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No.136 大韓航空機をソ連戦闘機が撃墜



▼事件発生

1983年9月1日、アメリカのアラスカ・アンカレッジ空港を出発した大韓航空(KAL)007便は、離陸直後から、本来飛ぶべき正規の航路を大きく北にはずれ、その結果ソ連の領空に侵入した。

その後も約2時間に渡ってソ連の領空内を飛び続け、迎撃に向かったソ連側の戦闘機スホーイ15が、大韓航空007便に対し2発のミサイルを発射した。

ミサイルは2発とも命中し、007便は海上に墜落、乗員乗客269人全員が死亡した。場所はサハリン沖のモネロン島上空のあたりで、機体は原型をとどめないほどバラバラな状態となって発見された。

民間航空機を撃墜し、多くの人命を奪ったソ連の非人道的な行為に、世界中から避難の声が浴びせられた。


▼撃墜に至るまでのソ連側の動き

現地時間午前4時51分、007便が「敵未方不明機」としてソ連側のレーダーに捕捉(ほそく)された。そして一時間後、ソ連側はこれを敵機と判断する。4機の戦闘機をスクランブル発進させ、007便に向かわせた。

その中の一機であるカジミーン少佐は、6時7分、目標(007便)を自分の目で確認した際に管制塔に「暗闇の中に葉巻状のシルエットが見える。」と報告している。旅客機ならば、胴体の上下に2つ、両方の翼の端にも2つの航空灯をつけているはずであり、灯火がついているかどうかは旅客機なのか戦闘機なのかを見分ける重要な判断材料となる。


また、この時の仲間のパイロットも、「目標は灯火をつけていなかった。」と報告しているが、地上のカルヌーコフ司令官は、それでも「もしや民間機では?」との疑いからスホーイ15戦闘機・805号機を操縦するオシーポビッチ中佐に改めて灯火の確認をさせた。

すると今度は灯火がついている。さきほどまで無灯火だったはずの目標は、きちんと航空灯をつけていた。

6時18分、オシーポビッチ中佐は「目標は点灯している。」と報告。交信記録からすると、カルヌーコフ司令官はこの時点で「民間機かも知れない」と判断した様子がうかがえる。
「翼を振ってソーコル基地に着陸させろ。」
「機関砲による警告射撃を実行しろ。」
と命令が出される。

オシーポビッチ中佐も、スホーイ15の航空灯を点滅させたり、国際チャンネルで呼びかけたり、警告射撃を行ったりしたが、007便は何の反応も示さなかった。

この当時は米ソの冷戦状態と言われ、毎日のようにアメリカの偵察機がソ連の領空を侵犯し、ソ連側もたびたびスクランブル発進するなど、軍も極度の緊張状態にあった時期である。反応のない007便に対しソ連側が「これは旅客機と見せかけたアメリカの偵察機」と判断した可能性も高い。

午前6時23分、「目標を撃墜せよ。」との命令が下される。あと数分飛行を続ければソ連領空外へ出るという時だった。
6時25分、オシーポビッチ中佐が、「熱探索誘導ミサイル」と「レーダー誘導ミサイル」の、合計2発を発射し、1分後に「目標撃破。」と報告した。


▼事件にまつわる多くの謎

予告されていた爆破

007便が撃墜される10日ほど前、アメリカのワシントンにある、ソビエト大使館に1通のファックスが送られてきた。発信者、発信元は不明で、文面には一行だけ
「007便は爆破される。」
と書かれてあった。

このファックスを読んだ大使館員は、イタズラだろうとは思ったが、念のため内務省にこのことを伝えた。内務省で調査が開始され、要人の暗殺、テロ、怨恨(えんこん)など、あらゆる可能性から調査されたが、結局明確なことは分からないままだった。


ファックスを受け取ったのはソビエト大使館であるが、だいたい、アメリカ発の旅客機が爆破されたところでソ連には何の関係もない。ましてや、当時は冷戦とは言われながらも軍事力も経済力もアメリカの方が圧倒的に上であり、もし戦争にでもなれば到底勝てるはずもない状況だったから、まさかソ連軍がアメリカ発の旅客機を爆破するなどという挑発行為をする可能性もない。

こういったことから、爆破予告はイタズラだろうということで処理された。この時はまさか007便が領空侵犯によってソ連戦闘機に撃墜される、などという展開は誰も想像がつかなかったのである。


本来の航路から大きくはずれた飛行

旅客機を撃墜するというソ連の行動は断じて許されるものではないが、そもそも007便が正規のルート(R20と呼ばれるルート)を飛行していれば何の問題も起きなかった。007便はアメリカのアラスカを出発した直後から図のように、明らかに正規ルートとは違う角度に向かって飛行を続けている。

