを買い取った。交通事故に4回遭い、事業にも失敗して破産。

1958年、ハリー・ウィンストンは、このダイヤをスミソニアン博物館に寄付することにした。その時ウィンストンは、奇妙なことに、このダイヤを普通の郵便小包で送ったというのだ。超がつくほどの高価なダイヤを普通小包で郵送することに何のためらいもいだかなかったという。
ダイヤは無事届けられ、今では博物館で最も人気のある展示物の一つになっているという。


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