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                新米日本語教師の日記(2009年11月2日〜)hh2009年

  《11月8日(日)》
  霧の深い朝でした。好奇心にかられ散歩に出てみました。 平地でこんなに深い霧は初めてです。約10m先が見えない。
  午後は「烈士陵園」に行ってみた。抗日戦士を弔う記念公園である。 ここ四洪はバスで徐州へは2.5時間、南京へは3.5時間。徐州は「徐州、 徐州と軍馬は進む」という言葉で日本人は良く知っている。日中戦争時、日本軍がこの地域 において戦闘を交えたのも想像に難くない。
 夜、吾亦紅(われもこう)を聴く。母を想い涙が出てきた。いけないいけないこの歌は聴くのはよそう。

  《11月15日(日)》
  携帯電話を買う。嬉しくて中国にいる友達の朱さん、張さん、趙さん、澤村さん、柏尾さんに電話した。 日本語の先生の黄さん、張さんについてきてもらい、とにかく話ができれば良いと言うことで300元 のものを買いました。300元は全て使用料ということで、機械自体はただなのだそうである。
  先日よりねずみのフンを確認する。片づけてもまた落ちている。なんとかしよう。インターネットが使えなくなって既に一週間、なんだか日本から見放されてしまった思いである。

  《11月16日(月)》
  朝起きると、白いものが木々に付いていました。こんなに早く雪が降るのは、ここでも珍しいそうです。 一日中小雪がパラ付く寒々しい日であった。

  《11月17日(火)》
  今日4日ぶりに風呂屋(大浴場)へ行く。行き帰りはサンルンチャーでした。 数日前、三輪車が市内から追放されたようで、賑やかな市街にはいなくなりました。 郊外にある学校の正門前には何台かいます。後ろから見ると少し太めのポスト がよたよた走っているようです。これからは乗っててもめちゃくちゃ寒い乗り物 になる。かっては人々の足として一斉をふうびしたであろうこの乗り物も時代の流れに 押し流されてしまうのであろう。
  二台目の暖房器具を買う。
  四洪はワイ河北の抗日戦線の中心であった。
  
  

  サンルンチャー