シベリアの中央部分には、タイガと呼ばれる超広大な針葉樹林帯が広がっている。ここには住む人もほとんどおらず、その大半は人間が足を踏み入れたことのない未開の土地である。

▼正体不明の大爆発

1908年6月30日、このシベリアのタイガの中、ツングース地方の森の上空に、突然巨大な光の玉が現れた。まるで太陽を思わせるかのようなこの光の玉は、大音響と共にものすごいスピードで落下しつつも水平方向にも飛行し、突如として大爆発を起こし、キノコ雲が上がった。

その爆発は人類始まって以来、最大級の規模であり、広島型原爆の2万倍と推測されている。付近一帯は大地震に見舞われ、まばゆいばかりの閃光とすさまじい爆発音が響き渡った。爆発音は1000km離れた地でも聞こえたという。1000kmといえば東京から鹿児島の距離にも匹敵する。

爆発は3~4回起こり、タイガに林立している樹木は2500平方kmに渡って根こそぎ倒された。世界各地の気象台では、爆発の衝撃波が地球を2周かけめぐったことを記録した。

爆発による光はすぐにはおさまらず、それから2~3日の間はモスクワからパリ至るまで夜空を照らし続け、夜でも昼のように明るかった。

▼クーリックの調査隊

この大爆発は事件後、すぐに調査が開始されたわけではない。この当時、現地であるロシアは、「革命」という政治的な大変動期にあったため、学術的な調査といえども安易な立ち入りが許されなかったからである。初めての調査は、事件から13年も経った1921年9月に、ようやく行われることとなった。

調査の中心人物は、ソビエト科学アカデミー鉱物博物館のクーリックである。だがこの初めての調査は、資金難という厳しい現実に直面することとなる。途中で資金不足となり、何ら成果が得られないまま調査は中止を余儀なくされたのである。

ある程度の成果が得られたのは、それから6年後の1927年2月に行われた二回目の調査の時である。この時もクーリックが中心となった調査隊であったが、この時には彼らは何とか爆発地点にたどり着くことに成功し、その異様な光景を目にした。

木々は高熱で焼け焦(こ)げ、無残な光景が広大に広がっている。爆発の中心地と思われる場所からは放射状に大半の木が倒れている。上半分がちぎれ飛んでいる木やねじ曲がっている木などが爆発の衝撃を物語っていた。

大爆発の原因として調査隊の誰もが考えていたのは巨大な隕石の落下である。もちろん調査も、その隕石そのものか、それによって出来た穴(隕石孔[こう])の発見という方向で行われた。しかしいくら探してもそのようなものは見つからない。これだけの規模の爆発が起こったくらいであるから、巨大な証拠が残っているはずであるが、結局発見出来たのはわずかな鉄の破片だけであった。

その後も別の調査隊が現地に向かったが、クーリックと同じく、隕石の痕跡を見つけることは出来なかった。つまりこの爆発は「隕石が地上に激突したものではなく、何か別のものが空中で爆発を起こした。」と考えざるを得ないのである。

その方向で考えると一番有力な存在が彗星である。彗星の正体は主に、氷とチリであるから、これが超スピードで地上に落下してきたとする。その速度は推定で時速約9万キロ。これが大気との摩擦熱で一気に高温と化し火の玉となる。そして地上に激突する前に空中で爆発を起こした。これならば地上に隕石孔は出来ずに大爆発を起こしても不思議ではない。

だがこれはあくまでも一つの仮説である。
他にも「ブラックホールが衝突した」「反物質が衝突した」などの説が浮上したが、このツングースの爆発においては、そのそれぞれの説を裏付ける証拠が何も見つかっていないので、どれも推測の域を出ていない。

その中で、実際に現地にも出向いたソ連の地球物理学者・故ゾロトフ教授は「何者かによって人工的に作られた物体が空中で爆発を起こしたもので、その爆発は核爆発である。」と、初めて人工物によるものという説を発表した。

また、1960年発行の政府月刊誌にも「ツングースの爆発は核爆弾によるものである。」と掲載されたこともあって、自然現象説を否定し「人工物によるもの」という考えを持つ学者やジャーナリストが増えてきた。

その「人工物」とはすなわち、地球外生命体の作ったものであり、UFOが深く関与していると彼らは主張する。この爆発の正体は、宇宙における知的生命体の存在を無視しては決して解決することは出来ないのだ、と。

▼チェルノブロフ教授の調査

モスクワ航空大学のチェルノブロフ教授は、本業である航空部門の研究ももちろんであるが、UFOの研究についてもロシアでトップクラスとされる人物であり、彼もまたツングースの事件に関してかなり高度な調査を行った一人である。

