Top Page  心霊現象の小部屋  No.79  No.77


No.78 風呂場の4人

30代で独身の岩崎さんは、一人で旅することを趣味とする男性である。これまで月に一度くらいのペースで様々なところへ出かけて来たが、今回の旅は怖いもの見たさから、青森県の恐山に行ってみることにした。

恐山は日本の有名な霊場で、死者の魂が集まり、奇怪な現象が起こる地である。また、死者の魂を自分の身体の中に入れて、亡くなった人が伝えたいことを実際の声に出して再現する「イタコ」と呼ばれる人々がいることでも有名である。

岩崎さんが恐山を訪れたのは7月上旬で、数日後に大祭を控えているせいか、観光客はまばらであった。


岩ばかりの風景の中に、ぽつりぽつりと寺が点在し、上空をカラスが飛びかい、硫黄の香りが漂う不気味な風景。岩崎さんはあらかじめ予約しておいた宿坊(しゅくぼう = 宿泊出来る寺)に到着し、部屋に案内してもらった。今日の宿はこの六畳の和室である。

部屋でちょっと横になっていると、一日の疲れが出たのかいつの間にか眠ってしまった。しばらくしてふと目が覚めたが、自然に目が覚めたのではない。天井から何かざわめきのようなものが聞こえてきて、それで目が覚めたのだ。

天井からは確かに人の声が聞こえる。その声は段々と天井から下へ降りてくるようだ。じっと耳を澄ますと、それがお経であることが分かった。それも何人もの老婆が唱えるお経だ。その声が上からじわじわと自分に向かって迫ってくるのがはっきり分かる。

背筋に寒気が走り、この部屋から逃げ出そうと起きあがろうとした瞬間、岩崎さんの身体は突然硬直して動かなくなった。「金縛りだ!」恐怖が更に増幅する。手も足もどこも動かせない。かろうじて目は開けていられたので、窓から外をちらっと見ると、観光客が一人二人歩いているのが見える。まだ日が暮れてはいないようだ。

「このまま死んでしまうんだろうか・・。」頭の中に死への不安がよぎる。時間にして30分程度だったろうか。突然、ふすまがガラッと開き、仲居さんが来てくれた。多分、布団を敷きに来てくれたのだ。まさにその瞬間、一瞬にして金縛りが解けた。


「助かった・・。」これまでの人生の中で、これほど感激したことはないというくらいの感覚だった。

すぐに今あったことを仲居さんに伝えると
「あ、そうだったんですか、しばらくはそういうこともなかったんですがねぇ。」
と、慣れているのか、妙に冷静である。

「不安でしたら部屋を代わります? 他にも空いている部屋がありますから。」
というのですぐに部屋を代えてもらった。幸い、部屋を代わってからは妙な出来事はなく、無事に夜を過ごせた。


翌日、恐山の観光の続きを行い、この近辺でもう一泊した。今夜の宿は恐山の1kmくらい手前にある民宿である。

この民宿はビジネスホテルのように各部屋にバス・トイレ付きという建物ではない。フロントと食堂が設置してある建物と、宿泊施設のある建物とが別れている。二つの建物は同じ敷地内にあるが、二つの建物を行き来しようとするならば、いったん外に出て敷地内を歩いて行かなければならない。

更に都合の悪いことに宿泊施設のある建物にトイレはなく、トイレもいったん外に出て10数メートル歩かなければたどり着けない場所に設置してあった。

岩崎さんが泊まった日は宿泊客は自分一人だった。つまり建物の中には自分一人しかいないということである。昨日のことを思い出して恐怖がよみがえる。ここに泊まったことを後悔したが、もう遅い。

眠気を誘うために酒を飲んだが、こういう時に限って眠くはならない。外はいつの間にか大雨になっていた。一人で部屋にいるのも怖いので、食堂に行ってみることにした。時間はまだ夜の9時。傘をさしてフロントと食堂が一体となっている建物に足を運んだ。


食堂に入ると、この宿の主人がビールを飲みながらテレビを見ていた。かなりほっとした。
「一緒に飲んでもいいですか? まだ眠れそうにないんですよ。」
そう言って岩崎さんは宿の主人と一緒に飲むことにした。

一人旅が趣味で、あちこち出かけていることなどを話すと主人は、
「よくまあ、一人で恐山に来る気になりましたね。」
と笑いながら言った。

「この近辺はいろんな怪奇現象があると聞きましたが、ご主人はそういう経験はないんですか?」
と聞くと、
「そういうことは日常的に経験してますよ。ただ、自分としては仏に遣(つか)えてると思ってますので、怖いとかいう気持ちはありませんがね。」

「はああ。そうですか。私は昨日初めてそういう怖い思いをしましたよ。出来ればご主人の経験談も聞かせてもらえませんか?」

「はは。そうですね。それじゃ・・何年か前でしたが、その日もこういう大雨の日だったんですが、夜中にガラガラと戸を開ける音がしましてね。なんだろうと思って玄関に行ってみると18か19歳くらいの女の子がずぶ濡れで立ってるんですよ。で、今夜ここに泊めて下さい、と言う。

部屋も空いていたし、ま、いいかと思って、じゃこれに名前と住所を書いて・・と言いながら宿帳がカウンタの上にちゃんとあるかどうかを確認して、もう一回振り向いたら女の子はもういなかった。

私が宿帳を見てまた振り向くまで1秒か2秒くらいですよ。その間にもういなくなってしまった。それでもまた戻ってくるんじゃないかと思ってしばらく待っていたんですが、それっきり。外は大雨で、女の子がいつまでも外にいたり、どこかへ行ったとは思えない。

