トップ    前項    次項
                新米日本語教師の日記(2009年11月2日〜)hh2011年

  《3月27日(日)》
  一昨日メールで「訃報」が入ってきた。タイトルを見た時一瞬「ドキッ」とした。・・・内容は親戚のおばさんの訃報であった。
  今日の昼食は横須賀の日本語学校へ留学した学生と食事をともにした。昨年4月に行ったので丁度1年になる。今回の地震は横須賀でもかなり 揺れたようである。もちろん彼女たちは地震の体験は始めてである。びっくりしたが、先生はとても冷静だったそうである。4月3日にまた日本へ戻るとのこと。日本へ行って驚いたことをきいた。 まずは、タクシーの運転手が一様に年寄りだったこと。次に西瓜の値段の高かったこと。次は町全体が禁煙だったこと。そしてご飯が美味しかったこと であった。どれもうなづける。スーホンのタクシーの運転手に老人はいないし、100円もだせば西瓜ひと玉が買える。まだまだ中国は喫煙天国である。 ご飯の美味しさは言うまでもない。どれもうなづけることだが、一番に出てきたことがタクシーの運転手とは意外であった。

  《3月30日(水)》
  今週は中一の生徒には、歌を聞かせている。CDで歌を聞かせることは彼らには初めてである。ようは聴き取りの練習。歌は「こんにちは赤ちゃん」である。 この歌は親しみがあって歌いやすい。授業の終わりには大合唱となりもり上がる。こんな授業は楽しくて楽である。
  今日は午前11時ごろから停電になって夜の7時を過ぎても回復しなかった。当然明かりはつかないし水も出ない。何もすることができない。 できることといえば・・・・・寝ることだけである。結局9時過ぎに回復したが、その時は既に布団の中・・・・・深夜12時ごろ起きだしてごそごそする。

  《3月31日(木)》
  親しかった黄先生(男性)が学校を辞めた。杭州のほうの保険会社へ転職するそうである。おとといの夜の私の部屋での会話
「さきほど夜の自習時間に私のクラスの子供たちに別れを告げてきました。」
「子供たちは泣いただろう?」「ええ」
「学校へは言ったのか?」「まだです。明日言います」
「いつ向こうに行くの?」「明後日です」
「あなたの都合ばかりだね、とても気分の悪い辞めかただね!」
「でもしかたがありません。早く言うと今月の給料がもらえません。」
「日本では一ヶ月前に言うのが普通だが」「中国でもそういった決まりはありますが、(退職を)言って直ぐ辞めるのが普通です。前の会社を辞めるときも10分でした。」
「どうでもいいやつならそうかも知れないが、あなたをそうは思わない、とにかく早く学校に言いなさい、そして引継ぎの話し合いをしなさい。」
  なんとも気分のわるい夜であった。彼がいなくなるのはとても寂しいことだが、彼の新たな旅立ちは応援したい、少しの餞別を渡す。 彼が給料をもらえたかどうかは定かではない。
  この学校の給料日は一定ではない15日締めだが支払日が翌月になったりすることもあるようである。(私たち外人教師はいつも月末に貰う。)