往年の格闘家たちが行った、独自の練習方法
◆ カール・ゴッチ
「筋肉は自然の動きで作れ。」というのを持論とし、バーベルなどを使ったウエイトトレーニングはほとんど行わなかった。
彼が50歳の時に受けた雑誌のインタビューによると、その年齢の時でもプッシュアップ(腕立て伏せ)やヒンズースクワットを、毎日八千回から九千回行っていたと答えている。
腕のトレーニングして、長さ1m ほどの、鉛の仕込んであるこん棒を振り回したり、腕立てをしながら腰を激しく左右に動かすトレーニングを行っていた。
◆ フリッツ・フォン・エリック
リンゴを握りつぶせる格闘家は結構いるということであるが、その大半は、ギューッと絞って除々に握りつぶしていくのに対して、エリックの場合は一瞬にして握りつぶせたということからしても、彼の握力がレスラーの中でも抜きんでていたことが分かる。
高校時代は、スポンジボールを握って握力を鍛えていたらしいが、そのうち物足りなくなって、ジャガイモやメロンを握りつぶすトレーニングをするようになった。
後にトップレスラーとなってからも握力の鍛錬は怠らず、二個のクルミをいつもポケットに入れて暇さえあればそのクルミをごりごりとこすり合わせていた。
◆ ブルーザー・ブロディ
日本に来た時によくホテルで行っていたトレーニングとして、トランプを使っていた。トランプをめくって、5が出たらプッシュアップ(腕立て)を5回。絵札が出たら10回行う。これをカードがなくなるまで続ける。
また、カードを二つに分け、一つの山はプッシュアップ、もう一つの山はスクワット、と変化をつけて行う場合もあった。
◆ ジャイアント馬場
力道山にしごかれた新人時代、ヒンズースクワットを毎日三千回やらされていた。時間にして2時間半から3時間。
スクワットが終わって休んでいると、「休むな!」と怒鳴られ、木刀でアタマをブチ殴られる。その凶器攻撃で額が割れ、血が出てきたので病院へ行って縫ってもらうと、帰った時に、「このくらいで病院なんか行くな!」と、また怒鳴られ、今縫ってきた傷口をゲタで殴られていたらしい。
◆ 木村政彦(きむらまさひこ)
昭和10年、柔道全日本選手権に19歳で優勝して以来、その後10年連続優勝し、俗称「鬼の木村」と呼ばれた木村政彦は、父親がジャリ船の船頭をしていた関係で幼少の頃からよくその仕事を手伝っていた。
川の激流の中に腰まで浸かり、川底のジャリを大きなザルですくっては、そのジャリを船に移す、という作業を毎日、しかも一日中繰り返していた。
東京に出て講道館に入門した後は、柔道の練習の後に腕立てを一日1000回。銭湯に行く時にはわざわざ坂の上にある銭湯に、鉄ゲタを履いてウサギ飛びで通ったという。
下宿の庭では木に帯を巻き付け、帯をつかんで一本背追いの打ち込みを500回。また、百匁(ひゃくめ)ロウソクをずらっと並べて、足払いの風圧で火を消す練習をやはり500回行っていた。
◆ 大山倍達
極真空手の創始者・大山倍達の、有名な清澄山の山ごもりの修行。空手そのものの練習以外の筋力を鍛える練習として、自作のバーベルなどを使ってウエイトトレーニングを行っていた。
また、山の中をウサギ飛びで登り、木に登っては枝から枝へと飛び移る。また、足を使わず手だけで切り立った断崖を登るという練習も行った。
逆立ち歩行は、最初は5本の指を全部を使って歩くことから始め、小指、くすり指と、だんだんと指を減らしていき、最終的には親指1本だけで逆立ちして歩けることを目標とした。この最終目標は、親指だけの腕立てが100回出来た時に挑戦して、見事に目標を達成している。
◆ 佐山サトル
初代タイガーマスクの時代の、独自のトレーニングとしては、片手だけの懸垂を数十回。また、上から垂らしてあるロープを片手でつかみ、身体を引っ張り上げては足にロープを挟んで固定し、再びロープの上の方を持っては身体を引っ張り上げ・・といった形で片手でロープを登る練習も行った。
また、逆立ちして300メートル歩けたり、片手の逆立ちで階段を登ることも出来たという。