墜落後に回収されたブラックボックスの解析によると、あの時の007便には、操縦装置の故障などの形跡は一切見られなかった。つまり、自動操縦装置(オートパイロット)も正常に動作していたわけである

現代からすれば昔のこととはいえ、この時代のオートパイロットも決してチャチなものではない。この当時すでに「操縦士が眠っていても目的地に着く」と言われるほどの精度で完成されていた。

007便の機体はボーイング747、いわゆるジャンボジェットと呼ばれるもので、ジャンボのオートパイロットには次の3つのモードがある。

慣性航法(INSモード):通過すべき地点の経度・緯度を入力しておけば、その地点をそれぞれ通過し、目的地に到着する。

機首方位(HDGモード):目的地までの方位を入力しておけば、機首が常にその方向を向いて飛行する。

無線航法(VORモード):航路上にある地上無線施設からの電波を受信し、その発信局を目指して飛行していく。

現地時間8月31日、午前4時にアンカレッジ空港を出発した時の007便の航法選択スイッチはHDG(機首方位)モードであった。

定められた通りに飛行するならば、離陸後はアンカレッジからカイルン山を通過してベセルまでは「アラスカ国内航空路(J501ルート)」に乗り、ベセルから先は「北太平洋複合間隔航空路(R20ルート)」に乗るはずだった。

離陸した際にはJ501ルートに乗るためにHDGモードで飛行し、ここまでは正常だったものの、本来であれば、ベセルを通過した時点で、HDGからINSに切り替えて太平洋に出ていくべきであるのに、007便はそれを行わなかった。HDGモードで設定した方位角245のまま、撃墜されるまでの5時間余りを飛行している。この方向で飛び続ければ、本来の航路を大きくはずれて、いずれソ連領内に入ることはパイロットも当然分かっているはずである。


そして旅客機は、オートパイロットで飛行しているといっても、航空管制上、航路ごとに地点が決められていて、その地点を通過するたびに通過位置を報告するように義務づけられている。

それは自機のコールサイン(KAL007)や通過地点の名称だけではなく、時刻・高度・次の通過地点の名称とその予定時刻・残りの燃料・外気温・風速と風向・気象状況の10項目に及ぶ。

特に位置報告は、INSの座標(経度・緯度)の数字を確認して報告することになっており、位置がずれていればはっきりと認識出来るはずである。

007便の、最初の位置報告義務のある地点はカイルン山であった。本来であれば、カイルン山の真上を通過していなければならないのだが、すでにこの時点で北側に11kmずれている。そして007便からは正常にカイルン山の通過報告が入っている。

ベセルにおいては同じく北の方に22kmずれており、ここでもベセルの通過を報告している。そして次の報告地点であるナビーでは110km、ニーバにおいては300kmもずれているのに、普通通りに通過の報告をしている。

そしてその後のニッピの通過報告も異常なく行われているが、この時には007便はまさにソ連領空を侵犯し、カムチャッカ半島の上空を通過していたのである。


位置確認通報は、表示されたデータの数字を見て行われるわけであるから、現在位置の座標を見れば、それが本来の位置と大きくかけ離れていることはすぐに分かる。にも関わらず、007便は、本来の航路であるR20ルートを大きくはずれながら、5時間にも渡ってあたかも正常にR20を飛行しているかのような報告を続けている。最終的にミサイルが発射されたサハリン沖の撃墜場所では、R20の正規ルートから600kmも北の方にずれていた。

これは人為的ミスでも機械の故障でもなく、明らかにパイロットの意思で航路をはずれ、ソ連領空内に侵入したと判断する以外にない。それも一人の意思ではなく、この機に搭乗していた3名のパイロット全員の意思と言える。

この007便を操縦していたパイロットは、機長の千炳黄(チョンピョンイン)(45)、副操縦士の孫東輝(ソンドンヒ)(47)、航空機関士の金義東(キムウイドン)(32)の3名である。

機長は10年以上、韓国空軍に所属してした経歴があり、その後大韓航空に入社。R20ルートの飛行回数も27回にのぼり、ベテランとも言える機長である。副操縦士も同じく韓国空軍に19年在籍し、この会社に入社している。航空機関士は韓国海兵隊に4年間在籍した後、大韓航空に入社。偶然かも知れないが、3人とも韓国軍の出身である。


警告は発せられたのか

航空機が領空侵犯をした場合、国際的に定められたルールによって順次警告が発せられることになっている。

まず、航空機が違う国の領空を飛ぶ場合は、事前に届け出ることによって飛行ナンバーが与えられる。いわば許可証のようなものである。しかし飛行ナンバーのない不明機が国境線に近づいていることがレーダーによって捕捉されると、その航空機に「国境線に近づいているのですぐに方向を変えろ。」と警告が発せられる。

