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                新米日本語教師の日記(2009年11月2日〜)hh2009年

《どうして日本語教師になったのか》
  2008年3月(昨年)思い切って中国へ語学留学してみました。留学先は蘇州大学の蘇州海外学院で、3月〜7月の4ヶ月留学しました。 中国語を趣味とし始めてから一度語学留学をしてみたいと思っていたのを実現させたわけです。
 まじめに取り組みましたが、すごくしんどかった思いです。自分に余裕がなかった。半年後に感じたこと「これは時間が かかるな!」と感じました。で、それでこう考えました。面白くするには?テイクだけでなくギブもしなけれ ば、そうだ!「give and take」だと。しかし、俺に「ギブ」はあるのか? 「よし、日本語を教える技術を身につけて、再度チャレンジしよう!」そして、中国にどっぷり浸かって中国語をものにしてやろう!

 独学も考えられるのですが、やはりきちんとしたところで学んだ方がよい。と思い 昨年の10月から北九州のヒューマンアカデミーの日本語教師養成講座の一年コ ースに通いはじめました。山口県にはそのような学校がありませんでした。一年間 平均的に週三回宇部から小倉マデ通いました。学費とあわせると年間約100万円 ぐらい使ったでしょう。まあ、自分への投資と考えました。
 通い始めて「言語学、言葉学」の面白さを感じました。学校に通いながら、その関連の本をいろいろ 読みました。また、日々の講座、学友との交流、教育実習など楽しかったです。 終了の時私の中国行きは決まっていましたので、学友全員が励ましの言葉をくれ ました「60のこの歳になって、こんな気持ちになれるとは!」俺は幸せものだな!とつ くずく感じました。またこの時の期待と不安は言い表せません。

 この分野の就職については、今のところ追い風が吹いているように思います。私は 講座スタート当初から「終了したら、中国で!」と宣言していました。たまさか同じクラス に中国人の女性の方が1名いました。彼女のご主人は某大学の教授でして、学校で留学担当もされてる方でした。
 ご存知のように、最近の日本の大学は外国人、特に中国人を受け入れて学生数を確 保している状況があります。某大学も中国の色々な学校と提携していますが、 そのうちの一つが私が赴任した興洪中学なのです。その教授は中国の学校から日本人教 師を世話して欲しいと頼まれるのです。・・・・そんな訳で興洪中学を紹介され た次第です。私もいろいろ考えましたが、「これも何かの縁」だと考え受けることにしました。
 そして、バスを降りてスーホンの地に足を下ろした時、顔面に高潮感をおぼえました。
  《本音》
  「俺の人生、もっと面白くしたい!」

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  中学1年1組のめんめん