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                新米日本語教師の日記(2009年11月2日〜)hh2010年

  《6月28日(月)》
  さあ今週一週間で終わりだ。職業学校の午前中一こまだけだが、しまっていこう。 ・・・職業学校へ行くと校舎の入り口に鍵がかかっている。聞くと30日までお休みのこと! ・・・・またふられた!さーて、どうしよう?
  17:20中学生の期末試験が終わった。学生は布団、洗面道具など身の回りのものを 抱えて学校から我が家へ。校門の前は車、三輪車、人々でごったがいしている。校庭で 彼らを見送る。教室で見つめたあの顔、この顔が晴れやかな笑顔で去っていく。8月下旬また 戻ってくるのであろう。また人が減ってしまった。やはり6月はさみしい月である。 今残っているのは高校1・2年のみ、彼らの期末試験は来週の月曜日(7月5日)からである。
  昨日帰国のキップと旅行の予約をした。7月18日帰国、8月28日中国へ、しめて 3880元を支払う。旅行は7月5日(月)〜11日(日)の6泊7日湖南省の「張家界」に 行くことにした。旅行社に申し込み1700元を支払う。集合場所は徐洲駅18時である。
  夕食に汗たらたらでコロッケを作った。ほとんど明かりの消えた校舎の中、期末試験の採点をしている 黄さんにコロッケを差し入れに行く。「どや!うまいやろ!」

  《7月1日(木)》
  昨日、中学3年9組の生徒の家へおじゃました。泗洪からバスで約30分、界集(ジエジ)へ そこから迎えに来てくれた車に乗って10分ぐらい走っただろうか農村の集落へ。 中国の農村の家へ入るのは初めてである。家の前は麦畑である。門をくぐると小さな中庭が あり、若鶏が群れている。右手に厨房の部屋がありその隣は納屋であろうか収穫された小麦が 大きな大きな藁ますにぎっしり入っていた。
  近所の人もはいって11人で円卓を囲む。料理が 幾つ出てきたであろうか。それにしてもハエの多いのには閉口した。見ていると私のコップの中で 水浴びをする始末。新しい料理が出てくるとまず群がってくるのがハエ達のようである。ハエがつついて 人間がつつく。お酒はビールと白酒が出てきたが、ビールは生温かくてうまくないので白酒を飲んだ、 飲みすぎてしまった。・・・・途中から記憶がプッツン!気がついたら寝かされていた。上に着ていた ポロシャツが別のものに変わっていた。・・・・頭がもうろうとしている。それでも起きてお茶とおかゆを いただく。泊まっていけといわれたが明日は授業があるといって失礼をする。界集まで三輪車で、そこから 学校まではタクシーでした。とんだ失態をしでかしたものだ。でも良い経験をしたと思っている。感謝・感謝!
  昨夜半から今日の昼12時過ぎまで停電。電気が止まり部屋は蒸し暑く寝苦しい夜であった。また 水も出ないのでご飯が炊けない。牛乳だけを飲んで授業へ。昨日私が酔っ払って昏睡している時に 大きい雷雨が通り過ぎたようで、窓を開けていた部屋に雨がだいぶ振り込んできたようである。
  昼食は街に出てケンタッキーフライドチキンでハンバーガーとフライドポテトをいただく。

  《7月2日(金)》
  とても蒸し暑い。部屋では上半身裸である。冷麦が食べたい、冷やしソーメンが食べたい。 午前中1ショットだけだと時間をもてあます。



  学校の前の混雑

  布団、洗面道具など身の回りのものを抱えて

  歓迎していただきました