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                                              はじめのページ蔵元紹介

 普通の蔵元紹介のように、蔵の歴史だの気候だの・・・そんなことは申しません。
蔵元とはズバリ、人間です!

 竹鶴、大谷、釜屋、旭菊と並んでいます。


竹鶴酒造

竹鶴酒造株式会社 
広島県竹原市本町(町並み保存地区内)3-10-19 0846-22-2021

 左は私のただの知り合いの「尾瀬あきら」氏。問題は右の男、彼こそ酒造界の大魔人と呼ばれる「石川達也」杜氏。

 早稲田大学在学中に埼玉県の神亀酒造で酒造りを始める。大学がよほど好きだったのだろう…何年もかけて入学し何年もかけて卒業したようだ。人の倍以上は勉強してるらしい。文学部卒業だけあって(なんで杜氏が文系なの?)その文才は目を見張るものがある。あぁ、そうそう、酒造りの才能もね!何があったか詳しくは知りませんが(大体見当はつくが、ここでは言わない)神亀酒造を辞めて、故郷の広島へ帰ることとなる。彼のお父様が西条の酒蔵「賀茂鶴」の専務だったこともあり、地元では石川さんチの三男さんが加茂鶴の杜氏に成りに帰ってくると、大変なうわさだった。(ちょっと大袈裟か)しかし、石川氏は、自分の目指している酒造りをするには加茂鶴は大きすぎる(規模)と判断し、竹鶴酒造へと入社した。彼は、社長が太っ腹なのをいいことに、その情熱を実現するのに足らないものはどんどん設備投資してもらっている。社長が今後どんなことにも驚かないように、いきなり敷地内に井戸を掘り始め、先制パンチをくりだした。その後も、酒母室の改良、蔵内の大胆な清掃、速醸もとの採用、洗い場の修理など留まるところを知らない。今はどうやら、麹室を2階にもってあげようとしているらしい。どれもこれも、竹鶴の酒が良くなることを願ってのことである。事実、その酒質は年々向上している。

 2002年10月2日に入った情報によりますと、石川杜氏の長兄は愛媛県でお医者さん、次兄は賀茂鶴の東京支社にいらっしゃるようです。
ご長男は哲大さん、ご次男は哲士さん、お父様は和知さんとおっしゃるそうです。
(情報を下さったのは、ご長男の石川哲大様です。^^)
ここで疑問が生じましたね?
なぜに、上のお二人のお名前と杜氏の名前が流れに乗っていないのか?(そのままいけば石川哲也になるはず・・・ならなくてよかった、私の同級生に哲也というとんでもない奴がいたから…哲也、見てたらゴメン)その理由は、上のお二人の名づけの親と、杜氏の名づけの親とが違うらしいのです。
なんと、杜氏の名づけの親は賀茂鶴先代会長だそうです。・・・先代会長に名前をつけてもらっていながら、そこの会社には入社しない・・さすがエエ度胸しとります。

 180cmを超える身長は、蔵内の貯蔵用タンクさえ小さく見える。どでかい体とは裏腹に繊細な蔵内の作業をこなし、箒草を育てたりしている。箒草は、道具の清掃に使うササラの材料となる。造りの時期にお邪魔するとただでさえこじんまりとした蔵は、彼が闊歩するだけでガリバーの世界となる。

 おおっ!忘れていた!本当の蔵元「竹鶴社長」はこの人です。

 県議会議員と酒蔵の当主の2足の草鞋をこなす男。普段は温厚そうに見えるがメガネの奥の瞳は妙に鋭かったりする。きっとこの人は怒らせたら怖いんだろうなぁ・・。

 一昨年お会いした時より、昨年お会いした時のほうが若々しく見えたのは頭髪のせいかしら…。どうやら使ってるらしい。絶対倍に増えてたから。12本が24本にはなっていた。

 帳場は奥様が切り盛りし、営業は昨年より息子さんが帰ってこられ、嫁いだお嬢さんも忙しいときには手を貸していらっしゃいます。家族で盛り立てる姿は、蔵元の原型を見るようです。
 
 ☆随分、昔の紹介文です。



























大谷酒造
大谷酒造株式会社
鳥取県東伯郡琴浦町浦安368    0858-53-0111

「杜氏と社長のコンビネーション」が決め手です。
 大谷酒造を語るとき、誰もが「坂本 俊」杜氏を語り始める。確かに、杜氏は製造から出荷、販売、人事まで八面六臂の活躍である。
 
しかぁし、このとぼけたおやじがいてこその大谷酒造である。だって彼は大谷さんだものその名を「大谷和正」という。通称「かずまさちゃん」でぇ--------す。神亀酒造の専務と肩を並べる変人です。