それを無視して国境線を超えると、「すぐに退去しろ。」と再び警告が出される。国境線を超えると同時に軍のスクランブル機が発進して、不明機へと向かう。


007便の場合もソ連領空に近づいた時点でソ連側から警告が発せられたはずである。しかし撃墜後の007便のボイスレコーダーはソ連が回収しており、この時無線でどういったやり取りがあったのかは不明であった。

だが、事件から10年が経ち、ロシア新政府からアメリカへ当時の007便のボイスレコーダーが返却されて改めて調査が開始されると、意外にもそのような警告を受けた様子は全く録音されていなかったことが分かった。


ソ連側が007便に対し警告を出さなかったというのは、ジャーナリストの推測によると、アメリカの偵察機と間違えられたのではないか、という。007便がカムチャッカのレーダーに捕捉される一時間以上前からアメリカの偵察機であるRC135が007便の飛行コース周辺で領空侵犯を続けていた。

この偵察機に対してソ連は退去するように警告を発した。しかし偵察機は無視して応答しなかった。そしていったんレーダースクリーンの範囲外へ飛び去り、スクリーンからは消えたが、しばらくして再びレーダースクリーンに現れた。しかしこれはRC135ではなく007便であった。

ソ連側は、いったん飛び去った偵察機がまた戻ってきたと思い、さきほど警告を発していたので、二度目の警告は行わなかったのではないか、と推測されている。


ソ連側が警告を行わなかったのは、仮にこの推測通りだとしても、では離陸元であるアメリカのアンカレッジ空港の管制塔ではどうだったのだろうか。当然007便の飛行ルートを監視しており、通過点との大幅なズレも把握しているはずである。

アンカレッジのレーダー係が007便が飛行ルートがおかしいと気付いた時、「007便に警告しなければ。」と言うと、ある職員が「いや、いいんだ。」とその警告を止めたという情報もある。

アラスカにあるアメリカ空軍の基地でも、007便が航路をはずれてソ連領空を飛行していることは判明していたし、ソ連戦闘機スホーイが緊急発進したことも無線の傍受(ぼうじゅ)で分かっていた。だが、警告は行われなかった。

007便がソ連領空に侵入し続けている間、ソ連側もアメリカのアンカレッジ空港管制塔も、アメリカ空軍も、そして後続で飛んでいたKAL15便も、007便に対して警告を発した様子が全くないのである。

明らかにパイロットの意思による航路逸脱(いつだつ)、それを分かっていながら誰も注意を促(うなが)すことをせず、最終的に007便は撃墜された。


本当にミサイルによる撃墜か

ソ連側のデータによると、007便がレーダーから消えたのはミサイル発射から12分後となっている。ボイスレコーダーの録音によると、007便は機体後部にミサイルを受けた後、機内の急激な減圧を避けるために気圧差の安全な高度である1万フィート(約3000メートル)まで降下しようとしていたことがうかがえる。

そして右に大きく旋回しながら高度を落としていき、ソ連側の推定では25度から30度の角度で海面に接触した。

ミサイルを発射したオシーポビッチ中佐は、テレビのインタビューで「ミサイル命中後、目標は約30分飛行を続けた。」と答えている。

レーダーとオシーポビッチ中佐の証言に時間の差はあるが、ミサイル命中後、007便は決して空中爆発を起こしたわけではなく、明らかにパイロットの手によって制御された飛行をしばらく続け、そして海上へ接触したのである。着水した時の速度は時速50〜60キロと計算されている。

回収されたボイスレコーダーにも、ミサイルを受けた後の007便のコクピット内の様子が録音されているが、その中に「エンジン正常」という機関士の言葉もある。つまり、007便は落下というよりも不時着に近い形で海面に達したのである。

ならば機体の損傷はそれほどひどいというものではなく、多数の生存者がいてもおかしくないはずである。
しかし発見された007便は原型をとどめないほどバラバラの状態となって、海底200メートルの地点で発見されている。明らかに海面に達する直前に爆発を起こしていたことが分かる。

偶然にもこの時、モネロン島の北、約34キロのあたりで日本のイカ釣り漁船「第五十八千鳥丸」が操業をしており、007便の最後を目撃している。正確に言えばこの時は闇夜であったので、007便そのものを一部始終見たというわけではないが、彼らの証言によると007便は船の上空を爆音をたてて通過し、遠くの方で「ドカーン」と大きな爆発音が聞こえ、水平線が2〜3秒ほどオレンジ色に光ったという。

5〜6秒ほど後にもう一度爆発音が聞こえ、またオレンジ色の光を発した。そしてその後、海面から油の臭(にお)いが漂ってきたという。この爆発音はモネロン島の島民も聞いている。

しかしこの爆発も、航空機の爆発としては不自然である。航空機で爆発の可能性のある個所といえばエンジンと燃料タンクであるが、これらが爆発したのであれば、機体や海面に漂う燃料が長時間に渡って燃え続けるはずであるが、燃えた形跡が全くない。目撃者も単発の爆発は見たが、その後の炎は見ていない。

