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                新米日本語教師の日記(2009年11月2日〜)hh2010年

  《3月20日(土)》
  校庭のレンギョが黄色い花をさかせ、柳が緑の衣をつけてきました。今日は黄砂の多い日であった。今週を振り返ってみよう、1年生は「て形の導入」をした。文字カード用意したので 割とスムーズにいった。適度な文字カードは有効だ、何しろ質の悪い黒板に へたな字を書きたくない。日本から持って来たテープ磁石は重宝している。
  2年は「幸せなら手をたたこう」の歌で授業を行なった。歌った後、接続詞「なら」 の説明をし、「たたこう」の意向形の活用説明をおこなう。その後替え歌作りをおこなった。 替え歌については前の週、宿題(幸せなら何をするか)としてあったが、なかなか出てこなかった。 平均的に各クラス六つぐらいの替え歌を作ったかな、従って6組×7回=42の42回歌ったことになる。
  今週は韓国人(38歳ぐらいの男性)が職業学校の韓国語の先生として赴任されました。火曜日彼を囲んで 食事会がありました。もう10年中国に住んでいるとかで、私より中国語が上手であった。
  昨日は神奈川の某日本語学校の校長先生が来校、夜、彼女を囲んでの食事会が あった。彼女の学校には興洪中学の校長の息子さんが留学中とのこと。
  また今日、職業学校の学生と食事会をおこなう。今週で終了の予定だったので、お別れ会 のつもりでおこなったのだが、4月10日まで約3週間伸びたようで、少し予定が狂ってしまった。 今後3週間のカリキュラムを考えなくては!
  来週は、1年は「て形」の活用練習と着脱動詞。子供たちの前でネクタイを締めて見せようと思っている。 2年は歌の聴き取り、曲名は「少しは私に愛をください」。3年は「バラが咲いた」の聴き取り。 さてどうなることか。

  《3月21日(日)》
  安徽省宿州市泗県に行ってみた。バスで一時間、泗洪は江蘇省の西に位置し隣の安徽省はすごく近い。 行きの切符を買うときのこと、泗県(ス・シエン)と言ったが、確認すると宿遷(ス・チエン)行きの切符をくれていた。再度、泗県(ス・シエン)と言い 切符をもらった。今度は宿県(ス・シエン)の切符くれた、再度交換を要求する。今度は 紙に行き先を書いて渡す。販売員はとてもとてもご立腹であった。(ごめんなさい!)
  泗(si)と宿(su)の発音が良くないようである。日本人には難しい、 泗(si:四声)、宿(su:四声)、蘇(su:一声)であるが張さんに確認しよう。
  泗県は泗洪よりも少し田舎であった。泗県の地図を求めるが見当たらず。 繁華街を少しうろうろしてそこそこにひきあげる。しかし、地方都市のごみの始末は お粗末、河はごみが捨て放題で見苦しい限りである。ここは靴の産業が盛んとか。   

  20日は黄砂の多い日であった。昼間の太陽です。


  新しい町並みと古い家並み、泗県にて