マルコ・パンターニ(1970 - 2004)は、イタリアのプロ・ロードレーサーであり、プロ通算36勝をあげたイタリア自転車界のヒーローである。日本では自転車レースといえばメジャーな競技とまではいかないが、ヨーロッパにおける自転車はサッカーと肩を並べるくらいの人気を誇り、レースの賞金も高額で、強い選手は有名人である。

絶頂期にメディカルチェックに引っかかる

1998年、この年はマルコ・パンターニの自転車人生の中でも絶頂の年だった。ビッグ・レースであるジロ・デ・イタリアで個人総合優勝を飾り、そして同じ年のツール・ド・フランスも個人総合優勝し、史上7人目となるダブルツールを達成した。

年が明けて翌年の99年もパンターニは好調で、この年ジロ・デ・イタリアですでに4勝をあげ、総合で2連覇の達成も確実視されていた。

しかしジロ・デ・イタリアの大会最終日の前日、パンターニは抜きうちで行われたメディカルチェックに引っかかってしまった。

ヘマトクリット値が、規定の数字を超えていた。 ヘマトクリット値とは、一定の血液容積の中で、赤血球がどれだけの割合を占めているかを示す数値で、赤血球の数が多いほど、筋細胞の中により多くの酸素を取りこめることになる。成人男性で40 - 50%が正常の値である。
国際自転車競技連合の定めた50%という数字に対し、パンターニのそれは52%を示し、レースに出場停止となってしまったのだ。

ヘマトクリット値は、EPO(エリスロポエチン)という、持久力を高める造血ホルモンを使用すると上昇するが、疲れていても赤血球が増加してヘマトクリット値が上昇する人もいるため、高い数値が出てもそれが必ずしも薬物によるものとは限らないのだが、パンターニには出場停止処分という厳しい決定が下されてしまった。

この当時、自転車界では薬物の使用が深刻化しており、使用している選手もかなりの数に昇っていたという。特に多く使用されていたのがこのEPO(エリスロポエチン)である。

復帰するも結果は振るわず

この時のショックが尾を引いたのか、その後パンターニは、2000年のジロ・デ・イタリアでレースには復帰したものの28位、ツール・ド・フランスは途中で棄権、シドニーオリンピックでは69位と全くの不振で、更に追い討ちをかけるように 2001年には再びドーピング疑惑をかけられてしまった。

このたびの疑惑では、自転車協会から2003年3月までのレース出場停止処分を受けた。 処分が解けた後、ジロ・デ・イタリアに出場して総合14位となり、復帰の兆しをみせたが、 この年、パンターニは突如として失踪する。

イタリアでは有名人のパンターニであるから完全に蒸発というわけではなく、夜中に道で泣いているのを見たとか、精神科の病院に通っているらしいなどという情報が時々紙面に掲載されていた。

パンターニ、遺体で発見される

表舞台から姿を消して数ヶ月後の翌年2004年2月9日、パンターニはイタリア北東部の町の「Le Rose」というホテルに現れた。

そして彼は、チェックインしてからこのまま5日間も部屋にとじこもりっぱなしとなった。従業員も部屋の掃除が出来ないし、まさか中で死亡しているのではとホテル側も不安になり、 2月14日、強引に部屋のドアを開けてみると、そこには遺体となったパンターニが床に横たわっていた。

当初は原因不明の自殺とされたが調査の結果、パンターニは脳と肺に水腫が出来ており、コカイン中毒によるオーバードーズが死因であった。

※オーバードーズ:薬物過剰摂取。生体が体内の環境を一定に保とうとする能力を超えた薬物を、大量に集中的に摂取すること。

ホテルの便箋にはいくつかの遺書ともとれるメモが残されていた。

「全ての人が自転車競技の実態を知りながら、私だけを悪者にしようとした。」
「四年間、法廷に通う日々だった。」
「自分の私生活と実績が傷つけられた時、過ちを犯したという意識が強くわいてきた。」

と、悩み傷ついた心が短い文章の中に込められていた。

彼の葬儀には有名選手他、ファン数千人が参列して盛大に行われた。また、死してなお、自転車ファンに大変な人気のあるパンターニは、その銅像やイラストなどが自転車レースで使われる道路に設置されたり、「メモリアル・パンターニ」と称する彼の名前を使ったレースも開催されることとなった。

パンターニのドーピング疑惑について

前述のヘマトクリット値(赤血球の濃度)52%で失格となったパンターニであったが、 当時のイタリアロードレースではヘマトクリット値の規定はなかった上に、EPO(エリスロポエチン = 造血ホルモン)も使用禁止ではなかった。

そのため、パンターニがEPOを使っていたとしてもルール違反ではなかったのだが、赤血球の濃度が高い状態で激しい運動をすると、体内の水分が減少し、血管が詰まりやすくなるため、 パンターニの安全を考えた上での出場停止だった。

また、疲れている状態でもヘマトクリット値は高くなる人もおり、その場合、多少時間が経ってもそれほど数値に変動はないのだが、 パンターニの場合、再検査で最初の52%から47.6%と、急激に落ちたために薬物を使っているまではないかと疑惑を持たれたのである。

パンターニが薬物を使っていたのは、証言や残されたメモなどから確実であるが、きっかけとなった事件は、大会で「禁止されていない薬物」だったので正確にはルール違反ではない。実際、裁判になったが無罪となっている。

ただ、マスコミたちが「パンターニがドーピングをしてレース失格になった」と騒いだため、人々からもそういう目で見られ、好奇の的にされ、だんだんと精神が崩壊していったのである。

一度は自転車の世界で頂点まで昇りつめたパンターニであったが、その後はたび重なるドーピング報道で栄光の花道から一気に転落、精神的に追い詰められて最後はコカイン中毒となり、この世を去ってしまった。


ドーピング検査は、それによって選手生命を絶たれたり、人生そのものが変わってくる場合もあり、パンターニのようにそれが原因で自殺同然でこの世を去る場合もある。それゆえに検査は厳密に正確に行われ、また、ライバル国が妨害工作が出来ないように厳重に管理される。

例えば、検査機関に送る際中に係員が尿や血液などの検体の封印を開けてしまった時点でその検体は無効とされ、再び採取し直される。もちろん、封印が解かれた時点での何者かによる薬物混入の可能性を考慮しているためであり、検査には選手の保護が第一に考えられている。


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