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                新米日本語教師の日記(2009年11月2日〜)hh2010年

  《11月9日(火)》
  中国人の先生から「気持ち」と「気分」の使い分けについて聞かれる。とっさにはうまく説明 ができないので宿題にさせてもらった。辞典やインターネットで調べるが、なかなかうまい説明 が作れない。・・・誤用例を付け加えることにしよう。

  《11月11日(木)》
  11月の風に少し色あせ、排気ガスとほこりをかぶった街路樹は通りを色あせたモノトーンに 染めていた。それに道路工事と建設工事と取り壊された建物と瓦礫の山が加わった この少しほこりっぽい風景は中国のどこにでも見ることができるものだ。
  夜のとばりが降りてきた。人々は家路を急いでいる。行きかうバスも込み合っている。 食べ物屋の裸電球がまぶしく見えてきた。そんな中、俺はテンポも遅く逆に歩いている、 当てもなく山東省済寧の街を歩いている。
  今日は曲阜へ行ってみた。孔子の故郷である。済寧北駅からバスで50分。曲阜は観光の町、 観光は孔廟・孔府・孔林の三点セットになっていた。孔廟は孔子を祭ってあるところ、孔府は 孔子一家代々の住まい、孔林は孔家累代の墓地であった。一番迫力があったのは孔林 であった。孔子は紀元前500年頃の思想家・教育家で儒教の創始者である。孔氏族の始祖 である。それの代々の家族墓地である。山のように盛りあがった墳墓は数知れず家族墓地と しては世界最大級のものだそうである。
  孔廟は歴代の皇帝が訪れ、すこしづづ大きくなっていったようだが、特に明・清の時代に大きく なったようである。儒教思想もそのころ大きく伸びたのであろう。孔子の子孫は大戦後の中国の 内戦で台湾に逃れていってしまったとのことでした。

  《11月12日(金)》
  中間テストの休みを利用して2泊3日で山東省の済寧(ジー・ニン)と曲阜(チュイ・フ)に行ってきた。 10日(水)10時発徐州行きのバスに乗る。徐州で済寧行きのバスに乗り換える。 済寧に着いたのは夕方5時ごろであった。
  どうして今回済寧かというと、8年前私の書いた 山口県の山登りの散文が済寧日報に中国語に訳されて掲載された。当時日本に留学に来て間もない 中国人をいっしょに連れて行ったのだが、その時の文を彼が訳して済寧日報に投稿してくれたのです。多分 訳文が良かったのでしょう。そんな訳で一度おとづれて見たい町でした(彼は日本に来る前は済寧日報の記者であった)。
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  済寧市は山東省の西南部、京杭大運河(北京と杭州を結ぶ)沿いの人口約820万人の中核都市でした。 街中の人口は約80万人だそうです。かっては魯の国の中心、日本の企業「小松製作所」が進出していました。 済寧に2泊し11日午前中を曲阜観光に午後は済寧をうろつくことに当てました。10日と12日は移動に費やす。 ひさびさ毛主席の像を見ました。
  帰りは8時20分発徐州行きのバスに乗る。スーホンに着いたのは午後4時半であった。

  《11月14日(日)》
  明日から1学期の後半のスタートだ!気持ちを新たに面白おかしく引き締めてやっていこう。風邪を引かないように!

  孔廟にて

  孔林

  済寧、朝の建設路、南駅付近