トップ    前項    次項
                新米日本語教師の日記(2009年11月2日〜)hh2011年


  《4月28日(木)》
  長江中流域に「楚」の国が歴史上登場するのは紀元前800年ごろ、その後春秋・戦国時代をへて紀元前223年「秦」に滅ぼされるまで立国以来800年 続いた国家であった。紀元前500年ごろの春秋時代末期「越(こうせん)」と「呉(夫差)」が争っている。その頃かなり高度な文化を醸造 していたようである。「楚」は軍事面・哲学・文学・芸術など「秦」に先立ち発展させていた。その詳しくは「湖北省博物館」に。
  その後歴史上に華々しく登場するのが「辛亥革命」である。ここ武漢の「武昌」で革命ののろしが上がったのである。ご存知の孫文の指導の下。 この辛亥革命は1911年10月10日(旧暦辛亥年8月19日)孫中山(孫文)指導のもと武昌で起こされた。この革命が中国二千年に及ぶ封建時代に 終止符をうった。日本はそれより約40年前に明治維新を行い封建制から近代化に向かって突っ走っている。孫文も先行の日本で近代化を学び自国に持ち帰った。 しかし、日本と比べ大国ゆえに列強の帝国主義に蝕まれた。それを立て直すのにその後約40年かかったのである。そして改革開放政策はその30年後。
  私は今まで共産主義とは関係のない孫文がなにゆえにこれほどまでに中国で崇められているのかよくわからなかったが、この辛亥革命が 封建制度の社会に終止符を打ったことにおいて確かに大きな変革だと思う。日本で言えば孫文は西郷隆盛になるのだろうか?ちょっと違うなあ!それにしても中国の孫文の 高め方は日本の西郷隆盛の比ではない。
  ツアーで行ったところは「東湖生態旅遊風景区」「湖北省博物館」「黄鶴楼」「長春観(道教の寺)」であった。ツアーの終点は漢口駅、 全員が降りてしまって私一人になってしまった。ガイドに一番賑やかなところへと言うと。一緒にと言うことで駅前から38番のバスに乗りガイドの 指定したところで下車する。食事を済ませ。歩行街をうろつく。やはり湖北省の省都、今まで見た夜市の中では一番大きな規模であった。   

  《4月29日(金)》
  帰途の列車は16:54発。時間がある。今日は「ぶらり武漢だ」、漢口駅近くの「武漢博物館(市の)」行ってみたところ毎週金曜日 はお休みとのこと。ついていない!どうしよう・・・そうだ武昌駅に行ってみよう。調べると10路のバスに乗ればよい。1.5元、二階建てのバス であった。約1時間で到着。地図を見ると駅近くに「辛亥革命博物館」がある。ぶらぶらと目的地を目指す。・・・またまたついていないことに現在は建築中であった。 食事をすませまた10番のバスで戻ることに。・・・それが大変であった。乗る人が多く、また整列乗車でない。多くの人が入り口に殺到するのである。 一本待って乗ることにしたが人の多さは変わらない。人が一度に殺到し入り口から人が入らないのである。なぜかというと押し合いへし合いで、なかなか入らない、その上持った荷物がまた入らない 体はバスの入り口の中に入っているのだが荷物がついてこないのである。後続の人と人の間に挟まって・・・「よし!負けてなるものか!」とがんばり何とか入り込み座席を確保! それはそれはたいへんであった。
  しかしよく歩いたぜ!広い中国、やはり「ぶらり旅」は体力がいる。帰りは寝台車(青島行き)、徐州到着は明日の未明4:15。

  黄鶴楼より長江を遠望す!

  博物館と夜市

  もう一つの武漢の入り口武昌駅、武漢は長江、漢江をはさんで三つの地区(漢口、武昌、漢陽)からなる。