ああ、これはまた現世をさまよってる仏様が現れたんだな、と後になって分かりましたね。」


岩崎さんはますます部屋に戻るのが嫌になった。やっぱり聞くんじゃなかった。
「もう11時になりますね。これくらいの時間が一番出るんですよ。」と主人は更に恐怖をあおるようなことを言う。

夜もふけてきたので、岩崎さんは気はすすまなかったが、部屋に帰って寝ることにした、敷地内を小走りに走り、部屋へ戻って布団に入る。と、その時カミナリが鳴り、その一瞬後にいきなり真っ暗になった。停電したようだ。

さっきの主人の話を思い出す上に、辺りは真っ暗。これ以上はないという恐怖である。「で、出る・・何か出る・・。助けてくれ・・。」岩崎さんは布団の中でじっとしているしかなかった。5分ほど経った時、ようやく電気がついた。ほ〜っと息をつく。昨日金縛りから開放された時のように一気に心が落ち着いた。


とても電気を消して寝る気にはなれないので、部屋の中の明かりという明かりを全部つけて寝ることにした。しかしこういう時に限ってなかなか寝つかれない。ようやくウトウトしかけた頃、コンコンッと窓ガラスを外から叩く音がした。「うおおああっ!」飛び上がるほどびっくりして岩崎さんは悲鳴を上げた。

「つ、ついに出たのか・・!」
布団の中で身体を硬くして、恐る恐る窓の方を見る。コンコンコン、とまた窓を叩く音が聞こえる。そしてぼんやりと窓の外に人が立っている影が見える。

「すいませんっ、ちょっとお願いがあるんですけど!」

窓の外から誰かが話しかけてくる。だがその声は、ハッキリとした口調で、元気をも感じさせるような声であり、自分がイメージしている不気味な幽霊の声とはかけ離れたものだった。どうやら普通の人間らしい。

岩崎さんが窓を開けると、そこには20歳前後の男が二人と女が二人の、合計4人が傘をさして立っていた。念のためじっくり観察してみたが、とても幽霊には見えない。

普通の人間だと分かると、岩崎さんはビビらされたことに対して急に腹が立ってきた。「こんな時間に何の用です?!」
ちょっと怒りながら問いかけた。

「すいません、ちょっと温泉に入らせてもらえないかと思って・・。」

どうやら岩崎さんをここの主人と勘違いしているらしい。
「ダメですよ、もうこんな時間ですから。」
「そこを何とか・・。ねっ、お願いします!」

4人の男女に頼まれて、別に岩崎さんに許可を出す権限はないのだが、
「じゃ、静かに入って下さいよ。それからなるべく早くあがるように。」

と言うと「分かりました!ありがとうございます!」
と、全員喜んで風呂場に向かった。風呂場は独立した建物になってはいるが、この宿泊所のすぐ隣に立てられている。宿泊所の内部からだけではなく、外からも入ることが出来る。


しばらくして風呂場からキャッキャッと楽しそうに騒ぐ男女の声が聞こえてきた。明かりのついている窓からして男湯の方だ。
「あいつら、男湯に全員で一緒に入りやがったな。それに静かに入ってくれと言ったのにあんなに大声で騒ぎやがって。」

驚かされたことといい、自分の言いつけを無視していることといい、岩崎さんもだんだん腹が立ってきた。
「ちょっと、ひとこと言ってやる。」
そう思いながら、宿泊所から風呂場に伸びる渡り廊下を歩いて風呂場に向かった。しかし、風呂場の入り口まであと数メートルというところで、はしゃぎ声がピタッとやんだ。

「俺が近づいて来たことが分かったのかな?」
騒ぐのをやめたのならまあいいか、と思って岩崎さんは風呂場から引き返したしかし、引き返して数メートル進むとまた楽しそうに騒ぎ出す。

「やっぱり言ってやろう。」
再び風呂場に向かって歩き出すと、またもや声は止まった。止まったからまた部屋に帰ろうと方向転換して歩き出すと、またもや騒ぎ出す。

何だか自分の行動を見られているようで、ますますムカついてきた。岩崎さんは風呂場まで行き、男湯の脱衣所の戸をガラッと開けた。

しかし、風呂に入っているなら4人分の脱いだ服があるはずだが、脱衣所のカゴは全部カラである。
「まさか全員服を着て入ってるんじゃないだろうな。」

そう思いながら男湯の戸を開けてみた。

しかしそこには誰もいなかった。風呂場の床もすでに乾いていた。さっき自分がこの風呂に入ってから誰も入ってないのだろう。

「そんな馬鹿な!確かにこの中から声が聞こえていたのに!」

全身に鳥肌が立つ思いだった。すぐに戸を閉めて風呂場を後にした。しかし岩崎さんが風呂場から数メートル離れると再び、今、無人だった風呂から楽しそうに騒ぐ男女の声が聞こえ始めたのだ。

「あ、あれは人間じゃなかったんだ! とうとう出合ってしまった・・!」

部屋に帰り、布団に入って震えている最中も相変わらず騒ぎ声は聞こえてくる。この時岩崎さんは、さっき食堂で主人と話した時の会話の一部を思い出した。

「幽霊といえば、足がないとか半透明って思われがちですが、実際にはそんなことはないんですよ。
まったく生身の人間と同じ姿で、それこそ見分けがつかないような姿で現れる場合も多いんです。お客さんも霊を人間と間違える場合があるかも知れませんよ。」

風呂場からの楽しそうな声はまだ続いていた。