アラビア半島南の石油産出国である、イエメンの国王を務めていたイマーム・ヤフヤー王(1869年 ~ 1948年)。この、イエメンの国にはある有名な占い師がいた。占い師というより、予言師といってもいいくらいの人物だった。

幼い頃、ヤフヤー王は、この占い師から「決して自分の写真を撮られてはなりません。もし誰かに写真を撮られたら、あなたは不慮の死を遂げることになるでしょう。」と予言された。

この予言を完全に信じたヤフヤー王は、これ以降、決して人に写真を撮らせないように最大限の配慮をしていた。だから国民も、ヤフヤー王の顔を見たことがなかったのだ。

だがある時、国王に面会を許された、あるイタリア人の画家が、その面会中に国王の顔を完全に覚えてしまい、面会が終わってからすぐに国王の肖像画を描きあげてしまった。ヤフヤー王にしても、写真は撮られないように注意してはいたものの、絵にまでは考えが及ばなかったのだ。

この肖像画は、後にアメリカのリプレーという作家の元に渡った。リプレーというのは当時のアメリカの人気作家で、世界中の不思議な事件や奇妙な風習を文書や漫画にして発表しており、これが大変な人気を博してした。

リプレーはこの当時、新聞に「信じようと信じまいと」というタイトルのコラムを連載しており、このコラムに、「イエメンの国王は、自分の写真を他人に見られると自分が死ぬと信じているため、この国の国民は誰も国王の顔を知らないのだ。」という記事と共に国王の肖像画を新聞に掲載してしまったのだ。

確かに写真ではないが、絵という媒体を通じて国王の顔は多くの人の目に触れることになってしまった。この記事が掲載されたのは1948年2月20日。

そしてアメリカで記事が掲載されたちょうどこの日、全くの偶然か予言通りなのかイエメンにクーデターが起こり、ヤフヤー王は反乱部隊の手によって殺害されてしまった。

クーデターは、王位継承を狙う一人の王子の陰謀であり、このクーデターによってヤフヤー王自身と、16人の息子のうちの3人が暗殺されてしまったという。ヤフヤー王殺害のニュースはその日のうちにアメリカに伝わり、夕刊に記事が掲載された。


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