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                新米日本語教師の日記(2009年11月2日〜)hh2011年

  《2月20日(日)》
  18日朝6時前「行ってくるよ、7月まで元気でいてね。歯医者に行って入れ歯をつくり直しなさいよ!」と寝ている母に声をかけた。 満94歳になる母は横になったままで笑顔を作ってくれた。・・・それを振り切るように我が家をあとに、「あー、俺は親不孝ものか!」
  この1か月の間、朝昼夜と毎日母の食事を作った。汚れ物も洗った。週一回は温泉に連れて行った。かかりつけの医者にも歯科・眼科にも連れて行った。 帰国した当初よりは少し元気になったようである。しかしながら、百に近い母の体は骨と皮のみのようで痛々しい。 先日も母のお尻を見て唖然とした。
  18日は蘇州に1泊し「酔話会」の皆さんと旧交を温める。19日午後2時ごろ面映い気持ちで校門をくぐる。子供たちの喧騒が聞こえてきた。「ああ、戻ってきたのだ!」
  今思っている。この半年で一応一区切りにしよう。当初の契約も果たすことになるし。毎度のことであるが出かける時は後ろ髪を引かれる想いと前髪を引かれる想いが 交錯する。今回はとりわけ後ろ髪を引く力が強かった。この半年、俺のこの学校での日本語教師のまとめをしよう。悔いのないように。
  帰国中に授業のネタ作りを少しした。ちびまる子の4コマ漫画の5〜9巻をスキャンしてパソコンに取り込んだし、歌の歌詞カードも いくつか作成した。今期の授業はちびまる子の4コマ漫画をネタに授業を組み立てようと思っている。明日からデビューである。やはり少し緊張する。

  《2月27日(日)》
  新しい英語の先生の歓迎を兼ねた食事会が月曜日にあった。今回は女性2名でイングランドとアイルランドからとのこと。確かキムとポリーと言ってたと思う。 住まいは私と同じ「外教公寓」で1階の韓国人(男性)と同じ部屋(個々の部屋は違うのだが、台所、トイレ等は共同)と言うことであった。「エー!いいのかなあ?」と思っていたが、急遽空いている 2階の部屋に変更になったようで、翌日から部屋の掃除や備品の整備などが開始された。前回のMさんの時もそうであったが、受け入れ態勢がいつもいつも 後手後手になっているような感じがする。月曜日一旦彼女達のトランクが持ち込まれたが火曜日午前彼女たちが引き上げてゆく姿をみたきり それ以降は彼女たちをまだ見かけてていない。
  右のような教材を作って中3の授業で使ってみた。「と、ば、たら、なら」についての問題である。問題をやったあとは、50数人を ちびまる子とお母さんの二組に分けて会話をさせたりするのだが・・・・しばらくは試行錯誤である。
  今日の午後高校1年生の男子生徒2名が遊びに来た。金曜日急に電話がかかってきて私の部屋で餃子を作ると言うので、 「餃子は要らない、お茶を飲みながらお話ししましょう」と言うことにした。しかし彼らは手土産にお菓子をどっさり持ってきた。 私にとってこのお菓子も困るのである。「これは中国の週間です」と彼らは言うが、まず量が多すぎるこちらは一人で食べきれない。また 甘い菓子類はあまり食べないし口に合わない。昨年中秋節に学校から貰った月餅も結局手付かずになってしまったし。今後これは何とかしなければ、来る前に「持ってくるなら来るな!」と言おうか!

  この教材でスタートした