教授は爆発の詳細を調べるために、森のミニチュアを作り、実際に小規模な爆発を起こしてみるという実験も行っている。

学生たちと一緒に大学の教室の床にツングース地方の2万分の1の地図を描き、その地図上に、木に見たてたマッチ棒を一本一本刺して、これを森とする。そしてその上空に火薬の入った袋を天井からぶら下げて、それを爆発させるのだ。

火薬の量や高さなどを微妙に変え、一回一回マッチ棒を立て直しては何度も実験は行われた。その実験によって得られた結果は、爆発が起こったのは地上から約5kmの地点、進入角度は約30度、爆発の規模は広島型原爆の約2万倍ということであった。結果そのものはこれまで多くの学者たちが発表してきたものと同じような結果であったが、では何が爆発したのかというとそこまでは分からない。

実際に現地を調査するしかないと考えた教授は、学生10人と共に1995年の夏、実際にツングースの爆発現場を訪れた。すでに爆発から89年も経っており、森もだいぶ緑を取り戻してはいたが、枯れたままの木や倒れて朽ちている木も多く残っており、まだ爆発の痕跡は残っていた。

▼森で起こる奇妙な出来事

チェルノブロフ教授たちが実際に現地に入ってみると、ある地点で全員の時計が狂うという現象が発生した。時計は全員のものが一様に進んだりするのではなく、止まったり遅れたり進んだり、その症状はバラバラであった。

また、別の地点では方向感覚が狂い、方角が分からなくなったりすることもあった。また、微量ではあるが、この地では放射能も検出された。

そして爆発にさらされた地域の木の年輪を調べていて分かったことであるが、それらの木は通常に比べて2倍の速度で成長していることも判明した。

教授や学生たちが体験した異変はちょっとしたものであったが、ここツングースの森では、上空を飛ぶ航空機に事故が発生したこともある。

教授たちがこの地を訪れる前の年の1994年7月25日、ロシア国内線のYK40型旅客機がこの上空を飛んでいる時、原因不明で突然計器に異常が生じ、操縦不能となってそのまま墜落し、多数の犠牲者を出したのである。

また、この事故からほどなくして、同じようなことがもう一機の航空機にも起こっている。いきなり計器が狂い始めて正常な操縦が出来なくなるのだ。幸いにもこちらの航空機は緊急着陸に成功し事なきを得た。

ツングースの森では爆発の残存物として、何らかの未知のエネルギーが残っているとしか思えないような出来事が数々発生しているのである。

▼爆発を目撃した人がまだ生存していた

ここツングースのタイガ(針葉樹林帯)では、ほとんど人は住んでいないといっても全く人がいないわけでもない。トナカイの飼育や狩猟で生計を立てている、エベンキ族と呼ばれる人々が生活をしている。

チェルノブロフ教授たちは、このエベンキの人たちに会うことに成功した。このたびの調査ではエベンキの人たちを訪ねることは最初から計画に入れていたので、時間も取ってあり、十分にエベンキの人たちの話を聞くことが出来た。彼らの話によると、爆心地の近くの森に入った動物は、迷って出られなくなるとか、あの辺りの森で死んだ動物の死体は何ヶ月も腐らない、など奇妙なことも体験しているという。

何人ものエベンキの人たちを訪ね、当時の目撃者を探したところ、二人の目撃者に会うことが出来た。爆発から89年も経っており、当時子供だった彼らはすっかり年老いていたが、あの時のことはまだはっきり覚えているという。

「光り輝く火の玉は、私が見た時は南から北へ飛んでいました。それから東へ向かって飛び、それから西の方向へと飛んでいきました。」

輝く物体は空中で飛ぶ方向を変えている。隕石や彗星ならば、空で二回も方向転換することなどはあり得ない。教授が「記憶に間違いはないですね。」と確認したが、間違いないという。

また、「その物体は爆発の前は赤色でしたが、爆発の後には銀色になって、そのまま遠くへと飛び去っていきました。」とも証言した。

空で方向転換したということは、知的生命体が操縦する飛行物体である可能性が極めて高い。いわゆるUFOであるが、爆発の後も飛び去る物体が目撃されているということは、このUFOそのものが爆発したわけではない。UFOから投棄された何かが爆発を起こしたのだろうか。

しかし、UFOそのものか、投棄された物体が爆発したのであれば、その破片くらい見つかりそうなものではあるが、それさえも見つかっていない。あるいはあまりにも超スピードで飛行するUFOの発するエネルギーにより、空間そのものが爆発したのだという説もある。

このUFO説もまた、目撃証言だけで実際にそれを裏付ける証拠が見つかったわけではないが、彗星や隕石などと同様、爆発の正体の候補として、十分可能性がある。

様々な説はあるものの、それらは全て推測の域であって、結局「何が」爆発したのかは依然不明のままであり、今後も解決は難しいかも知れない。


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