(写真の後ろに見えるのは杜氏じゃなくて頭の坂本さんです。
出雲弁の達人(?)で、杜氏としゃべっていると日本語に聞こえない。)

*現在(平成18酒造年度)はいらっしゃいません。

  東京農大卒業。とってもかわいい奥さんと3人の息子を持つ。ピッピというかわいらしい名前の肥満体の犬の飼い主でもある。(ピッピは他界しました)
 初めて、社長と話をしたのは「あなたの会社のfaxは当店のFaxを受け付けてくれませんが、注文はいらないってことですか!」の苦情の電話だったかな。
それから、暫くは・・・・「何言ってんだろう、この人は?」「宇宙人かなぁ?」てな感じでしたね。はっきり言って頭が良いんだか、悪いんだかわからない人でした。今は良くわかりますよ!彼はねぇ・・・・・・
 とびっきり頭のいい、おとぼけ人です。そろそろ、後継者は決まったのかな?・・・・こんな質問をストレートにぶつけると「君だ!!ってことにしときますか?」なんて答える社長です。
  あんまり戦略を語らない社長は従業員からも「?」なんて思われてますけど(ダメじゃん!)実は、色々考えてるんですよ。たぶん・・・。

いつも社長と『ため口』でしゃべっているため、周りからは社長とは同級生ですか?なんていわれる事がありますが、冗談じゃない!礼儀は守ってるつもりだけど、商売や酒の話にいちいち敬語に気を使ってたら話がまどろっこしくてね。

 杜氏はこんな事言ってました。
「ウチの社長は、私のよき理解者です。よい酒を造るためなら全力を尽くしてくれます。造りをわかっているけれども、余計な口をはさまない。任せてくれます。」
巷では、大谷酒造の本当の社長は坂本杜氏じゃないか、とよく言われます。あながち間違いでもありませんが、でもやっぱり社長は「かずまさちゃん」ですぅ。

 大谷和正社長、平成17年3月2日、享年57歳にて短すぎる生涯を終える…合掌
 そして平成18酒造年度をもって坂本杜氏も引退されます。今後は、故和正社長の奥様が社長として、二男さんが専務として、三男さんは蔵仕事でサポートし蔵を盛り立てていきます。次期杜氏は、同じく出雲杜氏の「曽田杜氏」が赴任されるはずです。








釜屋
釜屋
埼玉県北埼玉郡騎西町騎西1162    0480-73-1234

「限界を知らない男・・・加藤克則」

 右の写真の左隅に座る「ランニング姿の男」が滑屋の杜氏加藤克則氏である。
ここの会社もどこか大谷酒造と似ており、社長はとぼけたふりをして、ほとんど全面的に加藤杜氏に造りの事を任せている。造りだけなら杜氏も仕事のうちだから、あたりまえなのだが、夏場は営業までやってのける。
この写真は愛知県でのお酒の会(らららの会)でのひとコマだが、私は鳥取から、加藤杜氏は埼玉県から「ただ酒を飲むために」参加。とんだ馬鹿者である。(私のことですよ)

彼と知り合ったのは、彼がまだ素人の頃で1994年ぐらいだったと記憶している。
場所は、福岡県の蔵元「三井の寿」(井上合名)の麹室だった。彼は鬼の形相で顔面には充分すぎるほどの髭を蓄え、手下の安田君(鈴鹿の酒屋さん)に指図していた。確か安田君ともその時が初対面だったので、二人に挨拶をすると「加藤です。こっちは奴隷の安田君です」と紹介してくれた。(まさか後に、安田君がお得意様になるとは考えていなかったのでしょう、この時の加藤さん)
素人の彼がなぜ、蔵元の麹室にいたのか?
彼は元々、お酒とは全く関係のない仕事、鉄製建材の形成の仕事をしていたそうだ。
炎を相手に、体感温度60度にもなるところで仕事をしていたと言う。一日の仕事でなんと、8s!も体重が減っていたそうである。そんな彼だから麹室は涼しかったんでしょうね。・・・、話がそれたが、なんでも神亀なる酒を飲んでそして運の悪いことに「箕浦淳一氏」と知り合いになったことから、酒造りにのめりこみ、ほとんど独学で造りを習得したらしい。そして井上合名へ。あれ??ひょっとしてあの時はもうすでに蔵人だったかな????
当時は、同じ福岡の山口酒造に素人のツーリング男(辻村氏)が衝撃的なデビューを飾っていた頃で、彼の存在は極一部の人間にしか注目されていなかった。ただ、幸か不幸かその極一部の人間に私の師匠である「上原先生」も含まれていた。しばらくして、彼は埼玉県の現在の蔵に入った。