つまり爆発したのはエンジンや燃料タンクではないということになる。
では何が爆発したのかということになるが、一番可能性が高いのは、機内にあらかじめ爆弾が仕掛けられており、それが爆発したと考えるのが一番理にかなっている。

これも推測であるが、後部貨物室のあたりに仕掛けられていた爆弾が爆発したことにより、機体は2つか3つに分断され、海に落ちたのではないかとされている。


ほとんど発見されない残骸、消えた遺体

事件後、007便が沈んでいる海底の調査が行われたが、とても航空機が落ちたとは思えないほど、発見された残骸はわずかなものだった。

乗客らしき身体の一部が十数個発見されたものの、身体のないズボンや服、機体の一部やガラクタのようなものがわずかに見つかっただけである。

ただ、機体の残骸がほとんど発見されなかったのは、調査が開始される前にすでにソ連軍によって、これらの残骸は処理されていたからであるが、269名も乗っていたはずであるのに、遺体がほとんど見つかっていない。

007便が着水した地点と残骸が発見された場所とは距離的にかなり離れている。実際に着水したのはモネロン島にもっと近い場所であり、水深の浅いところだった。ソ連軍は、ボイスレコーダーやブラックボックス、その他の調査の対象となるであろう残骸をコンテナ数個分ほどを短時間のうちに回収し、残りの残骸は海軍がトロール網で、より深い海底まで運び、そこで廃棄した。

その後に調査をしても、わずかな痕跡しか発見出来なかったのも当然といえば当然であるが、それにしてもあまりにも残骸は少なく、ソ連側が事前に回収したといっても乗客全員の遺体を回収して隠しているとも考えにくい。

何よりもソ連側は乗員乗客269名全員死亡と発表している。遺体の確認もなしにこのような発表をするであろうか。

専門家の推測によれば、007便には後部貨物室に爆弾が仕掛けられており、それが着水寸前に爆発し、その衝撃で機体は2つか3つに切断された。爆弾周辺の部分は原型を留めないほどバラバラになり、これが後に調査された部分である。

翼から前の部分は、爆弾からわりと離れていたので損傷は少なかったが、乗客を乗せたまま離れた場所へと突っ込み、そのまま海へ沈んだ。ソ連側はこの部分も発見しており、機内に閉じ込められたまま死亡した人たちを確認したからこそ、269人全員死亡と発表したのではないか。そしてこの部分はいまだに海中に沈んだままになっているという。


航路逸脱はアメリカ側の指示という説

この事件の真相に関して、一つの仮説であるが、以下のような説も浮上している。

「007便はアメリカのスパイ機であり、ソ連の軍事施設を撮影するためにソ連領空内に侵入した。航路逸脱も警告が発せられなかったことも、全てアメリカ側の指示によるものである。」

007便が飛行したカムチャッカ半島のペトロパブロフスクには、ソ連の極東最大の原子力潜水艦基地があり、また、サハリンにも重要な軍事施設がある。この空域は、ソ連の旅客機といえども飛ぶことを許されてはいない。もしここにアメリカ軍が侵入したならば、間違いなく戦闘機かミサイルの攻撃を受けることになる。いわばソ連領空の中でも、最も危険な空域と言える。

ソ連領空内に侵入し続けた007便は、この危険な空域に達した。しかしこれはミスにより迷い込んだのではなく、明らかに侵犯を目的としてこの空域まで飛行を続けてきたのである。アメリカ側とすれば、軍用機であればただちに撃墜されるため、民間機を侵入させたのである。

そして上空からソ連軍事施設を撮影し、同時にソ連側の対応、迎撃システム、無線の傍受(ぼうじゅ)などの軍事データを収集し、送信した。そしてそのために攻撃を受けるのであれば、それはソ連領空内である必要があった。ソ連とは民間機を撃墜するような非人道的国家であるというイメージを世界に定着させるためだ。

しかしミサイル攻撃は受けたが、それは撃墜されるほどの規模ではなかった。そのため、アメリカ側は証拠隠滅のために007便を爆破した。269名の命はその犠牲にされた。

こういったアメリカの謀略説は、現実味は薄いものの可能性が全くのゼロというわけでもなく、この事件の真相の一つとして依然ささやかれている。

明らかにパイロットの意思による領空侵犯、それに対して管制センターや米軍から何ら警告がなかったこと、海面にはかなり速度を落として着水したはずなのにバラバラに破壊されていた機体、そして残骸も遺体もほとんど見つかっていないという現実・・これらの謎を巡って、この大韓航空機撃墜事件は多くの本も出版されたが、いずれも「説」の段階であり、依然真実は判明していない。



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