トップ    前項    次項
                新米日本語教師の日記(2009年11月2日〜)hh2010年

  《4月30日(金)》
  朝7時にホテルを出る。サンルンチャーのおっさん(と言っても俺より若そうであるが)が待っててくれた。昨日、40元でチャーターを約束しておいた。 開封は他の城市と同じように方形の城壁(一部分しか残っていないが)に囲まれている。そしてほとんどの見所が城壁内ににあり、サンルンチャーでの観光はうってつけである。 行ったところは、開封府、城壁、山陜甘会館、宋都御街、龍亭公園、清明上河園(外からのみ)、鉄塔、大相国寺などである。よかったと思った所は開封府、山陜甘会館、鉄塔かな。
  包公湖を目の前にたたずむ開封府、宋は東京開封府として、ここを首都とした。かっての長安(西安)に負けないぐらい繁栄を極めたらしい。 宋文化の中心である。宋の後の金・元王朝は首都を北京においている。
  山陜甘会館は約200年前清の時代山西省、陜西省と甘粛省の同郷の商人たちが立てたもので、かなり豪華なものであった。
  鉄塔は約1000年前に建立された舎利塔であるが、お寺は既になく、この塔だけが残っている。塔高55.63m、きれいな公園になっており、この日は幼稚園の 子供が先生とともに訪れていた。大相国寺は空海も訪れている仏教の名刹である。お寺の周辺は門前町として今も賑わっていた。
  夜市がすごかった。5時を過ぎると、昼間の出店が後片付けを始める、そこへ夜の出店が車をひいて来て店の準備を始める。まことに手際よい。 夜市の通りをバス通りが貫き、そのあたりはなんともいえない狂騒である。いろいろな出店があり、こんな様相を見て歩くのもまた面白い。

  《5月1日(土)》
  10時に徐州行きのバスは出発した。列車のキップを買ったのだが、また無座であった。そこでバスの切符を買い列車のキップ は払い戻しした。バスだと徐州までどのくらいかかるのであろう。おそくても16時までには着いて欲しい。いずれにしても4時間以上はかかるであろう。
  バスは開封を出るとすぐ高速へ入るかと思ったが、商丘まで一般道であった。しかし中国の道は広い、飛ばす飛ばす!途中で人を乗せ下ろし。荷物を積み下ろし。 とうとう豚の皮が入った大きな布袋3つは私のそばの通路まで占領してしまった。いつになったら徐州へ着くのかと思った。結局、商丘から高速へ入り、徐州へ着いたのは16時5分前であった。 約6時間トイレ休憩もなく。途中で積み下ろしする人や荷物の運賃は彼らのアルバイトになるのだろうか。
  徐州南駅17時発のバスに乗り19時に泗洪へ到着「やれやれ!」

  開封府、山陜甘会館、鉄塔

  夜市のスペース、昼と夜