 それから、数年間、私は彼と直接話をすることが無かった。いつも間に箕浦淳一氏がはいっていた。そして「良いできの酒かもしれないけどまだ私の店に置くわけにはいかない」という言葉がどういう風に伝わったのか知らないが「素人の酒屋に、言われたかないよ」という意味合いの言葉だけが「箕浦淳一氏」の言葉で伝わってきていた。
H8BYの生もと純米がそろそろ飲めるようになったという情報が伝わってきた頃から、本当に話ができるようになったかもしれない。それでも、初めて蔵を訪れたときも加藤杜氏は忙しかったからだが、全くといっていいほど言葉を発しなかった。

 彼は、生まれつきの丈夫な体と、前の仕事で鍛え上げた精神力で、ほとんど一年中仕事をしているらしい。妻子もあるのにめったに実家にも帰らない。(もっとも、前の仕事から転職する時、親から勘当されたらしいが)持病の痔病や腰痛もなんのその。油汗流してもやりかけた仕事は片付けてしまう。電車で長距離移動の時、痛くてしょうがなかったがうつ伏せに近い格好で何時間も移動したなんて話も聞く。

 今年うちの店に来てからは、いろいろ話をするようになりましたね。昨日、一昨日と連ちゃんで飲んでましたよ。今後の酒について熱く語ったのである。
 その中での話、純米酒しか飲まなくなったら、肝臓が健康になった、医者から誉められたと言っていた。私も日本酒だけ(当然純米だが)にすれば、健康になるかな?・・・、もともとの体力が違いすぎるよな・・・。
 蔵元、または杜氏が美食家でなければその蔵の将来は明るくないだろうな。これからの酒は今まで以上に、食中酒としての存在を増していかなければ、ワインにとって代わられてしまう。・・・・こんな感想を持った二晩でした。

 「ほおずき」もそうだが、これから神亀に負けないくらい、バラエティーに富んだ商品群を造って行く事だろう。

 今朝、彼から電話があった。「倉吉駅前のマツダレンタカーは知り合いですか?実は、オイルが漏れて大変なんだけど、知り合いじゃないなら、ゴネてみるけど」、その顔つきだけで充分な迫力ですよ、杜氏さん!

■加藤杜氏は、現在奈良県の久保本家酒造にて、杜氏職についていらっしゃいます。平成15酒造年度より。
 平成18酒造年度も、「生もと三昧」な杜氏です。






































 営業の小森谷。酔っ払うと全然仕事をしない・・。

 いやぁ〜。そんな気はしてましたがまさか、本当になるとはね・・・。小森谷、平成19年(H18BY)加藤杜氏と入籍しました。

旭菊
旭菊酒造株式会社
福岡県久留米市三潴町壱町原403    0942-64-2003

「未確認生命体・・・原田社長」

 変わり者の多いこの業界で、また異彩を放つこの人(本当に人なのか?)は実態がつかめない。この度直接遭遇することができたので、報告することにする。

 『ご無沙汰しています。あの〜、あれ(傍らに置いてあるこの会社の社名の入った段ボールを指差して)振り仮名がうってありますけど、いつも社長はアサヒギクっておっしゃいますよね。濁点が入るのが正しいんですか、それとも?

(゚o゚)ふふ、あれはアサヒキクって書いて、アサヒギクって読むんです。普通のお酒には濁点がつかないんですよ。にごり酒の時にはアサヒギクって書いてありますよ。

 『?何を言ってるのやら(心の叫び)』
 はじめから、肩透かしを食らったようである。
この日は、杜の蔵の森永一弘さんと一緒にお蔵にお邪魔したのだが、事務の方にちょこっと頭を下げただけで、ずかずかと蔵の中へ。いいのかな?こんなにいつも勝手に蔵の奥まで入っていって…。検査室に向かう途中には出麹が無防備にさらしてある。ちょっと拝借しようと思えば、麹だって、モロミだって簡単に手に入りそう…。


 『どうですか、今年の造りは?現状は?』


(゚o゚)
どうなんでしょうね?もう出来上がっているから。

 『え゛、いくらなんでもまだでしょう。』

(゚o゚)
ええ、まだできてませんよ。実際には。

 『?』


(゚o゚)
仕込み計画の段階で、できあがっているんです。頭の中では…。

 
頭の中『??

