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                新米日本語教師の日記(2009年11月2日〜)hh2010年

  《11月30日(火)》
  午後から「演唱比賽」がグランドで行なわれた。参加したのは中学・高校の一年生で、 各クラス対抗の歌合戦が行なわれた。これは12月9日の愛国記念日にちなんだ催し であった。さっそくネットで調べてみた。12月9日は、正式には「北京学生救国記念日」、 1935年12月9日北京の学生が内戦の停止や抗日運動の弾圧反対を掲げてデモを行なった。 その記念日だそうである。このデモは各地の主要都市へ拡大していった。この時に学生たち が唱和した「義勇軍行進曲」が中国人民共和国の国歌となったそうである。
        『起来!不願做奴隷人們!把我們的血肉、・・・・・』
  クラスごとに壇上に勢ぞろいし2曲づつ歌っていた。私にはどの歌も同じように聞こえ、あまり上手 とは感じなかった。4時半には終了し午後4時間目の私の授業(一年2組)はありました。(午後1時間目の一年4組の授業はとんだ)

  今日は一つ頭に来た。昼前に停電になった。また停電か!夕方までにはと思っていた。しかし、午後4時・5時・6時 になっても停電のままである。1階は電気がついており、2・3・4階が停電なのである。「おかしい!」 たまらず先輩の宮田先生と何とかしてもらおう!と一階に住んでいる人が働いている食堂へ出向いた。
・・・・昼前工事にやってきた人がブレーカーを落としたのだが、そのままにして帰っていってしまったようである。だいたい 中国では業者は自分のやるべきことをやったらそれで終わり!後始末とかそのためにしたこととか等 ほりっぱなしが多い。外国人の我々にはそんな文化が理解できない。黙っておけば停電のまま一夜を 過ごすところであった。当然のことながらブレーカーを落とす時も断り無しである。おかげで遅い晩飯となった。

  《12月2日(木)》
  午後4時間目1年1組の授業で「先日の演唱比賽はどうでしたか?」と聞いてみた。「第一位!」と帰ってきた。壁に表彰状が 貼ってありました。「聞きたい」と言うと歌ってくれました。60数名の生徒が活き活きと大きな声を張り上げて、それはそれは迫力がありました。 ・・・「ありがとう!」

  《12月5日(日)》
  今日昼、孔先生結婚披露の食事会がありました。12時過ぎに会場へ行くと既に約100名 の方がテーブルに座っておられた。料理が運ばれてくると自動的に開始である。日本のように司会なぞいないので 始まりも終わりも良くわからない。食べ始めたら開始で、食べ終わったら終了である。その間一度だけ新郎新婦が各テーブルを 挨拶をして回っていました。そんな訳で日本のような多少緊張した厳かな感じは全くありません。 ザワザワと始まってザワザワと終わるのです。
  二人がテーブルへ来た時私は「乾杯」の歌を歌って盛り上げてあげました。


  演唱比賽

  テーブルに広がった料理、黒っぽい右のものはスッポン、左のものは鳥まるごとです。