(゚o゚)
造りが始まるまでは、頭使いますけど、仕込みの途中ではあまり考えないんです。

 
では、計画どおりに、運んでいますか?』

(゚o゚)
運んでいるような、運んでいないような…、考えないんですよ、だから。

 『?どうなんだ、本当は(心の叫び)

 杜の蔵の杜氏さんから、頂いた自家製の「いちご」を一緒に食べようと持参していたのを思い出した。

 「原田さん、これ、一緒に食べましょうよ、末永杜氏から頂いたんですよ。

 
今年は少し溶け気味っていうことですけど、なにか対策は?昨年の綾花のように今年も素晴らしいモロミになっているんでしょうかね?

(゚o゚)
どうなんでしょう。そう!モロミにはイチゴですよ。それがいい、それが一番いい。

 机の中から、なにやら記念写真を取り出す、原田社長

(゚o゚)これ、平成四年に福岡の蔵元と杜氏が鷹勇の見学に行った時の写真。みんな若いでしょう。

 『
社長、これ、写ってませんけど、社長が…

(゚o゚)あぁ、みんな冷たいんですよ。一緒に行ったんですけど、朝撮影の場所に行ったら「もう、済んだよって」言われちゃいました。何していたのかな、私は??

 『何してたかなんて、私知りませんよ、聞かれても。あぁ、その時、鷹勇でお会いしましたよね!

(゚o゚)
・・・・う〜〜ん、いたの?

 三人で仕込蔵へ。モロミを見せていただくことになった。

 『見て(きき酒して)わかるモロミはありますか。』

(゚o゚)
まだ、泡が落ちているのは一本しかないんだよね。

 
じゃあ、それを。・・・・・うん、良いと思いますけど、社長はどのように?

(゚o゚)
私は、味をみないんです。わかりませんよ。(状膨を)見て造るのが好きなんで

 
?じゃあ、なんで、ここに連れてきたのさ(心の叫び)』

(゚o゚)
まだ見ます?泡落ちてませんけど・・・

 
『いや、もういいですよ。(笑うしかない)

 再び検査室へ戻る。社長は一人で、部屋を出て行き、帰ってきたときには、手にきき猪口を持っている。そして、自分だけ酒をききはじめたのであった。
傍で見ている私の視線に気づき、見てみる?と目で合図。

 『純米ですね。きれいな酒ですが、まだ熟成途中って感じかな。』

(゚o゚)
アル添じゃないですよね?

 
『アル添ですか?これが!(驚き!)』
(゚o゚)
いや、純米ですよ。

 
『なんですか。何と言う銘柄ですか。この【純米】は?』

(゚o゚)
・・・・・ふん、純米ですよ。

 『だからぁ〜〜〜〜!! 銘柄わかんないと、商売にならないじゃないの。(心の叫び)

 結局、最後までわからず仕舞だった。多分何か、熟成させているお酒で、その具合を確かめたかったのでしょう、きっと。常識的に考えれば・・・・いやぁ、その常識が当てはまるだろうか・・・

 三人で夕ご飯に出かけることに。「鰻」に決定。お二人とも、私が飲めないことに気を使ってくださり、300mlの瓶に一本ずつ純米酒を持って来て下さいました。森永さんは、槽汲みを・・・。

 「では、原田さんのお酒も見せて下さい。

 
『おお!これは良い!流石ですね、鰻にピッタリのお酒をチョイスしてくるなんて。』で、これはなんと言うお酒ですか?』

(゚o゚)
それ?純米酒。旭菊。

 『わかってますよ。旭菊の純米は。どの銘柄なんですか。私の店は仕入れていますか?こんな良いお酒 仕入れていなかったら損ですもの。』

(゚o゚)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 結局、このお酒も正体が明かされないままであった。今度仕入れるときには「鰻純米」って指定しようかな。

おまけの会話

 「原田さんのお子さんはお幾つになられましたか?」

(゚o゚)
高校二年生の男の子と小学五年生の女の子。

 
へぇ!もう高校生ですか!』

(゚o゚)
あ、間違えた。中学二年生だった。この前なんか、小学生って言っちゃったよ。最近の子は、話しないからわかんないですよ。
 
『そういう、問題じゃなかろう。』

 「原田さん、昭和31年生まれですか。で何月生まれですか?」


(゚o゚)
秋!

 ただ、ただ爆笑の一日であった。この人(?)の頭の中は一体どうなっているのでしょう?壮大な宇宙空間が広がっているように思います。彼が、他の蔵元さんから「宇宙人」と呼ばれているのは、私と同じ、遭遇をしたからでしょう。
 これだけは、言っておきましょう!
 田中元信杜氏が亡くなってから、原田社長はみごとにその酒の世界をつかんでいます。その証拠が毎年驚かされる酒質の向上です。

 彼は、宇宙から来た「名人」です。